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東京都の中学生英語スピーキングテストを〝尻をたたく策〟だけにしてほしくない

前屋毅フリージャーナリスト
(提供:AFRC_152/イメージマート)

「成果をちゃんとみてあげるため、教えたものをきちんと評価するためです」というのが、東京都教育庁の担当者からの答だった。それにいまひとつ納得できないでいたのだが、そのモヤモヤが1冊の本によって晴れた気がしている。

|英語が中学校で必修科目となったのは2002年から

 現在の中学2年生が受けることになる2023年度の都立高校入試から、東京都は「中学校英語スピーキングテスト」を導入することを決めている。従来の英語の授業は「読む・書く」が中心で、「聞く・話す」は疎かにされがちだった。

 しかし2021年4月から全面実施となっている新学習指導要領の外国語(英語)では、4技能「読む・書く・聞く・話す」を総合的に育成することが強調されている。「読み・書き」だけでなく、「聞く・話す」の指導にも力をいれていこうというのだ。

 そして、「聞く・話す」を指導するのだから、その成果を高校入試で評価しましょう、というのが記事冒頭の教育庁の説明である。その理屈もわからないのではないが、新学習指導要領が全面実施になったのは昨年の4月からである。にもかかわらず2023年度入試でスピーキングテストを導入というのは、ちょっと性急な気がしないでもないのだ。

 新学習指導要領が変わって授業も簡単に変われば問題ないのだが、長年にわたって続けられてきた「読み・書き」中心の授業を変えるのは簡単ではない。現場の英語教員に訊いてみても、「戸惑っている」という声が多い。そんななかで高校入試でスピーキングテストが課されていいものなのだろうか。ちょっと性急すぎる気がするのだ。

 スピーキングテストを実施するのは東京都だけで、ほかに実施を表明している自治体はない。多くの自治体がスピーキングテスト導入は性急と考えているからにほかならないのだが、なぜ東京都は23年度からの導入を実現しようとしているのだろうか。そんなことを考えているときに出会ったのが、『「なんだ英語やるの?」の戦後史』(著者:寺沢拓敬)という本だった。その「まえがき」の部分に、次のような記述がある。

「中学校で英語(正確には「外国語」です)が必修教科になったのは、21世紀に入ってから、2002年のことなのです」

 これには驚いた。筆者もふくめて2002年よりずっと以前に中学生だった日本人も、ごく当然のように中学で英語の授業をうけていた。必修教科だとおもっていたはずなのだが、実質必修科目でしかなかったのだ。なぜそうなったのか、その理由を同書は、英語教育学者の中村敬氏の小論「英語が必修科目であることの意味」から次の引用で答えている。

「[英語は]なぜ実質必修科目だったのか。その直接的理由は、1955年以降英語を高等学校の入試科目に加える県が増えたからである。それが中学校における英語の選択制度を空洞化した大きな理由の一つだ」

 必修科目ではなかった英語をすべての中学生が〝強制〟されたのは高校入試の科目だったからなのだ。入試科目にあれば、学校としては授業をやらないわけにはいかないし、生徒も授業をうけないわけにはいかない。念のために言っておけば、寺沢氏は著書で同様の先行研究を複数紹介し、掘り下げて論じている。

|スピーキングテストは実質必修化と同じことにならないか

 高校入試の科目として加えられたことで、英語は中学校で実質必修科目となった。このことと、東京都の中学校英語スピーキングテストとは似ている。

 スピーキングテストが都立高校入試の科目となれば、学校も生徒も対策を迫られることになる。新学習指導要領に切り替わっても、従来の「読み・書き」だけの授業から抜けられない教員は少なからず存在しているのだが、それは許されないことになる。

 都立高校を受験しないならスピーキングテストは無視できる、わけではない。これまで都立高校入試は、入試当日の学力検査の得点が700点、調査書(内申)点が300点の合計1000点満点で評価されてきた。入試当日とは別に行われるスピーキングテストの配点は20点で、その結果は学校に伝えられて内申点に加算されることになる。内申点が320点となる。内申点に加わるのだから、都立高校を受験してもしなくても、スピーキングテストは中学3年生全員が受けなければならないのだ。

 つまり、中学校での英語の授業では、「聞く・話す」を軽視するわけにはいかなくなってくる。スピーキングテストがあることで、「聞く・話す」も〝強制〟されることになる。高校入試科目に加えられることで必修科目ではない英語が実質必修科目となったように、スピーキングテストによって「聞く・話す」も必修化と同じように、否が応でも〝やらざるをえない〟ところに追い込まれるわけだ。

 新学習指導要領でも「やる」と決まったのだから無理にもやらせる仕組みにしたほうがいい、という考え方もあるかもしれない。新しいことに尻込みをしている教員にもやらせるには強制的にやるしかない、との意見もあるかもしれない。

 それを完全否定するつもりはないのだが、それでいいのだろうか。テストで尻をひっぱたくようなやり方が、テスト対策に終始することで、ほんとうに英語の力を育てることにつながっていかないかもしれない。

 入試科目にすることで実質必修化した英語で日本人の英語力が向上したかどうかは、いまの大人の実態を見ればわかる。スピーキングテストで「聞く・話す」の力を評価する仕組みが、同じ轍を踏むことになることだけは避けたい。尻をたたくだけではない、もっと前向きな策につながることと同時に、さらに前向きな策が講じられることを期待したい。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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