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なでしこジャパンの広瀬統一フィジカルコーチに訊く。練習再開に向けた3段階の戦略

松原渓スポーツジャーナリスト
なでしこの躍進を支えてきた広瀬コーチ。リーグの各チームとも情報を共有している(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 新型コロナウイルス感染症の世界的拡大の影響で、日本サッカー協会(JFA)は4月7日、5月末までに予定されていた、JFA主催のすべての大会やイベントの延期及び中止を発表。サッカー日本代表は男女ともに、7月までの試合が中止になった。

 東京五輪が延期されたことにより、なでしこジャパンは4月から6月にかけて強化試合として組まれていた3試合と、3回の国内キャンプが行われないことになった。

 また、なでしこリーグは現在、公式戦の開催を6月28日(日)まで延期することが決まっており、各チームへの活動自粛要請は5月31日までとなっている(5月21日時点)。

 例年、ハードなスケジュールをこなしてきた代表選手たちは、この自粛期間をどう過ごしているのだろうか。

 JFAは、なでしこジャパンのフィジカルトレーナーである広瀬統一(のりかず)コーチが各クラブのフィジカルコーチやコーチングスタッフと連携しつつ、自粛期間中に選手たちがコンディションを落とさないよう情報を発信しているという。

 その情報は、各チームのスタッフを通じて年代別代表(U-17/U-19)にも共有されている。

 広瀬コーチは2008年からなでしこジャパンにフィジカルコーチとして帯同し、11年のドイツ女子W杯優勝や、12年のロンドン五輪銀メダル、15年のカナダ女子W杯準優勝などのタイトルを支えた一人だ。16年6月からは高倉ジャパンのフィジカルコーチとして帯同しており、海外勢との強度の高い試合に対応するためのフィジカルトレーニングや、ケガを防ぐためのコンディショニングを担う。世界に目を向けると、女子サッカーのプロ化が進む中でフィジカルの優れた選手が増えているヨーロッパ勢の台頭など、他国の変化や女子サッカー界全体の趨勢も知る貴重な存在だ。

 19年のW杯後には、3年前と比べて全体的に筋力、持久力、スピード、アジリティなどのフィジカル面が向上したというデータが報告された。こうしたデータも詳細に分析し、代表の強化を支えている。

 現在のコロナ禍でコンディション維持のために大切なポイントや、通常の練習が再開された時に注意するポイントなど、広瀬コーチにオンラインでインタビューをした。

広瀬統一フィジカルコーチ インタビュー(5月12日)

ーー新型コロナウイルスの影響で、サッカーの試合やイベントが中止になり、代表も活動を再開できる時期がなかなか見えない状況だと思いますが…。

広瀬コーチ:そうですね。今は厳しい状況ですが、必ず再開はできるので、そこに向けて今は各自が自分でコントロールできることに集中してやっていくしかないと思います。自分自身も、選手にその準備をしてもらうことに集中しています。

ーー例年、シーズン前になでしこリーグの各チームのコンディショニング担当者と代表の方針を共有する会議をなさっていましたが、今年も同じように実施されたのですか?

広瀬コーチ:はい。1回目の会議を2月に行い、代表チームがどのような考えでやっているかを共有しました。2回目は急遽、5月15日に実施することになりました。これから(緊急事態宣言が解除される地域を中心に)徐々に練習を再開するチームが増えると思いますが、まだ再開できない(特定警戒都道府県などの)チームとのばらつきが出てくる中で、現状と、今後の方針を共有したいと思います。

ーーこの自粛期間中、各チームの代表候補選手に対してどのようなアプローチをしておられるのですか?

広瀬コーチ:「今どういうことをやらなければいけないか」とか、「今後どういう準備をするべきか」という動画を、全部で6回に分けて発信しています。その中でも、「自分はもっと動けるのでアジリティをやりたい」とか、発信している情報の中にないような要望もあるので、選手と個別にラインなどでやり取りしてメニューを渡すこともあります。特に、課題がある選手に対しては年間を通じてメニュー提供をしているので、それを継続しています。

ーー発信されているその動画の内容について、具体的に教えていただけますか?

広瀬コーチ:はい。今後について、3つのフェーズに分けて考えています。フェーズ1は緊急事態宣言が出ている現在(5月12日時点)で、自粛期間中の、グラウンドも使えない状態です。フェーズ2が、徐々にグラウンドと施設が開放されて、かつチームの練習が通常通りできるようになるまで。フェーズ3は、通常の練習ができて試合に向かっていく段階です。

フェーズ1では、活動休止によってどういう体力が低下するのか、どのぐらい低下するのかをまとめています。それをどうやって維持するか。グラウンドを使えなくても、今ある環境でどう工夫して維持するかということについて、全部で4つの情報をまとめました。

その4つというのは、「持久力」、「筋力」、「栄養/生活面」、「休養」です。休養というのは主に心の持ち方ですね。メディアでも取り上げられているように、今、ヨーロッパでサッカー選手が鬱(うつ)になるケースが増えています。「これから自分がパフォーマンスを回復できるのか」といった不安を抱えている選手に対しては、そこでドロップアウトしないように、「こういう状況でアスリートはどういう風に気持ちが変わったり、揺らぐものなのか」という客観的な話を伝えて、それでも解決できないときには専門家のサポートを受ける必要性を伝えています。アスリートは、自分が「おかしいな」と思っても、我慢してカウンセリングを受けることを躊躇しやすいので、そうではない、ということを動画にしました。ここまでがフェーズ1です。

チーム練習が再開した後のフェーズ2に関しては、まだ完全にコロナウイルスの感染リスクがゼロではないので、「どうやって感染の予防をするか」ということと、紅白戦や練習試合など、大きなグラウンドで試合が始まったときに怪我のリスクが一気に高まることへの注意です。そこで怪我をしないための取り組みをフェーズ2で伝えています。

