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サムライブルーの競争力も強化?アディダスが最新トレーニング技術をマリノスに

本田雅一フリーランスジャーナリスト

アディダスがサッカー選手のトレーニング効果を最大限に引き出すスポーツウェアラブル機器「miCoach elite」を、アジアのサッカーチームとしては初めて横浜F・マリノスに提供したと発表した。

miCoach eliteはフィジカルトレーニング、あるいは練習試合などで、コーチがチームメンバー全員のステータスをリアルタイムに把握できるシステムだ。アディダスはこのシステムをイタリア・セリエAのACミランが誇る科学トレーニング研究部門「ミランラボ」と共同開発。ノウハウの蓄積を行ってきた。

システム一式。フィールドでの使用を想定して基地局側もバッテリ駆動できる
システム一式。フィールドでの使用を想定して基地局側もバッテリ駆動できる

現在ではブンデスリーガのFCバイエルンミュンヘン、MLS(メジャーリーグサッカー)の全クラブ、スペイン代表、ドイツ代表、コロンビア代表、メキシコ代表、アルゼンチン代表といったナショナルチームで導入されている。

マリノス導入のうわさを聞きつけ、横浜のマリノスタウンでフィジカルコーチの篠田洋介氏にマリノスにおけるmiCoach eliteの活用方法、今後の可能性などについて話を伺ってきたので、今回はそのレポートを行いたい。

取材を進めていくと、なるほど興味深い点が見えてくる。miCoach eliteを使うことで日本人に最適化されたトレーニングプログラムの開発、そしてジュニア世代からの育成プログラムを生み出せるというのだ。

まずはmiCoach eliteの仕組みから簡単に紹介しよう。

GPSと心拍計、加速度センサーを活用したフィジカルモニター

miCoach eliteを構成するのは「プレーヤーセル」「テックフィット」「ベースステーション」という三つのアイテムと、クラウド上で提供される分析アプリケーション、それに「miCoach eliteダッシュボード」と呼ばれるiPadアプリケーションだ。

高機能性アンダーウェアにプレーヤーセルを装着
高機能性アンダーウェアにプレーヤーセルを装着

プレーヤーセルにはGPSセンサー、ジャイロセンサー、加速度センサー、心拍センサー(アンテナ部以外)、地磁気センサーが内蔵されている。このプレーヤーセルを、miCoach elite専用に開発されたテックフィットに取り付ける。

これらのセンサーを用いることで、走行距離、瞬間速度、加速度、活動していたエリアなどを検出でき、”どのぐらいの時間走っていたか”、”瞬間的な活動量の多さ”などの情報を知ることができる。各データを時間軸で揃えれば、心拍数との関係性を調べたり、あるいはフィジカルトレーニング時の負荷をコントロールできる。

マリノスタウンの練習用フィールドで準備する篠田コーチ
マリノスタウンの練習用フィールドで準備する篠田コーチ

miCoach eliteテックフィットは、ここ数年ですっかりスポーツ業界に定着した高機能性アンダーウェアだが、心拍計測用センサーのアンテナと無線LANでベースステーションとつながるためのアンテナを内蔵。肩甲骨の間に取り付けることで、アンダーウェア全体がmiCoach eliteシステムの一部となる。

一方、ベースステーションは最大30人分のプレーヤーセルから無線LAN経由で各種データを受信。データを分析した上でiPad上で動作しているmiCoach eliteダッシュボードに送り込み、コーチが全員のフィジカルデータを活用できるという仕組みだ。

ベースステーションは大容量バッテリを内蔵しているためフィールドのどの位置にでも移動できるほか、プレーヤーセルを格納すると同時に充電器としても機能する。そしてトレーニングセッションが終わり、ベースステーションをクラブハウスに持ち帰ってインターネットに接続すると、自動的にmiCoach eliteのウェブサイトと接続し、クラウドにトレーニングデータが蓄積されていく。

こうしたハードウェアやソフトウェア、サービスの構成だけを聞くと、以前に紹介した同じアディダスのmiCoach SmartRunという、スマートウォッチによく似ていると思うかもしれない。

しかし、SmartRunがフィジカルデータを基に、スマートウォッチに組み込まれたトレーニングプログラムに沿ってアドバイスを出したり、クラウド側のサービスでユーザーに自動アドバイスが行われるなど、エンドユーザー向けのサービス・機能をシステマチックに出すよう作られているのに対し、プロチーム向けのmiCoach eliteはフィジカルコーチがトレーニングメニューを最適化するための分析データを与えるという点だ。

