MF田中陽子がスペイン1部スポルティング・ウエルバへ移籍。国内ラストマッチで語った感謝と決意

スペイン1部のスポルティング・ウエルバへの移籍を発表した田中陽子(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

【ホームでのラストマッチ】

 なでしこリーグの人気者が、海外に挑戦する。

 7月2日(火)、ノジマステラ神奈川相模原のMF田中陽子が、スペイン女子1部リーグのスポルティング・ウエルバに移籍することが発表された。

 国内リーグ戦は9シーズン半で146試合出場。ノジマでは約4シーズン半、中心選手としてクラブの歴史を築いてきた。

 

 ラストマッチとなった6月29日(土)のリーグカップ第8節、日テレ・ベレーザ戦。

 右サイドハーフで先発し0-2で敗れたが、いくつかの見せ場を作った。ボールを持つとドリブルで相手を引きつけ、絶妙のスルーパスで会場を沸かせる。ゴールを目指す貪欲な姿勢が、ノジマにチャンスをもたらした。

試合後のセレモニーで感謝を伝えた(筆者撮影)
試合後のセレモニーで感謝を伝えた(筆者撮影)

 試合後のセレモニーで、田中は1237名のサポーターに向けて感謝の言葉を丁寧に紡いだ。最後まで明るい表情を失うことはなかったが、ノジマで過ごした4年半を振り返るサプライズ映像が流れると、涙が頬をつたった。

「ノジマでは『最後まで諦めない』ことや、『みんなで(戦う)』という、サッカーの楽しさをすごく感じました。いろいろなことを考えながらプレーすることを学んで、勝利のために自分の特徴をどう出していくか、苦手なことをどうカバーしていくかも考えられるようになりました」

 田中はノジマでの成長について、そう振り返っている。

 1部昇格まであと一歩に迫った2015年、2部で無敗優勝を成し遂げた16年。1部1年目の17年には皇后杯で準優勝を果たし、昨シーズンは1部2年目で3位と躍進を遂げた。その道のりのすべてで、背番号8は欠かせない存在だった。

【ノジマステラで学んだサッカーの原点】

 田中がなでしこリーグでのキャリアをスタートさせたのは10年。JFAアカデミー福島の1期生として当時2部のチャレンジリーグでデビューし、年代別代表にもコンスタントに選ばれた。

 11年の女子W杯優勝で日本中が「なでしこブーム」に沸く中、大きな注目を集めて12年にINAC神戸レオネッサに入団した。そして同年、日本で開催されたU-20女子W杯で田中の人気は確固たるものになった。

 全6試合に出場し、6ゴール2アシストと大活躍。両足の正確なキックやテクニックを生かしたゲームメイクで、同じく華のあるプレーでチームを支えたMF猶本光(現SCフライブルク)らとともに、「ヤングなでしこ」を3位に導いた。そして、翌13年にはなでしこジャパンにも初招集されている。

 だが、INACでは代表クラスのタレントが揃う中で定位置を掴むのに苦労した。そして、14年以降は世代交代の過渡期に突入し、田中自身も思うようなプレーができずにいた。

 15年、21歳だった田中は新たな環境を求めて当時2部のノジマに移籍する。ノジマを率いていた菅野将晃監督は、田中がアカデミー時代に同じJヴィレッジを拠点とするTEPCOマリーゼを指揮していたこともあり、その縁にも引き寄せられた。

「(ノジマ)ステラの試合を見た時に、攻撃も守備も90分間チーム一丸となって走っている姿を見て、このチームで一部昇格を達成したいと強く思いました」(田中)

 そのサッカースタイルが、カテゴリーを落としても移籍することを決断した決め手だった。ノジマは選手が同じ職場で働き、寮で生活を共にする。その環境で仲間との絆を深め、きつい走り込みやハードな練習も乗り越えた。

