女子セリエAに挑戦したなでしこリーガー。國澤志乃が直面した2つの“人生初”と、激動の5カ月間

イタリア代表の主将サラ・ガマ(中央左)とマッチアップした國澤(筆者撮影)

 2020年1月12日、イタリア北部のトリエステにあるスタディオ・ネレオ・ロッコで行われた女子セリエA第11節。

 UPCタヴァニャッコは、イタリア女子代表選手を多数擁する首位ユベントスをホームに迎え、猛攻に耐えていた。

 その最終ラインで、今季からチームに加入した2人の日本人女子選手が奮闘していた。センターバックの國澤志乃とサイドバックの加藤みづほだ。

 ここ数年、欧州女子リーグに移籍する日本人女子選手が増えている中、2人は前例が少ない未開拓のリーグであるセリエAに挑戦している。

 今季、なでしこリーグ1部のAC長野パルセイロ・レディースから加入した國澤は、本職のボランチからセンターバックにコンバートされ、キャプテンを任されている。

 ユベントス戦では、イタリア代表のキャプテンであり、女子サッカー界の象徴的存在とも言われるDFサラ・ガマをセットプレーでマンマークし、ゴール前では仕事をさせなかった。

タヴァニャッコ(筆者撮影)
タヴァニャッコ(筆者撮影)

 だが、結果的にタヴァニャッコは1-5で敗戦。國澤自身も失点に絡んだが、ゴールネットが揺れるたびにがっくりと肩を落とす若い選手たちを鼓舞するように素早く切り替え、90分間を戦い抜いた。

 中盤やサイドでは肉弾戦が繰り広げられ、ファウルは日本よりも多い。接触プレーで地面をのたうちまわるように痛がった後に、何事もなかったかのように立ち上がる選手もいて、審判へのアピールも含めた駆け引きが見られた。そのなかで國澤は押されても引っ張られても表情を変えず、競り合いでは持ち前の強さを見せた。

 その強さは日本でプレーしていた時から目立ったが、球際の強度が高いイタリアでは際立っていた。左腕のキャプテンマークは、硬派なリーダーに相応しく映った。

 山梨県の日本航空高校卒業後にアメリカに留学し、米大学リーグで最上位に位置するNCAA(全米大学体育協会)のディビジョン1でプレーした國澤は、卒業後の2014年夏に帰国後に長野に加入。身体の強さや守備範囲の広さを武器に、ボランチとして15年になでしこリーグ2部優勝に貢献し、16年には1部で3位に貢献した。16年と17年にはなでしこジャパンに選出され、リーグ戦では連続フル出場記録を「97」まで伸ばした。

 一方で、アメリカでの生活が長かった國澤にとって「いつかまた海外でプレーしたい」という思いもあったようだ。

 決断したのは、昨年の夏だった。

「28歳という年齢もあって、先のことを考えた時に、セカンドキャリアも含めた不安がありました。海外に行くことで必ずしもステップアップできるとは思っていませんでしたが、他の人と同じことをするのはつまらないな、と思っていたんです」

 自分なりに海外リーグの情報を集めたり、必要な準備をしながら機会を探り、最終的に選んだ挑戦先はイタリアだった。

「ヨーロッパに行きたいと思っていましたが、日本人選手がいない未開拓のリーグの方が面白そうだと思っていました。ユベントスの女子の試合で4万人入ったというニュースを見て、そこからイタリアに興味を持つようになったんです」(2019年7月)

 イタリアのトリノにある、男子のユベントスのホームスタジアムであるアリアンツ・スタジアム(約41,500人収容)で19年3月に行われた女子セリエAのユベントスとフィオレンティーナの首位決戦は、イタリアにおける女子サッカーの入場者数の最多記録となる39,027人を記録した。また、昨夏の女子W杯フランス大会ではイタリア女子代表が20年ぶりにW杯に出場して8強入りを果たし、女子セリエAへの注目度も高まりつつあった。

 だが、チ一ムも住む土地も決まっていない状況でイタリアに渡ることは、かなりのリスクがあっただろう。

 2019年7月13日に行われた長野でのラストマッチでは、"第二の故郷"を離れることへの寂しさも口にしたが、同時に「退路を断つ」覚悟の強さも伝わってきた。

 その後、國澤はセリエAへの挑戦権を勝ち取り、海外でプレーするという目標を叶えている。

 だが、イタリアに渡ってからの半年間は、様々な試練が待っていたようだ。

 イタリアはセリエAが12チーム、セリエBが12チーム、セリエCが54チームで構成されている。2017/18シーズンから女子チームを始動させたユベントスは、代表クラスの選手を多く獲得し、資金力やノウハウを生かしてリーグを2連覇中だ。他には、フィオレンティーナやローマ、ACミラン(他チームから権利を買収し、昨季からセリエAに参入)などが上位を占める。

