文科相の「1人1台の端末」発言に「宝の持ち腐れ」が再現される気配

(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 萩生田光一文科相が、「私が文科相在任中に1人1台の端末、きちんと画像が動くような高速ネットインフラを整備したい」と述べている(『教育新聞』2019年11月26日付)。

 11月13日に開かれた経済財政諮問会議で安倍晋三首相は、教育現場でパソコンが1人に1台ずつ普及するのは当然との見解を示している。その安倍発言に追随するような萩生田発言で、内閣内での点数は稼げたのかもしれない。

 問題は、「1人1台の端末」さえ実現すれば、教育現場でICTが有効に利用されるようになる「錯覚」から抜け出せていない発言内容である。

 麻生太郎内閣で文科政務官を務めた自らの体験をあげ、パソコンや校内LANの整備に取り組んだものの、地方財政措置として一般会計を経由して自治体に予算を公布したために成果が得られなかったケースもあると説明している。予算を公布したが自治体が他に使ってしまったために普及が不十分となった、といっているのだ。

 だから今回は、国が主導して全国の学校にICT環境を整備する仕組みの構築をやるのだという。国が主導すれば学校は絶対に従う、という「自信」が萩生田文科相にはあるようだ。

 しかし、「1人1台の端末」を実現したところで、それが存分に使いこなせるようになるわけではない。ハード面だけでなく、どういう場面でどういうふうに使っていくのかのソフト面が整わなければ、「1人1台の端末」は「宝の持ち腐れ」になってしまう。

 かつてパソコンの重要性が強調されたときに、多くの学校に「パソコン教室」なるものが登場した。パソコンをずらりと並べた教室で、パソコン教育を実践するための教室だった。しかし多くのパソコン教室は、有効に利用されることなく、ただパソコンが並ぶだけで子どもの姿がみられない教室になってしまった。「宝の持ち腐れ」になってしまったのだ。

 ハードは整備したけれど、ソフトがまったく整備されなかった結果である。萩生田文科相が張り切って「1人1台の端末」を実現したところで、それを使うソフトが整備されなければ、またもや「宝の持ち腐れ」となってしまう可能性は大きいのだ。

 自治体が予算を目的どおりに使わなかった、と自分が文科政務官時代の失敗の理由を指摘した萩生田文科相は、ソフト面については一言もふれていない。それは安倍首相も同じで、どうソフトを整えていくかについては、まったく言及していない。

 ソフトなどなくてもハードさえあればICT環境は整うというのが、お二人の認識なのかもしれない。もしくは、「ハードは与えるから、ソフト面は学校現場で良きに計らえ」という発想なのかもしれない。

 小学校での英語やプログラミング教育の導入を決めて、その実践については「学校に任せた」というのと同じ発想である。言うだけいって、あとは丸投げ。それでいて、結果だけは厳しく求めてくるのだ。

 教育現場を知らない首相が丸投げするのは致し方ないとしても、少なくとも首相よりは学校現場の現実を知っていなくてはならない文科相が、首相と同じ「丸投げ」でいいのだろうか。

 数年後に振り返って、「文科相時代に取り組んだが学校現場が怠けた」などと萩生田文科相にいってほしくない。ハードだけでなくソフト面もふくめたICT環境の整備、そして学校現場の現実を的確に把握したうえでの萩生田文科相の発言を期待したいものだ。