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英国のメイ首相、EU離脱協議の戦略決定で“EU残留の馬脚”現す(中)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表

 

メイ首相のチェッカーズ合意に猛反対して7月8日に突然辞意を表明したデービスEU離脱担当相(左)
メイ首相のチェッカーズ合意に猛反対して7月8日に突然辞意を表明したデービスEU離脱担当相(左)

EU駐在の外交官らはデービッド・デービスEU離脱担当相(DD)とボリス・ジョンソン外相が先月8-9日に相次いで辞任したことについて、政権内で離脱派に勝ち目がないと判断して“沈没船から逃げたネズミ”に例えて嘲笑した。しかし、離脱派の真の反撃はこれから幕を開けることになる。英与党・保守党の最強の離脱派グループで60人の陣傘議員からなるブレグジット欧州調査グループのジェイコブ・リースモッグ代表は今後、テリーザ・メイ首相のEU離脱方針を決めたチェッカーズ合意(7月6日)を潰すため、政府が提出予定の貿易法案に反対する4本の修正案を下院に提出する方針を表明したからだ。

 チェッカーズ合意に反対してメイ首相に辞意を伝えたマリア・コールフィールド前保守党副幹事長も英紙デイリー・テレグラフ紙への寄稿文で、「国民投票の結果を裏切った政府に対し、離脱派議員らはこのまま無視された徒党として黙ってはいない」と意気込んだ。ただ、当時は議会が7月23日からの夏休み休会を控えていたため、メイ首相は休会が終わる9月5日までは安泰というのが大方の見方だった。英国の政治アナリストらは、メイ首相の不信任を訴えて挑戦する勇気がある政治家がいるかといえばだれもおらず、議会はただメイ首相に離脱提案をEUに提出させるだけでいいと思っており、保守党はだれもメイ首相に選挙を望んでいないと予想していた。

 最大野党・労働党のアンドリュー・アドニス議員(ゴードン・ブラウン政権下で元運輸相)は7月9日、英紙ガーディアンで、「政治の混乱がメイ首相を存続させる唯一の方法だ」と言い切ったものだ。英国が関税と貿易でEUと合意するには、ノルウェーのようにEU非加盟国がEUとEEA(欧州経済領域)協定を結び、EU単一市場にアクセスする方法に向かわない限り不可能とみられている。しかし、同氏は、「離脱派はノルウェー方式には反対する。従って、メイ首相が生き残る唯一の方法は保守党の分裂が絶えず続くことしかない」という見立てだ。

 ただ、メイ首相が馬脚を現したかどうかについては異論もある。保守党の重鎮ウィリアム・ヘイグ元党首は同9日のテレグラフ紙のコラムで、現実主義者とロマン主義者の違いだと説明する。「離脱派のマイケル・ゴーブ環境相のように最終的にメイ首相のチェッカーズ合意を支持した現実主義者は、議会の大半がソフトブレグジット(穏健離脱)を支持しているという現実や北アイルランド国境問題、企業の海外流出懸念という3つの制約の中で唯一考えられる次善の策がチェッカーズ合意だった」という。「他方、ロマン主義者はチェッカーズ合意に反対しても代替案を持っておらず、これら3つの制約をクリアできない。DDは全く妥協しなかったわけではないが、メイ首相や政府がEUに妥協しすぎたことが問題だった」と話す。

 その上で、ヘイグ氏はDDや外相らが辞任し、保守党議員がメイ首相の不信任(更迭)を求めて党首選挙になった場合、離脱派が望むようなブレグジットになる確率はゼロだという。つまり、2回目の国民投票を実施するか、EU交渉での英国の立場がさらに弱まるだけになる可能性があるという。また、「EU合意がメイ首相のチェッカーズ合意と同じようなものになれば、保守党はEUとの最終合意に反対投票するだろうか。EUがよほど酷い非妥協の姿勢を示さない限りノーディールの合意は認めないので、結局、英国はEU残留か、またはEU離脱の時期を先延ばしするかのいずれかになる」と予想している。ヘイグ氏は、「ゴーブ環境相のいうようにEU交渉は柔軟性と寛容さを持つべきというのが最善だ。しかし、政治もビジョンももたないEUの交渉相手に通じるかは疑問。党が団結して建設的な提案を行うことでEUに圧力をかけることができる」という。

 英政府は7月12日、EUとの将来の関係、主として貿易協議に臨む英国の戦略方針をまとめた離脱方針白書を公表した。これは同6日にチェッカーズの首相別邸で開かれたブレグジット関係閣僚会合で合意した、いわゆるチェッカーズ合意を柱にしたもの。貿易やデジタル産業、英国民のEU在留とEU市民の英国在留の権利、「人の移動の自由」の終了などを含む経済パートナーシップと国家安全保障や外交などのパートナーシップ、データ保護や機密情報、漁業などのその他分野のパートナーシップ、紛争処理などの制度的取り決めの4章で構成され、全98ページとなっている。

 白書の発表を受けた英国メディアの大方の反応は、今後、問題だけの白書をめぐって保守党内が離脱派と残留派に分断され内戦は避けられないというものだ。また、仮に離脱協議でメイ首相の懸命な説得が功を奏しEUが白書通りか、またはそれ以上の譲歩を英国から引き出し最終合意(ディール)したとしても、議会で保守党の離脱派議員に加えて、野党の労働党や自民党などがこぞって反対投票に回れば、結果的にノーディールに終わる公算が強まったとみられている。しかし、ディールになったとしてもテレグラフ紙で30年超のベテラン国際経済担当エディターのアンブローズ・エバンス・プリチャード氏は12日付けコラムで、「むしろ、EUが白書を拒否せず、すんなり受け入れた場合が問題だ」という。英法曹協会の勅撰弁護士(QC)であるマーチン・ハウ氏も「EU加盟を熱望するあまり2014年6月にEUと政治・経済連合協定を締結し、EUの支配下に置かれた旧ソ連のモルドバ共和国のような状態に英国自身が陥る危険がある」と警鐘を鳴らす。(次回に続く)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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