ユベントス女子(筆者撮影)
ユベントス女子(筆者撮影)

 國澤が所属するタヴァニャッコは創設30年目の歴史あるクラブで、1月22日現在、セリエA12チーム中11位。今季大幅にメンバーが変わり、新監督を迎えて新体制でスタートした中でリーグ前半戦は苦戦を強いられていたが、成績は少しずつ上向いている。

 今回は11節のユベントス戦を取材し、女子セリエAのサッカーやイタリアでの生活などについて話を聞いた。

國澤志乃選手インタビュー(1月12日@タヴァニャッコ)

【人生初のキャプテン就任とセンターバックへのコンバート】

ーーまず、イタリアでチームが決まるまでの経緯を教えてください。國澤選手はチームが決まっていない状態で日本を出ましたが、不安はなかったですか?

國澤:不安がなかったわけではないですが、今までもそうだったように基本的にはなんとかなると思っているので、チームがなかったら、ピザ職人でもなんでもやろう(その中でチャンスを待とう)という覚悟を持ってきました(笑)。5年以上在籍した長野に対して本当に愛着がありましたし、それだけの覚悟を持って長野を出たので、そう簡単には帰らないつもりでイタリアに来ました。日本を出たのが7月末で、チームが決まったのが8月中旬(開幕約1カ月前)です。トライアウトを受けた2チームからオファーをもらい、タヴァニャッコに決めました。個人的にはもう少し順位が上(※1)のチームに行きたかったのですが、イタリアは外国人枠(※2)が「2」で、上位チームはその枠が早くから埋まっているので、トライアウトを受けられるのが2チームだけだったんです。

(※1)昨年は12チーム中8位

(※2)その国以外の国籍を持つ選手の所属人数を制限する枠。 EU加盟国の国籍を持つ選手は、EU圏内のクラブチームでは外国人扱いされない。セリエAではEU圏内の外国人枠は1チーム7人までだという。

ーー1年目でキャプテンを任されました。人生初のキャプテンだそうですが、どんな風に決まったのですか?

1年目でキャプテンマークを巻いている(筆者撮影)
1年目でキャプテンマークを巻いている(筆者撮影)

國澤:タヴァニャッコは17歳から21歳までの若い選手が多く、イタリア人以外の選手が上の年齢を占めています。その中で、年齢(28歳)的にも経験を買われたようですね。開幕まで2週間を切った時に、監督から「キャプテンをやってくれ」と言われて。私はイタリア語がまだ喋れなくて基本が英語だったし、加入したばかりだったので「難しいと思います」と言いました。でも、監督は「喋らなくていいんだ」と。それまでの練習で、ケガをした時にも黙々と練習をしていたことが評価されたみたいで、「そういうプロフェッショナルな姿を見せてほしい」と言われました。それでも日本でもやったことがなかったし、そういうタイプでもないと思っていたからお断りしたら、それから毎日のように「キャプテンをやる気になったか?」と聞かれるようになって(笑)、出場するための登録が完了した10月には「お前がキャプテンだから」と、有無を言わさず決まっていました。

ーールカ・ルーニャン(Luca Lugnan)監督は試合中に熱く指示を出している姿が印象的でしたが、どんな監督ですか。

ルカ・ルーニャン監督(筆者撮影)
ルカ・ルーニャン監督(筆者撮影)

國澤:監督は選手たちにプロ意識を求めていて、言い方は少しキツいところがあります。イタリア人のチームメートたちはみんな若いし、はっきり主張するので、よく監督と衝突していますね(笑)。チームにはスロベニア人やイギリス人(EU圏内の外国人選手)もいるのですが、監督は特に私とみづほの日本人2人を評価してくれているようで、試合にも出させてもらっている(全試合フル出場)ので、絶対的な信頼は感じます。時々、若い選手たちを私たちとあからさまに比較して貶したり、私は「キャプテンだから」と試合のメンバーを相談される時があるので、「(他の選手の気持ちを考えて)それは言わないでください」とか、「(メンバーは)監督が決めてください」と、私もはっきり伝えています(笑)。監督はお茶目なところもあって、最近は外国語を学ぶアプリで英語を勉強してちょくちょく話しかけてきたり、目が合ったら必ずニヤリと笑いかけて来るんですよ。

