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相次ぐ開発失敗 「認知症を治す薬」はなぜ出来ないのか

市川衛医療の「翻訳家」
薬イメージ(写真:アフロ)

認知症の最大の原因とされるアルツハイマー病。日本のみならず世界中で多くの人が抱える病ですが、いまだに根本的な治療法がありません。

今月14日、アメリカの製薬大手メルク社は、アルツハイマー病の治療薬として期待されていた薬剤「ベルべセスタット(Verubecestat)」の開発を一部中断すると発表しました。(プレスリリースはこちら)

軽度から中度のアルツハイマー病を抱える方に、この薬を投与する大規模な試験を行っていたのですが、外部の機関により「良い効果が出る見込みがない」と指摘され、中止に踏み切ったということです。

この薬は「今度こそ成功するのでは」と期待されていたものでした。去年、32人に投与する小規模な試験を行ったところ、この病気の原因とされる「アミロイドβ(ベータ)」という物質が減るなど、期待を持てる結果が確認されていたからです。

ところが今回、実際に多くの人に投与してみると、どうやら「認知機能の衰えを防ぐ」ことができなそうなことがわかりました。

「失敗」続くアルツハイマー病治療薬の開発

実は近年、アルツハイマー病治療薬の開発は「連戦連敗」を続けています。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事によれば、過去10年間に世界中で行われたアルツハイマー病の薬の試験のうち99.6%が失敗しているということです。

「連敗」の始まりともいえるのが、2008年に、世界で最も権威があるといわれる医学専門誌の一つ「Lancet(ランセット)」に掲載された、'''アミロイドβを減らすワクチン'''の効果を調べた研究です。

内容を要約すると、次のようなことです。

アルツハイマー病による認知症になった人に、アミロイドβを減らすワクチンを投与してみた。すると、脳にたまったアミロイドβを減らすことができた。それにもかかわらず、脳の衰えを防ぐような効果はなかった。

例えて言えば「インフルエンザの薬を飲んで、原因であるウイルスは減ったのに、熱は下がらなかった」というくらいの、ちょっと信じられない結果です。当時、世界には衝撃が走りました。

なぜ、このような結果が出たのか?その理由について、大まかにまとめると3つの仮説が出されています。

●仮説1 薬に副作用があり、効果が打ち消されてしまった

●仮説2 薬を投与するタイミングが遅すぎた

●仮説3 そもそもアミロイドβは原因ではない

投与するタイミングが遅すぎた?

現在、なかでも有力だと考えられているのは、仮説2の考え方です。

実はこれまでの研究で、アミロイドβは認知症が発症する20年ほど前から脳にたまり始める傾向があることがわかっています。

そこから考えていくと、アミロイドβはそれ自体が脳にダメージを与えるというよりは、「引き金」を引く役割をしているのかもしれません。だとすると、認知症になってからアミロイドβを減らしても、あまり意味がないということになります。

では、どうすれば良いのか。いま主流になりつつあるのは、『薬を病気が始まる「前」から投与する』という考えです。

アミロイドβが「引き金」の役割をしているとすれば、投与するのは病気が始まるずっと前のほうが良いはずだ、というのは素直な考えですよね。

実は冒頭でご紹介した「ベルべセスタット」も、アルツハイマー病をすでに発症した方への試験は取りやめましたが、『まだアルツハイマー病による認知症を発症していないけれど、そのリスクの高い人』への試験は続けています。

つまり、これまで治療薬が「連戦連敗」を続けてきた理由は「投与のタイミングが遅すぎた」というのが有力な仮説となっており、それを見直した研究が始まっている、というのが現在の状況であるといえそうです。

進む研究 増える課題

ただ、仮にこうした考え方による開発が成功したとしたら、新たな課題が生まれると考えられます。

それは薬にかかる膨大な「コスト」をどうするかという問題です。

もし新たにできる治療薬が、上記の仮説によって生まれたものであった場合、薬は「認知症の発症が予測されるずっと前から使い始め、その後は死ぬまで中断できない」ものになると考えられます。その場合、かかる医療費は高額なものになります。

いま現在でさえ、日本全体の医療費は年間40兆円を超え、医療制度が維持できるかどうかの瀬戸際を迎えていると指摘されています。そこに、さらに認知症の薬の負担を賄う余力が本当にあるのか、慎重な検討が求められるようになるでしょう。

「いまできる」対策に目を向けよう

いま、「認知症の治療薬」を求める切実な声が世界中であげられています。それに応えようと、数限りない研究者たちが、薬の開発を目指して尊い努力を続けています。個人的には近い将来、アルツハイマー病を中心とした認知症の人を減らせる治療法が出てくるに違いないと信じています。

一方で、近年報告される研究成果を見ると、薬の効果にはおそらく「限界」があると予測されます。「治療薬」と言った場合に通常イメージされる「すっかり治す」というようなものでなく、「病気の進行を、ある程度ゆるやかにできる」というものになりそうです。

さらに前述したように、薬にかかる費用を考えると、私たち国民みんながすぐに使えるものになるかどうか?ということも、いまのところ不明です。

では、絶望するしかないのでしょうか?

そんなことはありません。実はこれまでの研究で、アルツハイマー病を含めた認知症を予防できる方法は、ほぼ明らかになっています。

それは「高血糖(糖尿病)」や「高血圧」など、いわゆる生活習慣病にならないように心がけること。そして、なってしまった場合は、良い状態をキープできるよう、生活習慣の改善や治療に取り組むことです。

(一方で、生活習慣病に気を付けた生活をしていても認知症になるケースは多く存在します。上記を読んで、「認知症になった人は不摂生をしていた」と単純に思われないよう、切にお願いいたします。)

さらに、認知症になって記憶力や判断力が衰えたとしても、それをサポートする社会的なシステムや理解があれば、生活や介護にかかる負担を減らせることもわかってきています。

これから超高齢化を迎える日本のなかで、認知症を抱える人が増えるのは間違いありません。ただ残念なことに、「近い将来、薬が開発されて認知症から解放される」と楽観視できる状況ではなさそうです。

だからこそ必要なのは、私たちひとり一人が認知症について少しでも理解を持ち、「いま」何ができるかを考えることなのかもしれません。

執筆:市川衛ツイッターやってます。良かったらフォローくださいませ

医療の「翻訳家」

(いちかわ・まもる)医療の「翻訳家」/READYFOR(株)基金開発・公共政策責任者/(社)メディカルジャーナリズム勉強会代表/広島大学医学部客員准教授。00年東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療・福祉・健康分野をメインに世界各地で取材を行う。16年スタンフォード大学客員研究員。19年Yahoo!ニュース個人オーサーアワード特別賞。21年よりREADYFOR(株)で新型コロナ対策・社会貢献活動の支援などに関わる。主な作品としてNHKスペシャル「睡眠負債が危ない」「医療ビッグデータ」(テレビ番組)、「教養としての健康情報」(書籍)など。

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