Yahoo!ニュース

ジョンソン英首相、EUに10月貿易協議終了の最後通牒―ノーディールの可能性(下)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
英下院は9月29日、ジョンソン首相の国内市場法案の修正法案を賛成多数で可決した=英テレビ局スカイニュースより
英下院は9月29日、ジョンソン首相の国内市場法案の修正法案を賛成多数で可決した=英テレビ局スカイニュースより

政府は国内市場法案が国際法に違反するものの、正当だとする根拠について、「EU(欧州連合)離脱協定が急いで(at fast)策定され、ジョンソン首相が今年1月の離脱日の直前に署名しなければならなかった」とし、その上で、「国内市場法案は後日、離脱協定の曖昧な箇所を書き直すことができる、他の条約にはないものとなった」(9月9日付英紙ガーディアン)と弁明している。しかし、「離脱協定に欠陥があると主張するならば、なぜ、首相は署名したのかという疑問が残る」(同)ことも事実だ。これに対し、EUはFTA(自由貿易協定)協議を継続するためには、英国が離脱協定の完全実施を保証する文書を差し出さなければならないと反論し、不信感を顕わにし、両者の溝は深まるばかりだ。

英紙デイリー・テレグラフのフィリップ・ジョンストン政治記者は9月8日付コラムで、ジョンソン首相から前日、送られてきたというEメールを引用し、「首相はFTA協議が10月15日までに合意できなかった場合、その事実を受け止め、前進するしかない」と、吐露し、「もしノートレードディール(FTA合意なし)の場合、我々はオーストラリアのように、EUと(個別特定分野で)貿易取り決めを結ぶことになる。英国にとってノートレードディールでも良い結果になる」と指摘していたという。ジョンソン首相はノートレードディールを覚悟しているという。

しかし、その一方で、ジョンソン首相はまだFTA合意の可能性があり、EUからの譲歩を待っているとの見方もある。保守党のウィリアム・ヘイグ元党首はテレグラフ紙の9月8日付コラムで、「もし10月15日までにFTA合意ができなかった場合、首相はその場を去り、ノートレードディール・ブレグジット(FTA合意なしのEU離脱)になったとしても不思議ではない。しかし、首相が合意したくないと考えるならそれこそ驚きだ」と指摘。その上で、「首相はまだ合意は可能であり、合意したいと考えている」と見ている。

さらに、ヘイグ氏は、「すべての関係者は、FTA協議は漁業権と国庫補助金の問題さえなければ合意は可能だと異口同音に言っている。漁業権の問題だけが残っているとすれば、EUは世界から愚かしいと見られるだろう。それと同じ理由で、国庫補助金の問題についても解決できるはずだ。国庫補助金の問題について、EUは英国が望んでいないことを英国がすると懸念している。一方、英国は自分たちの利益にならないことをする権利を保留しようとしている。その意味で、双方が国庫補助金の問題について思慮分別を失っている」と指摘する。

実際、ノートレードディール・ブレグジットになった場合、マイケル・ゴーブ内閣府担当大臣は9月22日、国内の運送業界宛てに送った書簡で、「移行期間終了後、ドーバー海峡に面した英国南東部ケント州では英国からフランスに向かう最大7000台もの輸送トラックが税関手続きを行うために長蛇の列ができ大渋滞が起こる」(9月23日付テレグラフ紙)と警告。EU離脱当初は物流危機が発生する可能性があるとした。英国は新型コロナ危機だけでなく、ブレグジット(英EU離脱)危機も間近に迫っている。それだけにジョンソン首相もノートレードディールは避けたいところだ。

最新の情勢では、ジョンソン首相の国内市場法案は9月22日夜、下院の公共法案委員会(Committee of the Whole House)で採決され、無投票で可決し、2つ目の関門を突破した。これは政府が同法案に反対している保守党の造反議員を説得するため、同法案への修正要求(離脱協定の書き直し権限の行使に対する拒否権を議会に与えること)を受諾したからだ。次の段階として、同委員会は9月29日に国内市場法案の修正法案を下院に送付。下院でも修正法案を340票対256票の賛成多数で可決した。保守党議員からの反対票はなかったものの、テリーザ・メイ前首相ら20人以上の保守党議員が投票を棄権しており、党内にわだかまりが残る結果となった。

今後、修正法案が議会で成立するには、上院での審議と採決が必要となる。しかし、政府は10月中旬(15-16日)に予定されているEUサミット(加盟27カ国の首脳会議)のFTA協議に関する最終判断を待った上で、上院に送付する方針だ。このため、上院から下院に再び修正法案が戻ってくるのは移行期間終了(12月31日)のわずか数週間前となる可能性が高いとみられている。

政府はもし10月15日のEUサミットまでにFTA協議が合意すれば、議会の拒否権を認める形で国内市場法案を修正するとしている。「これは英国がFTA協定の締結を目指し、EUと合意することをコミットするという合図をEUに送ったもので、潮目が変わる可能性が出てきた」(9月25日付テレグラフ紙)との見方もある。しかし、EUは、「FTA協議のテーブルには国内市場法案は修正されないままで提出されている限り、合意することはない」(同紙)と、疑心暗鬼になっており、FTA協議はどこまでも平行線が続く可能性がある。

また、EUのウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長は10月1日、英政府に書簡を送り、国内市場法案の国際法違反となっている、国家補助金と北アイルランド・プロトコルに関する2カ所を1カ月以内に撤回するよう要求した。もし従わない場合、欧州司法裁判所の裁定を仰ぎ、撤回するまで毎日、巨額の制裁金を科すと脅した。これに対し、英政府は、「英国の国内市場の統一性を守り、アイルランドの和平プロセスを守るため、法的セーフティーネットは必要だ」(10月1日付テレグラフ紙)とし、あくまでもEUの国内市場法案の撤回要求に応じない考えだ。

英国とEUの国際条約である離脱協定では、英国が移行期間終了前にEU法に違反した場合、EUは移行期間の終了前でも、また、移行期間終了後でも4年以内であれば、欧州裁判所に提訴できると規定されている。このため、国内市場法案が移行期間終了後に議会で成立し、施行された場合、欧州裁判所に訴えることができるのかどうか、また、国際条約である国内市場法案がEU法違反に該当するのかどうかなど疑問が残る。もし、EU法に関係しなければ欧州裁判所は裁定することはできないからだ。

英国の国内市場法案は、城に例えるならば、EUの外堀を埋めるような外交戦略だ。北アイルランド・プロトコルに対する英国の修正権限の発動はFTA協議がノートレードディールに終わった場合の安全策となっている。従って、EUが英国の国内市場法案を認めれば、EUにとってまずい結果になるので、どうしてもFTA協議を合意させなければならないという巧妙な駆け引きに見える。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

増谷栄一の最近の記事