ーー面白そうな監督ですね(笑)。イタリアに来る前に思い描いていたことと、実際にプレーしてみてギャップはありましたか。

國澤:ユベントスとフィオレンティーナの試合で4万人の観客が入ったというニュースを見てイタリアに興味を持ったのですが、実際に来てみたらお客さんはそこまで多くないですね。特に私たちは地方のクラブなので、選手の家族しかいないことも。だから、来たばかりの時は(ホームで大勢の観客が入ることもあった)長野(※3)とのギャップがすごかったですね。今は慣れたので、客席からリアルな声が聞こえてきて面白いですけど(笑)。今日のユベントスとの試合はビッグゲームだったので、会場もいつもと違って、イタリアでこれだけのお客さんが入る中でプレーするのは初めてでした。

(※3)2016年以降のホーム平均観客数は2,532人

ユベントス戦の観客は1,500〜2,000人ぐらいだった(筆者撮影)
ユベントス戦の観客は1,500〜2,000人ぐらいだった(筆者撮影)

ーー長野ではボランチでしたが、タヴァニャッコではセンターバックにコンバートされましたね。プレーしてみてどうですか?

國澤:コンバートされたことについては、去年から選手が半数以上変わって、経験があるセンターバックがいないというチーム事情もあると思います。ただ、私もセンターバックは初めてですし、今はまだボランチをやりたい思いが強いですね。センターバックだと相手への寄せ方が違ってガツガツいけないし、ボールに飛び込めないので、自分の良さを出せていないなと感じます。

ーー今はまだ、思い通りにいかないことの方が多いんですね。

國澤:はい。ここからステップアップするために、良い部分も悪い部分も、ボランチのポジションで評価してもらいたい気持ちはあります。今はチームが勝てていないし、チームとしてやりたいこともできていないので、耐える時期だと思っています。ただ、こちらに来て初めてキャプテンやセンターバックをやり、ミラン戦では人生初のオウンゴールもしました。辛いことも含めて、なかなかできない経験ができていることはプラスになると考えるようにしています。

【なでしこリーグと異なる女子セリエAのスタイル】

ーーイタリアといえば「カテナチオ」の国で守備が堅いイメージもありますが、リーグ全体で日本と比較して新鮮だったことはありますか?

國澤:タヴァニャッコは前線のエースストライカーにボールを入れてから攻撃を始めるスタイルですが、リーグ戦の一巡目(11試合)を終えて、どのチームも基本的にはしっかり繋ごうとしている印象ですね。スピードのある選手が多くて球際も強いですが、日本に比べると相手のプレーの予測がしやすいのでやりにくさはないです。日本の選手は足下でボールをピタッと止められるし、ギリギリで判断を変えられる上手さがありますから。失点する時は崩されるというよりは、スピードでサイドを縦に突破されて中でやられることが多いので、そこを全員でうまく守れればやれると思います。

ーー試合を見ていて、ファウルが多い印象がありました。

國澤:(大学時代にプレーした)アメリカでもそうだったのですが、思いっきり脚をスイングし合ってぶつかったり、日本だったらうまく避けているところでブレーキが利かないというか、止まらないことが激しさにつながっているのかなと思います。それに慣れているからみんな怖がらないのですが、痛がり方は少しオーバーに感じますね。

ーー昨年夏の女子W杯でイタリアは躍進(ベスト8)しましたが、その流れの中でリーグの発展の気運は感じますか。

國澤:私がいた長野は、立派なスタジアムや、応援に駆けつけてくれる地元の方々が作ってくれる素晴らしい雰囲気など、なでしこリーグでも特に恵まれた環境だったと思います。タヴァニャッコはイタリアでもまだまだこれからのチームなので、イタリアの環境が良いという実感はまだないですね。女子の育成組織では、タヴァニャッコはU-19、U-17、U-15があります。

【試練多きプロ生活で得たもの】

ーー日本では仕事とサッカーを両立させていましたが、こちらではプロとしてサッカーが中心の生活をする中でどんなことが変わりましたか?

國澤:タヴァニャッコは試合前日と翌日がオフで、試合を除くと練習は週4日で、午後3時半から5時半までです。練習場からアパートまでは歩いて5分ぐらいなので、帰ってからシャワーを浴びたりして、6時にはご飯を食べます。午前中はイタリア語を勉強したり、最近はジムに通っているので、夜は10時に寝て朝7時に起きる規則正しい生活をしています。お金を使うのは食費と日用品ぐらいですから、もともとそこまでなかった物欲がさらになくなりました(笑)。今は5名でルームシェアをしています。日本人2人(加藤みづほ)とスロベニア人2人とイギリス人1人で、言葉は英語です。

ーー国際的な環境ですね。共同生活はどうですか?