つまり、miCoach eliteを使うコーチが個人ごとに異なる体の特性・特徴に合わせあトレーニングプログラムを与えられるようになるのだ。

マリノスにおけるmiCoach elite活用法

各選手が装着するプレーヤーセルから送られるデータをiPadで閲覧
各選手が装着するプレーヤーセルから送られるデータをiPadで閲覧

「たとえば、走る距離や速度などの負荷が同じでも、選手によって心拍数は異なります。たとえば心拍数が上がっていないのに走力が落ちる選手がいたり、心拍は上がりきっているのに平然と走れる選手もいます。心拍数を単純に計測しているだけでは、本当に適切な負荷をかけられるかというと、選手の特徴や求められる役割(ポジション)、その日の体調などで変わってきます(篠田コーチ)」

miCoach eliteを用いれば、心拍数データと運動パフォーマンスの数値化できるため、その場に応じた適切なアドバイスを送ることができるわけだ。加えてこうしたデータをクラウドにアップロードしておけば、後からさまざまな角度でデータを分析。さらには過去のトレーニングデータと比較しながら、トレーニング成果を評価することも可能だ。

篠田コーチは「パッと見ただけでは平気な顔をしているのに、実はオーバーワークということもよくあります。コーチは選手個々の特性を把握した上でペースを変えさせたりといったことを勘でやっていました。これを数値管理できるのはイイですね。また同じフィジカルトレーニングをインターバルを置きながら繰り返していると、だんだん疲労が蓄積してパフォーマンスが落ちてきます。落ち方は人それぞれで、では疲労がたまりやすい体質なのであれば、それをどうやって改善しようか?と、トレーニング後に次のメニューを組み立てる際にも役立ちます」と、篠田コーチは活用方法について一例を話した。

選手個別にカスタマイズを行い、リアルタイムデータと突き合わせてデータをモニター
選手個別にカスタマイズを行い、リアルタイムデータと突き合わせてデータをモニター

「安静時心拍数を選手ごとにあらかじめ設定し、トップスピードや最大加速度なども選手ごとに数値決めておけるので、運動強度を決定する際にもすぐに値を導けます。プロ選手ばかりですから、練習のサボりをモニターする必要性はほとんどないのですが、逆にオーバーワークは気をつけなければなりません」

プロだからこそ必要なフィジカルの管理

サッカー選手と契約するチーム側の立場で言えば、選手との契約金が高騰する中、選手のコンディションを正確に把握する必要がある。怪我のリスクを最小限に抑えながらも、練習や試合に出場する時間をいかに延ばすか。サッカー選手という資源を最大限に活用せねばならないチーム側としては、これも大きなテーマだ。

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いつもよりも心拍の上昇が早かったり、70%以上の高負荷で動ける連続時間が下がるなど、様々な形で選手個々のコンディションは数値として現れる。たとえ選手自身が「大丈夫」といっても、数値上で著しいパフォーマンス低下があれば、無理をさせずに済む。

実はこれまでも、シューズ内に入れる活動量計であるアディダスの「SPEED CELL」を練習で活用してきた。これだけでも、選手の移動距離、スプリントの量や質、総運動量などの活動状況を時間軸でグラフ化して理解できた。しかし、GPUや心拍計とのデータ付き合わせができず、リアルタイムにデータを把握できないといった加え、対応シューズがアディダスだけのため選手全員に対する対応ができないというデメリットがあった。

チーム全員のフィジカル管理が可能という点で、miCoach eliteは今後、プロチームに欠かせないアイテムとなっていくだろう。

ところで、GPS内蔵という特徴もあって、フィールドのどのあたりで活動していたかなどの情報も取得可能だと考えられるが、篠田コーチからはそうしたデータの活用については聞かれない。何故?と尋ねると、次のような答えが返ってきた。

まず、公式試合では国際試合も含め選手の状態をリアルタイムに知るようなテクノロジデバイスを使うことが、現時点では禁止されているからという点がひとつ。また、miCoach eliteは選手の肉体に関連する情報を管理することが目的で、戦略面のサポートを行うツールではないから、というのがもうひとつの理由だという。

もっとも、その”フィジカルデータ”に関しては、別の情報取得が可能にならないか?というリクエストは篠田コーチにもあるようだ。たとえばmiCoachシリーズにはバスケットボールなどにも使えるX-Cellというスポーツウェアラブルデバイスがある。X-Cellを使うと”ジャンプの高さ”を記録することが可能になり、練習や練習試合でヘディングを行った後のフィジカルデータの変化が分析可能になる。

miCoach eliteの”キモ”は、デバイスやシステムではなく、蓄積されてるデータと、そのデータをどのように扱うかというノウハウだろう。現時点のmiCoach eliteは説明した通りだが、miCoach eliteから得られるデータを、今後何年もの間記録し続け、時にデバイスが進化して精度が上がり、新たな測定項目が増えていく。その全てが、未来に向けての価値となっていく。

miCoach eliteは、”未来の戦闘力”を高めるツールとも言えるだろう。

「日本人に最適な育成プログラムを作りたい」と篠田コーチ

篠田コーチはかつてサッカー選手として活躍したが、十字靱帯切断という大けがが元で選手としての道をあきらめた。篠田コーチが選手だった時代、大きな怪我をしてもスポーツ選手として復帰するための治療プログラムを組めるドクターは皆無。

