【築地市場の豊洲移転合意までの記録】開示請求で入手!小池改革で“海苔弁”の“海苔”が剥がれた

小池都政改革で、黒塗りだった豊洲移転協議の交渉記録が開示された

「ようやく海苔を剥がす状況になりました」

小池百合子都知事は11月25日の定例会見で、消えた盛り土に関する石原慎太郎元都知事への対応を記者から聞かれ、そう説明した。

まさに、その“海苔弁”の“海苔”が剥がれた。

次々に不透明な問題が出てくる豊洲(東京都江東区)問題。そもそも都は、そんな安全性へのリスクがずっと叫ばれてきた豊洲の東京ガス工場跡地に、生鮮食品を扱う市場の移転先として、誰がいつ、どのような話し合いによって決定し、購入したのか。

豊洲用地の所有者だった東京ガスとの交渉記録については、これまでの舛添都政時代までの間、情報開示請求しても「全面黒塗り」状態の資料が出てくるため、都が何かを隠しているのではないかと勘繰られ、「海苔弁」などと揶揄されてきた。

しかし、筆者は25日、豊洲購入の経緯を巡る両者の一連の生々しいやりとりが全面開示された資料を都への情報開示によって入手した。

「情報公開」を掲げる小池知事の指示によって、見事に「海苔」が剥がれていたのだ。

なお、開示される前の“海苔弁”の状況については、以下の記事に紹介されている。

なぜ、事前に話がなかったのか

今回、開示された資料は、合計48枚。都が東京ガスと話し合いを始めた1998年から、2001年2月に築地市場の豊洲移転に関する基本合意の覚書を交わすまでのやりとりが綴られている。

最初に登場するのは、平成10(98)年9月21日(月)の話し合い。まだ青島都政の時代だ。

残されているやりとりは、都が記したメモで、都の中央卸売市場の再整備担当部長と課長が、東京ガス本社11階会議室を訪問し、豊洲への移転可能性の調査について説明するところから始まる。

これまで黒塗りで伏せられてきたが、初めて開示された箇所は、ここかから先だ。

まず、東京ガス側が、

「調査内容は8月から始まっているのに今頃になって挨拶は不満だ。なぜ、事前に話がなかったのか。トップも怒っている」

と、相談もなく移転調査を進めてきた都の対応に不満を示している。

都側は、

「説明が遅れたことについてはお詫びしたい」

と、謝罪しながらも、

「本格的に調査するには、業界の意思の確認が必要」

などと釈明。この頃はまだ、市場には築地再整備の方針を説明していた時期で、市場の人たちにも事前の相談をせず、都が独断で豊洲調査を進めていたことも推測できる。

工事費の1000億円は分担で負担しろ

東京ガス側の不信感は収まらない。

「都に不信感がある。前には護岸は都で工事をすると言っておきながら、工事費の1000億円は分担で負担しろと言ってきた。

都としての意思決定はいつか。また、仮に移転するとしても、いつ頃から工事をするのか」

そして、「仮に移転するとして道路の逆算から計算し、工事は20年頃からとみている」という都の回答に対し、東京ガスは、こう要求する。

「いまの計画の支障になる。そんなに待てない。高い固定資産全を払わなければならない。誰が負担してくれるのか」

東京ガスは、88年に豊洲工場を閉鎖して以降、大街区の区画整理事業を進め、芝浦工大を誘致するなどの海や緑を生かした独自の街づくりを考えていた。

実は、筆者は10年以上前、当時、豊洲で街づくりをの手がけていた東京ガスの関連会社、東京ガス豊洲開発の江口洋社長にインタビューしている。

「98年4月頃から、都から移転論が出てきて、断りもなしに審議会などで移転の決済が行われ、驚いた。こちらで街づくりしているのに、来てもらっちゃ困るなと思いましたよ」(サンデー毎日2004年11月14日号)

寝耳に水だったという江口社長によれば、都から正式に移転の話が来たのは、石原知事が誕生した年の翌99年11月のことだったという。

それを裏付けるように、同年11月24日の「豊洲地区区画整理事業の東京ガスとの協議について」というタイトルの資料には、区画整理事業の協議の進め方を巡り、都と東京ガスとの間で食い違いが生じていることが紹介されている。

これまで、東京ガスは、95年頃から進む土壌汚染対策法の施行(2003年2月施行)をにらみ、「市場の移転計画によって、工場跡地を買い取ってもらうメリットと共に、埠頭の護岸工事や区画整理事業の事業費などを結果的には都が負担していることから、都から便宜を図ってもらったのではないか」(市場関係者)との見方もあった。

