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がん「余命宣告」でトラブル 医師の見積もる「余命」は、当てにならない?

市川衛医療の「翻訳家」
イメージ(写真:アフロ)

 がんになった時に医師より「余命宣告」を受けて財産などを処分したのに、その期間後も生き続けたことによって「憤りを感じた」とする声が報道されました。

余命宣告トラブル 医師から「1年」、それから5年…仕事や財産手放し困惑 西日本新聞 7/30(月) 9:52配信

「医師から『次の誕生日は120パーセント迎えられない』と説明を受けた」と言う。取引先にあいさつして回り、経営する設計企画事務所を閉じた。財産は売却したり、子どもに譲ったりしたほか、親族には別れの手紙を書いた。ホスピスにも一時入所した。

 診断から5年。体に痛みがあり通院しているものの、「死」が訪れる気配は感じていない。抗がん剤治療の影響で歩行が難しくなり、車の運転もできなくなった。生きていることは喜ばしいことだが、「ATLというのは誤診だったのでは。納得できない」と憤る。

出典:西日本新聞

 記事によれば「次の誕生日は120パーセント迎えられない」と断定的に言われたかどうかについては、ご本人と医療機関側で認識が食い違っているようです。

 いずれにせよ、伝えられた期間より長く命がつながったことは、本来なら喜ばしいことなのに、そのことによって「憤り」を感じなければならないというのは悲しいことです。

 そもそも、がんのことを語る際に、ドラマなどで良く見る「余命期間」というものは、どのくらい正確なものなのでしょうか?そしてどう決まっているのでしょうか?

「余命」はそんなに当たらない

 「医師が予測する『余命』は、そんなに当てにならない」という調査結果が2014年に発表されています(※1)。

 対象は75人のがん患者さん。14人の腫瘍内科医が、患者さんの状態(食事をとれているかどうかなど)の情報をもとに余命を見積もり、その後、実際の生存日数と合っていたかどうかを調べました。

 もちろん、ぴったり予測するのは難しいですから、実際の生存日数とのズレが3分の1以内であれば「正しい」としました。

 例えば実際の生存期間が120日だった場合、予測が80日~160日であれば「正しい」とする、というわけです。

 素人感覚からすると、このくらいのズレが許されるのであれば高い確率で当たりそうな気もしますよね。

 ところが結果は、「予測が正しかった」のは全体の36%にとどまりました。短すぎたケースは28%、長すぎたケースは36%と、だいたい同じ割合です。

 つまり、実は専門家にとっても、「余命」の予測は非常に難しいのです。

そもそも「余命」ってナニ?

 今回調べた限りでいえば、「余命」に関しては一般的に「生存期間の中央値」とされているケースが多いようです(※2)。

余命という言葉から受けるイメージは、多くの人が「残された命の期間」だと思いますが、余命は「生存期間中央値」のことです。

生存期間中央値

生存期間中央値とは、その集団において50%(半分)の患者さんが亡くなるまでの期間のことです。例えば100人の患者さんを対象にする場合、50人目が亡くなった時点が生存期間中央値ということになります。

出典:「はじめてガン保険」

 例えば「あなたの余命は3か月です」と言われた場合、その本当の意味は「あなたのような患者さんが10000人いた場合、5000番目の人が亡くなるのはいまから3か月後の可能性が高いです」ということになります。

 いわゆる末期とされる「がん」を抱える人であっても、病状の進行に関しては、その人の体力や年齢、さらには性格や家庭状況にいたるまで様々な要素の影響を受けます。

 非常にばらつきが大きいので、統計的に見てだいたい半分くらいの人が亡くなるタイミングを「余命」としているのです。

 というわけで、「余命」に関しては『あくまで目安であり、それほど当てにならない』ものだと捉えたほうがよさそうです。

「余命」と、どう付き合うべきか

 それでは、「余命」を聞くことに意味はないのでしょうか?

 それはケースバイケースであり、私なら聞きたいと思います。これは「目安」だということを十分に理解した上で、ひとつの参考とすることには意味があると思うからです。

 人生のおおよその残り期間を知ることで、気にかかっていることを片づけたり、大切な人に思いを伝えたりするスケジュールを立てやすくなります。

 冒頭で紹介した論文でも、「患者さんの生存期間を正確に予測することが難しいとしても、望む人に対しては真摯に伝えなければならない。そうすることで、生活の質を高められる可能性があるからである」と結論しています。

 考えてみると、余命を聞くのはあくまで「手段」であり、本質的に重要なのは「残された時間で、したいことが出来るかどうか」なのかもしれません。

 それを実現するために大事なのは、いざというときに「期間」を聞くだけでなく、その時間で「何をしたいのか?何が気になっているのか?」を担当の医療者に率直に伝えることです。

 そうすれば単なる目安の「余命期間」だけでなく「そういう願いがあるのであれば、こんな手段がある」「こんな治療のほうが良いかもしれない」という専門家ならではのアイデアをもらえるはずです。

 逆に言えば、そういう伝え方をしたにもかかわらず真摯に対応してくれない医療者に関しては、「信頼をするに当たらない」と考えても良いのかもしれません。

 現在、日本人の死因の第1位となっている「がん」。わたし自身や家族が「余命」を告げられる側になる可能性は低いものではありません。

 そうなったときに自分なりに満足できる選択ができるよう、「余命」の意味について少しでも考え、心構えをしておきたいと思っています。

(注釈)

※1…Curr Oncol. 2014 Apr;21(2):84-90.

※2…まれな部位のがんなどで大規模なデータがそもそも存在しない場合は、担当医師のこれまでの経験などに基づく予測による「余命期間」が伝えられているケースもあるようです

医療の「翻訳家」

(いちかわ・まもる)医療の「翻訳家」/READYFOR(株)基金開発・公共政策責任者/(社)メディカルジャーナリズム勉強会代表/広島大学医学部客員准教授。00年東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療・福祉・健康分野をメインに世界各地で取材を行う。16年スタンフォード大学客員研究員。19年Yahoo!ニュース個人オーサーアワード特別賞。21年よりREADYFOR(株)で新型コロナ対策・社会貢献活動の支援などに関わる。主な作品としてNHKスペシャル「睡眠負債が危ない」「医療ビッグデータ」(テレビ番組)、「教養としての健康情報」(書籍)など。

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