貧困すぎないか、100人増員という文科省の発想
文部科学省(文科省)が、公立小中高校で「主幹教諭」を来年度に100人増員する方針を固めたそうだ。学級担任をもたず、校務の統括やPTA対応といった管理業務の一部を担う中間管理職が主幹教諭で、学校事務が集中する管理職の業務負担を軽減する名目で制度が設けられた。
それを増員して管理職の負担を軽減し、過重労働の是正につなげるのが狙いらしい。とはいえ、気になるのは100人という数だ。公立学校の数は、小学校だけでも2万校を超えている。全校に1人の増員にもならないのは、容易にわかる。「焼け石に水」でしかない。
そもそも、主幹教諭を置く意味があるのかどうかも疑わしい。「管理職の負担軽減を目的に2008年度に制度化された。しかし、主幹教諭の業務が明確化していないこともあり負担減にはつながらず、16年度の教員勤務実態調査では、平日の平均勤務時間は小中学校とも副校長・教頭が12時間台で最も長かった」(『毎日新聞』8月25日付)という実態だからだ。主幹教諭の配置は副校長・教頭の負担軽減につながっていない。
副校長・教頭の負担が大きく、長時間労働になっているのは、「余計な仕事」が学校のなかで増えているからである。PTA対応から教育委員会などから依頼されたアンケートなどのとりまとめ、学習指導や生徒指導のとりまとめ、そして校舎の修繕といった雑務までが副校長・教頭の仕事となってしまっている。教員がやらなければならない仕事なのか、と首を傾げざるをえないものも多い。
そうした仕事の内容は見直さず、「焼け石に水」的な対応で乗り切れると文科省が本気で考えているとすれば、発想が貧困すぎる。授業を担当する教員の数も不足している状況にもかかわらず、さらに授業以外の仕事に教員を割こうというのは、なんでもかんでも教員にやらせようという発想でしかない。教員の力は授業にこそ使うべきである。
その発想が、副校長・教頭、そして教員の多忙を生んでいる原因でもある。その発想を改めなければ、学校の過重労働問題は解消されないだろう。