衛生管理は重要ですが、残念ながら、今の日本でコロナの第2波を予防するための衛生管理に関する情報は少ないため、選手自身が自分の身を守るために考えなければいけないことを情報として伝えています。

ーー第2波の感染に備えるためのそういった貴重な情報は、広瀬コーチは海外の状況から得ているのですか。

広瀬コーチ:そうです。日本よりも先にリーグ戦を再開したり、再開を予定している国がありますから、これから日本で起こり得ることに関する情報を知るために、いろいろな伝手(つて)を頼って海外の情報をまとめています。

ーー規制緩和を始めた国で感染が再拡大していることもあり、再開しても気は抜けないですね。通常の練習が再開された後のフェーズ3ではどのようなことを重視していますか。

広瀬コーチ:フェーズ3は、再開後の各チームの考え方だと思います。現状、一番情報が不足していて、なおかつ様々なリスクがあるのがフェーズ2までなので、そこまでを私がサポートして、あとは各チームでしっかりやりましょう、とお伝えしています。とはいえ、専任のコンディショニングコーチやフィジカルコーチがいるチームはなでしこリーグでも限られていますので、第2回のフィジカル担当者会議ではその内容をもう一度確認・共有する狙いがあります。

ーーフェーズ3以降、代表活動の再開も含めた流れについてはどうでしょうか。

広瀬コーチ:フェーズ1から3は、なでしこリーグ再開までのフェーズです。そこから先は、「今のレベルから東京五輪までどうやって上げていくか」ということになります。そのためには、再開した時にまず、みんなのフィットネスレベルを知る必要があります。そのためにいろいろなテストが必要ですが、それができるのはまだまだ先のことだと思います。

そこであまりにもいろいろなフィットネスが低下していた場合、回復するのは現実的に厳しいので、その段階で、少なくとも昨年よりも低下していないように、今、準備をしてもらっているんです。

今をちゃんと過ごせないと、間違いなくその後のプランはすべて崩れるので、あまり先まで考えすぎずに、今はコントロールできるところだけ集中してやることが大切ですね。

代表活動再開までにフィットネスを低下させないことが重要だ(写真は昨年5月/筆者撮影)
代表活動再開までにフィットネスを低下させないことが重要だ(写真は昨年5月/筆者撮影)

ーー外で思い切りトレーニングができない中でもフィットネスレベルをしっかり維持することが重要なのですね。自宅でのトレーニングは、強弱や休息の取り方など、オンとオフのメリハリをつけるのが難しそうです。

広瀬コーチ:完全に外に出られない場合もあるかもしれませんが、ジョギングぐらいはできる場合もあるので、その条件にもよりますね。なでしこリーグは働いている選手が多く、完全に自宅で自粛している状況ではないため、ある程度外でやれることもプログラムとして提案しています。でも、たとえば会社から帰ってきてから走る場合、3月とか4月は夕方でも薄暗くて怖い、という話も聞きました。その場合は午前中に走ったり、仕事がある場合は土日に走ることを提案します。

そもそも、「どのぐらい走ったら維持できるか」ということを知らないと、プレッシャーを感じて無理をして夜に走ったり自分を追い込みすぎてしまいがちです。「不安で走り込みをしすぎてケガをしてしまった」というJリーガーの選手の話も聞いていたので、そうならないように、選手たちには「最低でも週2回走っておけば維持できる」と伝えています。たとえば、土曜か日曜に1回と、平日どこかで朝早起きして1回やる、というように、休みと運動のメリハリも大切です。

ーーなでしこジャパンのコーチングスタッフやメディカルスタッフとは、オンラインなどでやりとりされているのですか?

広瀬コーチ:スタッフには、僕の考えを伝えて「どうですか?」と投げて、意見をもらって、「こういう要素を入れよう」とか、そういうことをメールでやりとりしています。U-17とU-19のコーチたちにも同じ情報はJFAを通じて伝えてもらっています。こちらで作ったメニューをお渡しして、ディスカッションが必要であればやります。トレセンコーチも、個別に、これについてはどうやったほうがいいかという話があれば、それに答えるように伝えています。

ーー最後に、コロナ禍が明けて練習が再開した時に備えて、選手や指導者の皆さんに気をつけて欲しいことがあれば教えてください。

広瀬コーチ:選手たちは、今のこの状況をポジティブに受け止めようとしつつも、いろいろな面で我慢をしているじゃないですか。だからこそ、再開したときには今まで以上に張り切るのではないかと思いますから、それを心配しています。グラウンドが使えるようになったときに、それまでしていなかったのに急に走り込みをしたり、監督やコーチから与えられているメニュー以外のところで頑張りすぎてしまったり、急にどんどんシュートを打ったりして、逆にやりすぎることにならないかなと心配しています。ボールを使えることは楽しいので、そこで「やりすぎない注意」もしてほしいです。

ポジティブなことを考えるのはすごく大事ですが、その裏ではネガティブな事態も想定して、ケガを防止することを考えなければいけない。今、前十字靭帯を損傷したら、来年の五輪には出られないと思いますから、それだけは絶対に避けたいですね。選手や指導者の皆さんには「ケガを絶対にしない、そしてコロナの第2波を絶対に防ぐ」という意識をもって、再開に臨んでいただきたいと思っています。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

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※新型コロナウイルスへの衛生対策やケガ予防に関する補足情報として、広瀬コーチから以下のURLも紹介していただいた。

COVID-19から競技再開への指針(衛生管理、トレーニング負荷管理の面)

サッカー選手の下肢障害予防プログラム(FIFA11+)

練習前のウォームアッププログラム(ムーブメントプレパレーション)

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のなでしこリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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