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子どもたちが変わった〝平和〟というテーマ ~自由学園で感じた「もの足りなさ」と向き合ってみた~

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 すこし前のことになるが9月21日と22日に、東京・東久留米市にある私立「自由学園」で「平和週間」の特別授業が行われた。21日の戦争体験者の話を聴く授業を参観させてもらい、もの足りなさを感じていたのだが・・・。

■荒れていた学園

 自由学園には幼児生活団幼稚園、初等部(小学校)、男子部・女子部(中等科・高等科)、そして最高学府(大学部)までがあり、そこでの一貫教育を特徴としている。そして男子部・女子部ともに1学年1クラスで、多くの生徒が寮生活をしているのも大きな特徴である。

 平和週間の特別授業に参加したのは男子部・女子部の生徒で、緊急事態宣言中ということで、初めてのZoomで行われた。今年の特別授業は96歳になる戦争経験者とバリアフリーを研究する東京大学准教授の講演を2日に分けて聴くというもので、筆者が参観させてもらったのは1日目の戦争体験者の授業だった。2日目の講演も参観できていれば違ったのかもしれないが、平和週間に戦争体験者の話を聴くという内容に「公式化されたイベント」という印象をもってしまった。もちろん、それが悪いというのではなく、もの足りなさを感じたのだ。

 その印象を正直に学園に伝えると、自由学園で平和週間が始まった経緯と目的とを、現在は女子部部長(校長)を務める更科幸一さんに説明してもらうことになった。

「私が男子部の部長に就任したのが2015年でしたが、当時の男子部はいわゆる『荒れた』状態でした。上級生にいじめられたと言って職員室に泣きながら駆け込んでくる子が後を絶たない。『変えるぞ』と自分に気合いを入れて、『学習をしっかりしよう』という話を生徒にしました。学習をしっかりすることが学校改革につながるといわれていたので、それを参考にしたわけです。結果は、大失敗でした」

 そしてソーシャルワーカーにも相談しながら、「平和の感じがない」ことが原因だということに行き着く。1学年1クラスで全体の人数も少ないし、ほとんどが寮生活という環境は力で制する「権力構造」が成り立ちやすい環境であり、実際、そうなっていた。上級生は下級生を力で抑え込むし、クラス内でも誰かを蹴落としてでも上になろうとする構造になってしまっていた。だから、職員室に泣きながら駆け込んでくる子がでてくる。

■平和は戦争だけが問題ではない

「平和の感じというのは安全安心な環境のことです。それがなければ落ち着いて生活できなければ、学習にも向き合えないし、いじめもなくなりません。

 とはいえ、教員が『平和、平和』と言葉だけを言ってみたところで、生徒たちに伝わるわけがありません。そこで、外部の人に来ていただいて、いろんな方向からの話をしてもらおうと考えたのです」

 そして2016年9月に、第1回の平和週間の特別授業が行われた。平和だから戦争体験者や被爆経験者などの話を聴く、というふうにはならなかった。戦争だけを問題にするのではなく、日常的に安心安全が保障される環境としての平和を生徒に考えてもらうことが目的だったからだ。それは、講師として招いた顔ぶれにもあらわれている。

 1回目の平和週間には4人の講師が招かれている。1日目には16年も刑務所に服役したことのある、いわゆる「反社会的勢力」と呼ばれるところにいる人が、自分の経験から「暴力からは暴力しか生まれない」という内容の話をしている。2日目はジェンダーをテーマにした講演で、3日目は声にならない声を聞くことの大事さに関する話であり、4日目は自分の頭で考えて実践することが平和に通じるということを写真を用いて説く内容だった。戦争という平和についてのモノラルな見方ではなく、多岐にわたっている。

 実際には戦争と直接むすびつく講演は意外にも少なく、その姿勢は変わってはいない。たまたま筆者が参観した日の講師が戦争体験者だったために、「公式化されたイベント」と早合点してしまったことになる。

■変わった生徒たち

「私が意図したことが実現するには少なくとも5年くらいはかかるかな、と当初は考えていました。ところが、子どもたちの学びは想像以上に早くて、2年目が終わったころから変化が見えてきました」と、更科さん。「たとえば、寮生活ではいろいろな係がありますが、それを素早くできる子とできない子がいます。できない子は文句を言われたり、いじめられることもありました。しかし平和週間にいろいろな講師からいろいろな視点を教えられて、『人には個性がある』ということに気づき、係の仕事を素早くできないのも個性だから尊重しなければならない、といった雰囲気ができていきました。それまで寮での係は上級生が下級生に押しつけるのが普通でしたが、上級生も積極的に係の仕事をやるようになって上手に分担するようになってきています。まさに『平和の感じ』です」