 その中で田中が影響を受けた選手の一人が、前キャプテンだったMF尾山沙希(17年に引退)だ。田中は昨年、彼女についてこう話していた。

「(尾山選手は)相手に何点入れられても絶対に人を責めないし、前向きなことしか言わない。どんな状況でも気持ちを切らすことなく、『やろう』とチームメートに言えるその強さが胸に響いて、自分もそういうところを取り入れたいと思いました。それで、自分もちょっとは変われたかな、と…」

 そう話す田中のプレーには、巧さばかりがクローズアップされていた10代から20代前半の頃とは違い、闘志がほとばしるようになっていた。

 ノジマでの田中をよく知る一人が、JFAアカデミー時代、年代別代表、そしてノジマと、長くチームメートとしてプレーをともにしてきたMF川島はるなだ。2人は156cm前後で、ともにテクニックを生かしたプレーを持ち味とし、阿吽の呼吸でノジマの攻撃を活性化した。

 

「陽子とはプレーの感覚が似ているんだと思います。陽子はパンチ力と思い切りの良さがあって、自分はどちらかというと細かいところを気にするタイプですが、『ここで中に切れ込むんだろうな』とか、お互いに考えていることが分かっていた気がします。私にとって陽子は“強い”存在でしたね。(サッカーが)うまくいっている時もいっていない時もしっかりと自分を持っていて、『自分がこうなりたい』というビジョンがありました」

 川島はこれまでの10年間を振り返るように、そう語ってくれた。

【決断の理由】

 田中は今月末で26歳を迎える。海外挑戦への思いは、以前から少しずつ膨らんでいたという。いずれはUEFA女子チャンピオンズリーグ(CL)出場も視野に入れているのかと聞くと、こう即答した。

「出たいです。海外は思い切って(大胆に)プレーする選手が多いので、試合をした時に『楽しい』と思ったんです。(CLのような)大きな大会で結果を出せればいろいろな人に見てもらえると思うし、選手としての価値も上がると思うので、どんどん挑戦していきたいですね」

 代表からは13年以来遠ざかっているが、田中自身は取材などで質問されるたびに、代表への熱い思いをストレートに口にし続けてきた。純粋さを湛えたその大きな瞳にはいつも、世界で戦うことへの渇望があった。

 スポルティング・ウエルバへの移籍を決断した理由については、プロ契約でのオファーだったことや、自分のプレーの特徴をしっかりと評価されたことが大きかったと明かした。

「ゲームを作りながらゴールも決めるという(自分の)特徴を評価してもらっているので、得意な部分で勝負できると思います。相手より早く動いたり、相手の隙を見つけることがだいぶできるようになってきたので、(海外の選手に対しても)大丈夫かな、と。引きつけて逆を取る技術や、駆け引きからスピードアップするプレーが通用するのか楽しみです」

 

 言語も文化も異なる土地での再スタートになるが、田中の言葉に不安を感じさせる響きは全くなかった。

 ふと、「陽子はいつも『自分がこうなりたい』というビジョンを持っていた」という川島の言葉を思い出した。スペインで、田中はキャリアをどのようにスタートさせようとイメージしているのだろうか。

「海外の選手は自分のプランがあって、主張も強い。『みんなと同じ』ではダメなので、これまで(日本では)合わせてきたところでもしっかり意見を主張して、自分の存在価値を高めていきたいです」

 明るく社交的な性格に芯の強さを秘め、プレーでは高いテクニックを持つ――そんな彼女だからこそ、陽気でオープンな国民性と言われ、テクニシャンが多いスペインのサッカーに馴染むのに時間はかからないかもしれない。たとえ壁にぶつかっても、今までもそうだったように、力強く切り開いていくだろう。

 セレモニーが終わる頃には午後7時を過ぎて、陽はすっかり沈んでいた。

 田中にとって様々な思い出が詰まった相模原ギオンスタジアムの照明が、新たな門出を祝福するように、そのシルエットを優しく包み込んでいた。

ラストマッチを終え、新天地での覚悟を語った(筆者撮影)
ラストマッチを終え、新天地での覚悟を語った(筆者撮影)