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英国のEU離脱協議、先行き不透明に―総選挙で保守党過半数に達せず

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
6月8日の総選挙での敗北後、「政権安定を目指す」と表明したメイ首相=英BBCテレビより
6月8日の総選挙での敗北後、「政権安定を目指す」と表明したメイ首相=英BBCテレビより

テリーザ・メイ首相のハードブレグジット(強硬離脱)発言をめぐる政界混乱を収拾するため、伝家の宝刀である下院の解散権を行使して行われた6月8日の英総選挙(定数650議席)はメイ首相が率いる与党・保守党(318議席獲得)が最大政党となったものの、過半数の326議席(シン・フェイン党を除いた実質では321議席)に達しなかった。その一方で、ハードブレグジット阻止を訴えた最大野党の労働党(262議席)が躍進し野党共闘で政権奪還も視野に入った。メイ首相の年内の引責辞任を求める圧力が労働党だけでなく保守党内や閣内からも高まっており、英国政界の混乱は終わりが見えない状況となっただけでなく、ブレグジット(英国のEU(欧州連合)からの離脱)協議の先行きは一段と不透明となった。

これまでのところ、EU離脱が逆戻りするという兆候はないが、どの政党も単独では過半数の議席を持たないハングパーラメント(宙ぶらりん議会)では弱体化した保守党だけの少数派単独内閣では政治の安定を維持できず、EU離脱協議が6月19日から予定通り始まったとはいえEUに足元を見られ満足できる合意を得られないばかりか、EU残留支持派の逆襲ともいえる今回の総選挙を受けて、労働党など野党陣営がEU離脱の是非を問う2回目の国民投票を実施しかねない。

英総選挙の結果を受けて、EC(欧州委員会)ギュンター・エッティンガー委員は6月9日、ドイツのラジオ局のインタビューで、「英国の政治状況が一段と不安定になっており、我々は交渉相手に安定して行動できる政権を必要とする。弱体化した交渉相手(メイ政権)では交渉が双方にとって悪くなる恐れがある」と早くも“英国には政府が存在しない”という論陣を張って交渉を遅らせる考えだ。

また、欧州議会のブレグジット交渉代表であるヒー・フェルホフスタット議員(元ベルギー首相)も英紙ガーディアンの同日付電子版で、「メイ首相はデービッド・キャメロン前首相に続いてオウンゴールを決めた。すでに複雑となっているブレグジット協議が一段と複雑になった。英国が安定した政権を早く作ることを期待する。我々は英国との合意を望んでいるが、だれと交渉するのかさえも分からない」と今後のブレグジット協議の行方に不安を示す。

メイ首相は6月9日、選挙戦の敗北を受けても「首相を続ける」との声明を発表した。この裏にはEUが協議を遅らせ長期化させたいという狙いを阻止したい狙いがある。また、メイ首相は同日、首相官邸前で会見し、「政治の安定がこれまで以上に求められている。(保守派の北アイルランドの)民主ユニオニスト党(DUP)と一致協力していく」と述べたが、DUPとの協議は難航したあげく、6月26日にようやく両党は合意に達したが、メイ首相は北アイルランドに向こう2-5年間で10億ポンド(約1420億円)もの追加予算を支払う羽目となった。

DUPのアーリーン・フォスター党首は6月9日の会見で、「正式な連立でも政策協定でもなく“協力”だ」と強調したように、「問責決議」と「歳出」の重要法案だけに限定した閣外協力になる。今回の選挙でDUPは10議席を獲得したので、合計議席数は328議席となり過半数を超えるとはいえ野党との議席差はわずかだ。しかも、DUPは協力の条件としてハードブレグジットではなく緩やかなブレグジットを要求することになり、メイ首相のハードブレグジット方針にも影響が及ぶ。また、英放送局BBCのノーマン・スミス政治部次長は同日付電子版で、「DUPはメイ政権が短命になると見ていることや、9月独総選挙までにEU協議が進展する可能性が低いことから判断して新しい指導者と交代する」と予想しているほどだ。

一方、労働党の「影の内閣」で財務相のジョン・マクドネル議員は6月9日のBBCで、「メイ首相はこれ以上首相を続けられないということに気付くべきだ。国民は連立政権や政党間協定は望んでいない。労働党はSNP(スコットランド国民党)など少数野党の協力を得て少数派単独政権の樹立に挑む。労働党の政権の方が保守党の少数派単独内閣より安定する」と指摘する。労働党のジェレミー・コービン党首も選挙直後、BBCのインタビューで「メイ首相は退陣すべきだ。我々は国のために尽くす用意がある。また、ブレグジット交渉を進めていく用意がある」と述べ、政権奪還を目指しメイ首相のハードブレグジット路線からの脱却を強調した。