國澤:アパートのメンバーとはお互いに外国人なので練習の質やレベルについての考えを共有できることもあり、仲良くやっています。みんなお寿司が好きなので、定期的に食べに行くんです。一人が車を持っているので、買い物に行く時はみんなで行きますし。ただ、長野では5年間一人暮らしをしていたから、慣れるまではしんどかったですね。最初の1カ月は新しい環境で新鮮さもありましたけど、2カ月、3カ月目ぐらいは辛かったです。練習内容のレベルがなかなか上がらず、サッカーでストレスが溜まって、家に帰ったらシャワーとトイレの順番待ちで。キッチンは洗い物が溜まっていることが多くて、ゴミはみづほか私がいつも捨てていて(笑)。日本人だから気になるのかな?と思いましたが、よく考えたら私はアメリカ、みづほはドイツで共同生活の経験がある(他の選手はない)からかなと思いました。

ーー様々な点で長野とのギャップがあっただけに大変だったのですね。

國澤:一人になる時間がほとんどないので、練習が終わってグラウンドの周りを散歩しながら途方に暮れていたこともありましたよ。「何をしに来たんだろう?」とその時は考えてしまいました。でも、イタリアにサッカーをしに来たのに、余計なことでストレスを溜めていたらもったいないし、今は慣れたので見て見ぬ振りができるようになりました(笑)。同居人の外国人選手のみんなも気づいてやってくれることが増えました。

ーー良い変化ですね! 食事面は変化しましたか?

國澤:こちらではプロで時間があるので、食事内容について考える時間は増えました。同居人のスロベニア人選手の影響で、オーブンを使った野菜料理を作ったり、今はプラントベースというのをやっています。ヴィーガン(絶対菜食主義者)に近く、タンパク質を動物性の食材ではなくて、豆などから摂ることを意識するんです。発酵食品が少ないので時々納豆が恋しくなりますね。ゆくゆくはアスリートフードマイスターの資格を取ろうかなと考えています。

ーーオフはどのような過ごし方をするんですか?

國澤:週末のオフはセリエAのウディネーゼの試合や、ボローニャの冨安健洋選手の試合を観に行ったこともあります。よく行くバールはウディネーゼの試合を放映していて、週末は満員です。年配の男性やおじいちゃんが多いのですが、そこに一人で交ざって試合を観たりも(笑)。通っているので顔見知りになって、ドリンクをご馳走してくれるんですよ。

ーーまだイタリアに来て半年ですが、今後のことやセカンドキャリアについてはどんな考えがありますか。

國澤:来シーズンもイタリアでプレーしたいと思っていますし、もっと自分自身のレベルを上げてステップアップしたいですね。今は各チームの外国人枠がすべて埋まっているので、試合でアピールしていきたいです。イタリアに来てセカンドキャリアに対する不安が解消されたわけではないですが、貴重な経験ができているとは感じています。今はあまり先のことを考えすぎないようにしていますね。目の前のことを頑張って、それが先につながればいいなと思うし、この経験が(人生の中で)どう生きるのかは、後になってみないとわからないですから。

【取材後記】

 ベネチアから車で1時間半。タヴァニャッコは自然に囲まれ、遠くに雪を被ったなだらかな山並が続いていて、どこか長野の風景を思い出させる街だった。インタビューの中で彼女がよく行くと話していた地元のバールを案内してもらうと、昼間からタヴァニャッコの選手や地元の人たちで賑わっていた。目尻のしわが優しいマスターが「ユベントス戦を見たよ!」と熱心に話しかけると、彼女は柔らかく笑い、軽快なイタリア語で応じた。

セリエAでの活躍を目指す國澤(筆者撮影)
セリエAでの活躍を目指す國澤(筆者撮影)

 日本人選手が少ないセリエAは、今後さらに発展しそうな可能性を感じさせるリーグだ。外国人枠があるため、EU圏外からの挑戦はハードルが上がるが、タヴァニャッコでレギュラーとしてプレーする2人の日本人選手の活躍によって、イタリアへの道がさらに開ける可能性もある。

 現在は慣れないセンターバックのポジションで奮闘中の國澤は、今後、どのように自らの運命を切り開いていくのだろうか。タヴァニャッコの後半戦の追い上げにも期待したい。

國澤志乃 Twitter(@nanisiyuga)

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