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読売教育賞とグッドデザイン賞の受賞作コラボが生む学びに向かう力

前屋毅フリージャーナリスト
作者の説明に自らの考えを膨らませていく(撮影:筆者)

 ことわざに、「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というのがある。のどの渇いていない馬に無理やり水を飲ませるのは不可能だ、という意味だ。

 日本の教育は、このことわざと逆のことを必死でやっている。勉強する気のない子どもに無理やり勉強させようとする傾向が強い。子ども自身が勉強したいとおもう、肝心なところが抜け落ちている。

 それが問題と考え、子どもたちが勉強したいとおもう、学びに向かう力を育てようとしている学校の授業を見学してきた。その学校は、埼玉県所沢市立の三ヶ島中学だ。

 同校では、毎週金曜日の始業前10分間をつかって「朝鑑賞」を行っている。芸術作品について、その作者や描かれた時代背景といった「知識重視」ではなく、目の前にある作品のどこに何が描かれているかを観察し、それを発表しあい、友人の見方を聞きながら考えを深めていく「対話型鑑賞」の実践のひとつである。観察する力、考える力、コミュニケーション力などが養われ、「それが学びに向かう力につながる」と同校の沼田芳行校長はいう。この試みは、今年の「読売教育賞」の優秀賞を受賞した。

 朝鑑賞を沼田校長に勧めたのは武蔵野美術大学の三澤一実教授で、彼は武蔵美で「旅するムサビプロジェクト」も主催している。武蔵美の学生が、小中学校を訪問して自らの作品について子どもたちと語り合うプロジェクトである。これも今年、日本で唯一の総合的デザイン評価・推奨の仕組みである「グッドデザイン賞」を受賞している。

 見学したのは、朝鑑賞と旅するムサビの特別バージョンによるコラボ授業だった。普段の朝鑑賞は、教員が司会役となりクラス単位で行われている。この日は、それに作品の作者である武蔵美の学生が参加するのだ。前半は通常の朝鑑賞、後半には作者が登場して生徒と学生との意見交換になる。

 朝鑑賞の場合、作者の意図に重きはおかれない。作者とは関係なく、自分の目で観たものから、自分なりの思考をふくらませていくことを重視するからだ。

 しかし特別バージョンでは作者が登場し、自らの意図を説明する。「正解」が明かされることになって鑑賞者の勝手な解釈は許されなくなる、と想像されるかもしれない。

 しかし、違う。作者の意図は、子どもたちの見方や発想を否定するものではない。それを知ることで、さらに自らの考えを深めていく刺激になっていく。作者である学生も、自らの意図を説明するが、それを押しつけたりはしない。

 作者にとっても、子どもたちの独自な見方と発想を受け入れることが、自らの考えをひろげていく刺激になる。「学校での批評とは違う見方に驚かされた」とか「思いがけない感想が聞けて楽しかった」といった感想が学生たちから聞かれた。

作者と鑑賞者の対話が新たな刺激を呼ぶ(撮影:筆者)
作者と鑑賞者の対話が新たな刺激を呼ぶ(撮影:筆者)

 単純な「正解」を追い求めるのではなく、対話によって互いが刺激を受けることで、知りたいという意欲を高め、さらなる創造の意欲をかきたてる。鑑賞者も作者も「水を飲みたい」ということに気づく。知識詰め込み型では絶対に得られない、まさに学びに向かう力である。いま教育に必要とされているのは、こうした姿勢ではないだろうか。

 

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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