そうした経験から、自らプロスポーツ選手のための怪我を未然に防ぐためのトレーニングプログラム開発をしたいと思い立ち、米国に運動生理学を学ぶために飛び出したのが1991年のことだったという。10年間、米国で学んだあとに帰国。2002年から横浜F・マリノスのフィジカルコーチを務めている。

そんな篠田コーチの話でもっとも興味を惹いたのが、ジュニア世代からの育成プログラムにmiCoach eliteを役立てたいという話だ。

「もちろん、プロチームのコーチとして、チーム成績を引き上げるための役割を果たすことも重要です。しかし、もうひとつこのシステムを使ってやりたいことがあるんですよ」と篠田コーチは話し始めた。

「プロ選手は肉体的に完成されているため、トレーニング手法に関しては理論が確立されています。ところが、これはジュニア世代となると違って来るんです。ジュニアからのサッカー選手育成プログラムは欧州で開発が進んでおり、そのノウハウも共有されていますが、日本人と成長曲線が欧州人とは異なるからです」

「では、ジュニア世代を育てていくために、どのようなフィジカルトレーニングを重ねていくべきなのか。miCoach eliteは多様なフィジカルデータをリアルタイムに取得できると共に、データをクラウドの中に蓄積。データベース化することができます。miCoach eliteを使い込むことで、日本人に適したジュニア育成プログラムの開発がスピードアップできるのではないかと期待しています」

実はマリノスでは、2000年から継続して跳躍力、反応速度、短距離走、負荷をかけた後の乳酸値など、様々なフィジカルデータを定期計測したデータベースを作ってきた。チームに所属する小学校5年生からプロまでの幅広い年代をカバーし、14年間ずっと欠かさず情報を蓄積してきたという。これまでも、この過去データを細かく分析してきたが、miCoach eliteがあれば、作業の進捗速度が上がるというわけだ。

もっとも、ものごとには段階も必要だ。miCoach eliteは市販製品ではなく、あくまでもフィジカルトレーニングの最適化を模索するため、プロチームや各国代表チームとアディダスが共同で行っている研究でもある。試しにアディダス担当者にmiCoach eliteのシステム価格を尋ねてみると「現時点で市販予定はないカスタムメイド。積み重ねてきた開発コストも考えると、価格は付けられない」との答えが返ってきた。

これではジュニア世代、あるいはもっと裾野を拡げて学校のサッカー部といったところまで一般化させることはできないが道筋はある。プロ用のmiCoach eliteで積み重ねたデータの山が、トレーニングメソッドに新たな地平を開く可能性がひとつ。もうひとつは、得られたノウハウを個人向け製品としてフィードバックするという手法だ。

専任フィジカルコーチはいなくとも、クラウドとの連動により、プロのフィジカルコーチが築き上げたメソッドで、エンドユーザーにアドバイスを送れるようになれば、篠田コーチの「ジュニア時代から日本人に適したメソッドでサッカー選手を育てる」という夢も実現できるに違いない。

各国代表も次々に採用しているというmiCoach eliteは、使い始める時期が早いほど、ノウハウの蓄積という面で有利だ。今導入して、明日から直ぐに効果が出るというデバイスではない。2020年・東京オリンピックをひとつの節目とするなら、時間はあと6年しか残されていない。

実はmiCoach eliteから得られるデータ。公式試合では活用禁止と書いたが、実はMSLではオールスターゲームで全員がmiCoach eliteを着用。リアルタイムに得られるフィジカルデータを、テレビ放送でビジュアライズする試みが行われたそうだ。実にアメリカらしい演出とも言えるが、そうした”ショーアップ”を含みながら観客を巻き込みつつ、フィジカルトレーニングメニューの開発に繋げ、ひいては東京オリンピックで主力となる若きサムライブルーの育成に役立ててほしいものだ。

フリーランスジャーナリスト

IT、モバイル、オーディオ&ビジュアル、コンテンツビジネス、モバイル、ネットワークサービス、インターネットカルチャー。テクノロジとインターネットで結ばれたデジタルライフと、関連する技術、企業、市場動向について解説および品質評価を行っている。夜間飛行・東洋経済オンラインでメルマガ「ネット・IT直球レポート」を発行。近著に「蒲田 初音鮨物語」

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