 2年目からは平和週間の企画にかかわる係を生徒からの希望で募り、生徒が主体的にかかわるかたちをとっている。ただし、テーマを決めて、講師との打ち合わせなどはやるけれど、講師を人選するところに生徒はかかわっていない。講師の人選は、部長の更科さんが自分のネットワークを使ってやっている。更科さんが言う。

「テーマにあった講師を探してくるのも生徒に任せたいと思っているし、年々、生徒にハンドルを渡すようにしてきています。しかし学校や生活が忙しくて、その時間がなかなかとれないのが現実です」

 時間の捻出が難しいために、今年は平和週間の実施そのものが危ぶまれる状況になってしまった。更科さんが続ける。

「今年の6月くらいに係の生徒たちとミーティングをしたんです。そのときに環境のことと情報化社会をテーマにしたいという話はありました。ただ漠然としたものでしかなく、もっと具体的にイメージを固めようというところで、そのときは終わりました。その後、いつまで経っても生徒から連絡がない。時間が過ぎていくばかりで、このままでは平和週間の特別授業はできないかもと私は考えましたけど、ハンドルは生徒に渡してあるので、自主的に動きだすのを待っていました。

 ようやく係の生徒たちが連絡を再開したのは8月の終わりごろだったと思います。『自分たちで決めていかなきゃいけないよね』という流れになっていったんですが、平和週間は9月の開催が決まっているし、そこからテーマを煮詰めて、生徒たちが自分で講師を探していたのでは、とても間に合わない。

 そうこうしているうちに、『戦争体験者の話を聴けないか』ということになりました。8月は終戦記念日もあってメディアも戦争についてとりあげる時期ですから、生徒たちも影響されたのかもしれません」

 講師は更科さんのネットワークで探してくるという例年と同じことになった。6月時点でテーマ候補になっていたはずの環境や情報化社会は消えてしまっていた。

■主体的に動こうとして立ち止まってしまった

 日々の忙しさに紛れて、係の生徒たちは平和週間の特別授業のことを忘れてしまっていたのだろうか。それを確認したくて、係のひとりだった男子部高等科3年生の中村侑人さんに時間を割いてもらった。6月から8月まで空白ができてしまった理由を訊ねると、彼からは次のような答が戻ってきた。

「どういうテーマでやりたいか全校生徒からアンケートを集めて、そこから環境問題と情報化社会に絞り込みました。それが6月のころです。そこから、ただ講師に来ていただいて話を聴くだけでなく、もっと生徒全員が得るものが大きなものにしていくにはどうすればいいかという話をしていて、それがわからなくなってしまったんです」

 忙しさにかまけて怠けていたわけではない。より意義深いものにしようとして悩み、そして立ち止まってしまった。

「ただ講演を聴くだけでは受け身でしかないので、もっと生徒が能動的にかかわれるやり方はないかと話していました。そのために講演も聴くけれど、その前後に生徒同士でディスカッションしながら学び、意見をもって講演を聴けば理解も深くなるはずだ、という話もしていました。僕も、そういうやり方のほうがいい、と思っていました。

 でも、今年は例年に比べて平和週間の特別授業に割ける時間も少なかったし、新型コロナの影響でリモートでの開催になる可能性が大きかったので、ディスカッションのような形式は難しいかもしれない、という話にもなりました。難しい、難しい、で止まっちゃいました」

 そして、時間切れとなってしまったことになる。例年と同じようにやろうと思えば、悩むこともなくスムーズに仕事もすすめられたのかもしれない。足踏み状態になってしまったのは、ただ同じことの繰り返しではないものにすることに能動的に取り組もうとしていたからである。

「すでに来年に向けての準備が始まっています。僕は卒業するけれど、後輩たちも同じ思いを強くもっています。来年は、ディスカッションをふくめて、もっと生徒が主体的にかかわる特別授業になると思います」

 さらに、講師捜しを更科さんに頼っていることについても訊いてみた。そこは生徒たちも考えているようだ。中村さんが続ける。

「すでに始まっている来年に向けた準備のなかで、テーマを決めると同時に、それについて話してもらえる講師を、僕たちが探せる範囲でも探してみようという話にはなっています」

 中村さんの話したことが全部、来年、実現するかどうかはわからない。しかし生徒たちが、より主体的に取り組もうとしていることは確かだ。

 平和週間の特別授業をつうじて、自由学園の生徒たちは「平和の感じ」を自分たちのものにするだけでなく、受け身ではなく自らが主体的にかかわることも身につけようとしている。決まり切った行事を押しつけるだけだったら、こんな成長はなかったかもしれない。更科さんが意図した以上に、生徒たちは成長しつつあるようだ。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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