労働党は連立ではなく少数派単独政権を目指すと見られている。選挙前、英紙インディペンデントは6月1日付電子版で、「労働党はSNPや自由民主党と連立政権を樹立する選択肢があるが、コービン党首はすでに4月に連立は組まないと述べている。SNPは連立で政権を支える勢力を持っているが、EU離脱それ自体に反対しているので労働党と連立する可能性はない」とし、労働党の影の内閣のエミリー・ソーンベリー外相も選挙前の6月1日の会見で、「労働党は過半数に達しなくても最大政党となれば、他の野党と連立を組まずに少数派単独政権を樹立する」と改めて強調していた。

ただ、SNPのニコラ・スタージョン党首は6月2日のBBCラジオ4の番組で、「保守党を政権の座から追い出すためなら連立ではなく個々の案件ごとに労働党の少数与党政権を支えていく」と表明しており、コービン首相の誕生の可能性を示す。

メイ首相の内憂外患

選挙後もメイ首相のブレグジットをめぐる内憂外患は変わらない。今回の選挙で勢力を増した労働党がメイ首相のハードブレグジットを阻止するため、保守党の欧州共同体廃止法案(GBR)を廃案に追い込んで2回目の国民投票を実施し離脱阻止を図る恐れがあるからだ。GBRは英国内でEU法に直接効力を持たせる法令である1972年欧州共同体法(ECA)を廃止することを目的とした法案だ。英国がEUを離脱と同時にECAが廃止されるが、これは英国でのEU法の優位性が消滅することを意味する。つまり、すでに国内法となっている既存のEU法が廃止されるわけではなく英国法に取って代わられることになる。

労働党の「影の内閣」でブレグジット担当相のキア・スターマー議員は英紙デイリー・テレグラフの4月25日付電子版で、「メイ首相と違って、我々はEU交渉で何の成果もなしに一方的に離脱することは受け入れられない。(EU市場への自由なアクセスを放棄するなどハードブレグジットを掲げる政府・与党のEU離脱計画をまとめた)離脱白書を破棄し、英国に居住しているEU市民や労働者、消費者の権利や環境保護に関する法律を修正しない新法案「EU権利保護法案」を議会に提出してGBRを廃案にする」と述べている。

総選挙の行方がブレグジットにどう影響するかをめぐっては選挙前からさまざまな憶測が飛び交っていた。憶測が流れた背景にはメイ首相が3年前倒しで下院の解散総選挙を実施する意向を表明した4月時点の世論調査で保守党の支持率が圧倒的に高く地滑り的勝利を収めると見られていたが、選挙直前ではジェレミー・コービン氏が率いる最大野党の労働党が猛追し始めたことがある。

英市場調査会社ユーガブが選挙直前の5月26~30日にロンドンで実施した世論調査では労働党の支持率は50%と、2カ月前の37%から急伸。反対に保守党は34%から33%に低下し労働党のリードが17%ポイントに拡大。また、5月30~31日調査時点の全国平均でも保守党42%に対し労働党39%と、保守党のリードは2カ月前の21%ポイントからわずか3%ポイントに縮小し、ユーガブの選挙モデルによる議席獲得予想でも保守党は313議席と、過半数まで13議席足りず、外為市場で英国通貨のポンドが対ドル・ユーロで大きく売り込まれたほどだった。

米有力紙ニューヨーク・タイムズと英紙フィナンシャル・タイムズは早くからメイ首相の解散総選挙を支持する論陣を張っていた。特に前者は4月20日付の社説で、総選挙がメイ首相のEU離脱交渉を強めるかどうかについて、「メイ首相が解散総選挙は私利私欲のためではないという主張は偽善と言えなくもないが、それでも正しい判断だった」とし、その上で、「メイ首相が敢然とEU離脱をやり遂げようとしているとき、英国経済にどれだけの犠牲を強いて、どんなペースで離脱すべきかを決めるには国民からの後押しが必要になる。また、EUにとっても自分たちの将来にかかわる重要な離脱交渉の相手は総選挙を勝利して、いわば国民によって選ばれたメイ首相だと知るまたとない機会を与える」、さらに、「フランスとドイツの選挙が終わって、本格的に協議が動き出せばEUは他の加盟国も英国に追随しないよう英国には譲歩しない。そうなれば英国がEUに譲歩する圧力が高まりメイ首相は離脱支持派から突き上げられかねない。そんなとき最も重要なのはメイ首相が選挙で強い力を見せつけることによって交渉への柔軟性と権威が与えられることだ」とし、解散総選挙は英国とEUの双方にとって良いことと持ち上げていた。

英紙イブニング・スタンダードは6月8日付電子版で、保守党の獲得議席数が300~325議席のハングパーラメントになった場合の英国経済への影響について、「メイ首相はDUPと連携しても退陣圧力が高まり、ポンドは急落し1.2ドルを割り込む。国内銘柄が多いFTSE250指数や英国債も売り込まれ、金融市場の混乱が数週間続き、投資家は年内総選挙の実施を懸念して金などの安全資産に向かう」と分析し、メイ政権は一段と困難になったEU離脱交渉と国内経済の悪化という深刻な内憂外患に直面する、と予想している。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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