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おかしな萩生田文科相の発言は、若者の選挙投票率の低下を加速させるかもしれない

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:アフロ)

■文科相としては珍しく消極的

 萩生田光一文科相は2月24日の閣議後会見で、「現実に照らすと、すごく難しいところはある」と述べた。強気の発言が多い萩生田文科相にしては、かなり消極的な発言である。

 彼が「難しい」としたのは、主権者教育で現実の政治的事象を扱うことについてだった。「難しい」から「やらないほうがいい」とも受け取られかねない発言である。

 有権者として政治に参加するための政治的教養を育成するのが、主権者教育の狙いとされている。2015年6月19日に公布され、翌年6月19日に施行された改正公職選挙法によって公職選挙の選挙権が20歳以上から18歳以上に引き下げられ、高校3年生でも選挙権を有するようになったことをきっかけに、主権者教育の必要性が叫ばれるようになった。

 文科省は2015年10月に、各都道府県教育委員会などに宛てて、「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」という通知をだしている。そこには、「生徒が国民投票の投票権や選挙権を有する者として自らの判断で権利を行使することができるよう、具体的かつ実践的な指導を行うことが重要です」と記されている。積極的な政治教育を求めているように読める。

 しかし、すぐに次のように続けられている。

「政治的中立性を確保することが求められるとともに、教員については、学校教育に対する国民の信頼を確保するため公正中立な立場が求められており、教員の言動が生徒に与える影響が極めて大きいことなどから法令に基づく制限などがあることに留意することが必要です」

 主権者教育をつうじて教員が生徒を特定の政治色に導くことへの強い警戒感がうかがわれる。戦後の長い教職員組合との対立が影響しているのかもしれない。

 つまり「具体的かつ実践的な指導」を求めながら、一方ではくどいほどに「公正中立」を強調している。アクセルを踏みながら、同時にブレーキを強く踏み込んでいるのと同じことだ。

■アクセルとブレーキを同時に踏む主権者教育

 18歳選挙権が実現して最初の国政選挙となったのが、2016年7月の参議院議員選挙だった。当然のごとく、高校での主権者教育が注目された。

 その実態は、模擬投票など「投票の仕方」だけを教える無意味な内容のものがほとんどだった。アクセルとブレーキを同時に踏み込むような文科省の要求に、学校現場が立ちすくんでしまった結果である。

 そして今年2月19日、つまり冒頭の萩生田発言の直前に、文科省の「主権者教育推進会議」の第18回会合が開かれ、そこで「最終報告案」が提示されている。そこには、これまで3回の国政選挙が行われ、18歳の投票率及び高等学校段階を終えた19歳、20歳の投票率が低下する結果となっている」という記述が見える。

 選挙権の年齢が引き下げられ、主権者教育が行われてきたはずなのだが、若者の政治への関心は高まるどころか低下しているということだ。主権者教育はまったく効果をあげていないといえる。

 19日の「最終報告案」も、それを認めている。それを踏まえていくつかの提言を掲げたうえで、「これら提言の実現のためには、学校関係者のみならず各界各層を含めた社会総がかりでの取組、いわば『国民運動』として主権者教育推進の取組を展開することが併せて重要である」と締めくくっている。「国民運動」という言葉を使うほどの意気込みなのだ。

 ところが、この最終報告案を意識しているはずの24日の萩生田文科相の発言はトーンダウンしている。「国民運動に」と主権者教育推進会議では報告させようとしているにもかかわらず、文科相は「難しい」と言っているのだ。アクセルを踏み込む前に、ブレーキを踏み込んだことになる。

 萩生田文科相は24日の会見で政治的中立について、さらに次のように述べている。「総務省に届け出のある政党の政治家が、すべての地方自治体にいることは、まず考えられない。たとえば、私の街には私しか国会議員はいない。対立軸のある候補者がいればいいが、現実に照らすと、すごく難しいところはある」

 すべての地方自治体にすべての政党の国会議員がいるわけではないから中立性のある主権者教育は難しい、というのだ。おかしな話である。

 学校での主権者教育の授業は、国会議員がやっているわけではない。そんな実態がないにもかかわらず、すべての政党の国会議員が地元にいないから中立が実現できないというのは奇妙でしかない。

■すべての自治体にすべての政党の国会議員が必要なのか

 萩生田文科相の話を素直に受け止めれば、中立性のある主権者教育を実現するには、すべての自治体にすべての政党の国会議員がいるようにしなければならない。そして各学校の主権者教育には、国会議員が主体的にかかわらなくてはならない。

 そんなことは無理だ。萩生田文科相にしても、そんな環境づくりに積極に取り組んでいく気などないはずである。

 すべての政党の国会議員の意見を聞くことが必要というなら、オンラインができる。それでこそ、文科省が推し進めているGIGAスクールの実践になるのではないだろうか。その可能性すら、萩生田文科相は無視している。

 主権者教育推進会議が踏もうとしているアクセルに対して、ただブレーキを踏んでいる発言にしかおもえない。これでは、これからの主権者教育も無意味なものにしかならない可能性が高い。若者の政治への関心はさらに低下し、投票率も下がりつづけることになるだろう。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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