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英国のメイ首相、EU離脱協議の戦略決定で“EU残留の馬脚”現す(上)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
メイ首相のチェッカーズ合意に猛反対して7月8日に突然辞意を表明したデービスEU離脱担当相(左)
メイ首相のチェッカーズ合意に猛反対して7月8日に突然辞意を表明したデービスEU離脱担当相(左)

先月、英EU(欧州連合)離脱協議で現場指揮を執っていたデービッド・デービスEU離脱担当相(DD)が貿易協定を含む「将来のEUとの関係」(第2段階協議)に臨む政府の戦略方針について閣内統一を図った、いわゆるチェッカーズ合意(7月6日)に猛反対して、合意のわずか2日後の7月8日、突然辞意を表明し英政界に激震が走った。DD辞任で見えてきたことは、テリーザ・メイ首相はこれまで巧みに離脱派と残留派のパワーバランスを保ってきたが、結局、もともと残留派のメイ首相が馬脚を現したことだ。

チェッカーズ合意とは、チェッカーズの首相別邸で決まったのでこう呼ばれている。この合意を基に離脱方針白書が策定され、政府はすでにEU側にその内容を提示しているが、過去にもメイ首相はEU離脱協議の戦略を決定するたびごとに徐々に閣内で離脱派を追い込み始めていた。事実、メイ首相はベルギー・ブリュッセルのEU本部で行われる離脱交渉でもDDを遠ざけ、政府高官のオリバー・ロビンズ氏(EU離脱担当省の事務次官)を重用し始めた。かつて「ノーディール(自由貿易協定も何もかも合意できない強硬離脱)も辞さず」と豪語していたメイ首相の強面はすっかり消え、今回のチェッカーズ合意で完全にソフトブレグジット(穏健離脱)に舵を切ったのだ。

DD辞任に呼応し、重要閣僚でDDとともに離脱派をけん引していたボリス・ジョンソン外相(当時)も翌日の7月9日、「ブレグジットの夢は破れた。チェッカーズ合意は“big turd”(「糞」をいくら磨いてもダメなものは良くならないという揶揄表現)だ」と言い放って辞表を提出しメイ政権打倒の道を選択した。だが、保守党の重鎮マイケル・ヘーゼルタイン元副首相は同9日、英BBC放送に対し、「党首選になれば他に候補が見つからないのでメイ首相は再選されるだろう」と指摘、議会政治の閉塞感も漂い始めた。

DDと一緒に辞任した腹心のスティーブ・ベーカー氏(離脱担当副大臣)は7月15日、英有力紙デイリー・テレグラフのインタビューで、チェッカーズ合意について、「メイ首相は“体制派のエリート”(ロビンズ氏)と共謀し、チェッカーズ合意が以前よりずっとソフトブレグジット(穏健離脱)寄りになるよう陰謀を企てた」と暴露した。裏を返せば、メイ首相らは最初からEU側とソフトブレグジットの“出来レース”を演じていたことになる。2年前の2016年6月、EU離脱を決めた国民投票は一体何だったのかという話だ。DDは辞任後、英紙ガーディアンに対し、「政府はEUに譲歩しすぎた。余りにも簡単に譲歩してきている。これは危険な戦略だ。今後、我々はさらなる譲歩に強く抵抗する」と述べ、保守党が内戦状態に陥るのは避けられない情勢だ。一方、保守党離脱派のデビッド・キャンベル・バナーマンMEP(欧州議会議員)もテレグラフ紙への寄稿文で、「ロビンズ氏が官邸に入ってからメイ首相は間違った方向に向かった」とし、ロビンズ氏を1900年初頭にロシア帝国を崩壊させたとされる帝政ロシア末期の祈祷僧グリゴリー・ラスプーチンに例え、同氏を「排除すべき」だと、メイ政権に“宣戦布告”する。

離脱派を代表するDDの辞任は残留派のメイ首相との抗争に負けたことを意味するが、英メディアではDD辞任は予想通りで時間の問題だったとみていた。テレグラフ紙は、「離脱交渉はこれまで数百時間かけられたが、DDは今年、わずか4時間しか交渉にいなかった」と暴露した。DDは2017年6月からメイ首相に疎んじられ、今年3月からは事実上交渉から外されていたという。DDはメイ首相に辞意を伝えた7月8日付の書簡で、「国益とはEU離脱省の大臣があなた(メイ首相)の交渉戦術に渋々従う一兵卒となるだけでなく信奉者にもなるべきだと言っているように聞こえる」と指摘したように、交渉責任者としての立場は完全に無視されていたからだ。

しかし、DDは辞任のもっと大きな理由は、「英EUの共通ルールに従うという政策は英国の経済統制の大半をEUに引き渡すもので、現実として英国法に対する統制をEUから取り戻すことにならないと判断したことだ」と述べており、EUの関税同盟と単一市場から去るという国民投票の使命を果たす可能性がなくなった上に、メイ首相の交渉戦術ではEUからさらなる譲歩に迫られるという国益上の判断だったしている。また、DDは、「議会による政府コントロール(統制)は実現せず幻想に終わる」とも述べ、議会によるEU離脱法案に対する「意味のある投票」(EUとの最終合意に対する議会の拒否権行使)は無視され、議会は踏みにじられる、と指摘する。

また、DDの辞任についてEUの反応は薄い。EU加盟27カ国からEU本部に派遣されている外交官らは、離脱交渉は英国の政府高官ロビンズ氏が対応し、DDは交渉から外されていたので、DD辞任の影響は全くない、という見方だ。メイ首相はDDの後任にドミニク・ラーブ住宅担当閣外相を起用したが、EUはだれが離脱担当相になっても変わらないと、高を括っている。2019年3月の離脱日から離脱合意の加盟国批准に要する時間を逆算すると、交渉合意期限は今年10月となるが、EUは清々粛々と交渉を続ける。(次回に続く)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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