しかし、開示され記録によれば、同年11月11日、当時の福永副知事は、区画整理の協議の保留を申し入れるために訪問。同月19日の交渉では、都の港湾局などが「市場が移転する場合、区画整理事業についても変更が生じるので、協議を一時保留して頂きたい」と主張するのに対し、東京ガス側は「直ちに移転ありきの検討はできない」などと反論するなど、都がかなり強引に進めていた移転計画であったという流れが記されている。

埠頭の根元部分なら余地がある

11月30日、都の市場長や理事らが再度、協議の保留の申し入れを行い、当時の大矢市場長は「築地市場は移転するしかない。40ヘクタールの用地について、候補地を挙げて検討した中で、豊洲が条件にかなう」などと訴えた。ただ、なぜ「40ヘクタール」という広さが必要なのか、その数字の根拠は記されていない。

その後、都は「(豊洲埠頭の)先端部を欲しい」と要望。東京ガス側も、この頃から「移転あり」へと態度が変わりつつあるようで、「先端部は譲れない。ただ、埠頭の根元部分なら余地がある」と、先端部にこだわる様子が伺える。

都が埠頭の先端部を欲しがっているのは、埠頭を横切る高架道路を避け、敷地スペースを広く確保したかったからなのかもしれない。

「しかし、東京ガスには、先端部に手放すことのできない重要なガスの変圧施設があると聞いています」(当時の市場職員)

こうして同年12月2日付の「取扱厳重注意」と押印された「東京ガス(株)との交渉状況」では、これまでの計画に基づく区画整理事業の協議は「保留することで合意」される。

一方、同年12月24日に始まった東京ガスとの事前折衝によると、都は、4・5街区(付け根部分)での市場立地だと、「人工地盤の建設費1500億円。市場財政が成り立たない」などと主張。東京ガスは「6、7街区(先端部)は譲れない。お願いされても困難。我々も経済人」などと要望。そのうえで「使用料に跳ね返らない費用の出し方がないか?」「地元対策費(対東ガス)」などと訴えている。

翌00年5月11日、当時の福永副知事は東京ガスを訪れ、再び「豊洲先端部を市場用地として譲って頂きたい」と申し入れを行った。

結局、東京ガスが手放さなかった先端部分が残ってしまったために、いまの市場用地は分断されることになったという。

築地跡地を代替地としたい

同年7月、都は突如、「築地跡地を代替地としたい」と、東京ガスに持ちかける。

7月31日付の「東京ガス接触折衝」には、こう記される。

「前回(7月12日)、築地跡地を代替地としたい旨をお話した。中央区からの注文を危惧されているようだが、都が東京ガスの意向を踏まえて、都市計画に望めば、その危惧は払拭できると考える」

当時の市場職員がこう説明する。

「当初の豊洲の街づくり計画を止めなければいけない。そのために用意する土地として、築地を差し出しているのです」

しかし、東京ガスは「豊洲と違い、築地ではフリーハンドで土地利用できないことは問題点の1つと考えている」と答え、この申し入れを断っている。

事態が打開に向けて動いたのは、2000年10月、当時の濱渦副知事が登場してからだ。

同年10月4日、濱渦副知事が東京ガスを訪問。会談の記録によると、今後のまちづくりについて、副知事は「最大限協力する」「東京都総体としての協力をする」と約束する。

これに対し、東京ガスは、「経営判断を行うに足る条件が示されていない」と指摘。土地価格について「土地区画整理事業に基づく価格などは示してもらいたい」。また、開発者負担金についても、「この問題は、4島(注:豊洲、晴海、有明北、臨海副都心)全体に及ぼすことはできないことは理解している」などと発言。濱渦副知事は「そのことは、水面下でやりましょう」と引き取っている。

東京ガス側が「表に出すと、中央区や業界のリアクションも心配している。発表のタイミングが重要である」などと懸念を伝えると、当時の都の理事は「対外的に発表する場合は、十分に東京ガスとすりあわせを行う」ことなども確認。濱渦副知事は、やはり「水面下での作業を進めさせてもらいたい」などと話している。

また、ここまでの協議の中に「土壌汚染」の話が全く出てこないのは、その後、次から次へと噴出した不透明な出来事を考えると、問題だ。

ざっと見る限り、本当にここまで隠す必要のあった内容だったのか、首を傾げたくもなるが、今回、小池知事が9月に表明した「情報公開」の方針に沿って、民間の個人情報以外の「海苔」がすべて剥がれて出てきたことは、大きな前進といっていい。今回、開示された文書については、今後、関係者にも話を確認しながら検証していきたい。