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ハウツーばかり求める教員では、子どもは成長しない

前屋毅フリージャーナリスト

文科省は小・中学校の学習指導要領改訂案で「アクティブ・ラーニング」という文言を消し去って「主体的・対話的で深い学び」と代えてきた。その理由を「定義が曖昧な外来語で法令には適さない」と説明しているのだが、外来語を日本語にしてみても「曖昧さ」は変わらないし、学校現場の混乱ぶりも変わらない。

なぜ学校現場は混乱するのか、日本協同教育学会会長で中京大学教授(教育心理学)の杉江修治氏に訊いた。

杉江氏は近著『協同学習がつくるアクティブ・ラーニング』(明治図書)で、アクティブ・ラーニングは「めざす学力こそが目標であって、子どもが動くことが目標ではないのです」と警鐘を鳴らしている。文言を代えてみても、ほんとうの意味が学校現場で理解されいなければ混乱は続くし、文科省が理想論を掲げたところで、それは「画に描いた餅」でしかない。

――アクティブ・ラーニングの文言が代えられても、文科省が「アクティブ・ラーニング的」なことを学校現場にやらせようとしているのは変わらないわけで、現場での大騒ぎも変わりませんね。

「やったことのないことをやらされるわけですから、大騒ぎするでしょうね。ただ、その騒ぎ方に問題があります。

アクティブ・ラーニングでもアクティブ・ラーニング的なものであっても、その本質がわからなくて大騒ぎしているのか、その技法(ハウツー=how-to)を習得しなきゃというので大騒ぎしているのか、では大きな違いがあります。後者での大騒ぎになっているのは日本の教育文化ともいえるもので、問題ですよね」

――本もたくさん出ていますね。

「ハウツーを出しておけば売れる(笑)。その浅さが、日本の教育にとっては良いことではありませんね」

――本質を理解しようとする姿勢に乏しいわけですね。

「ただ子どもたちを、形だけ動かすのがアクティブ・ラーニングと誤解されている例が多すぎます。ひどいのは、教師が子どもたちにたくさん質問して、たくさん答えさせればアクティブ・ラーニングだと言っているものまである。そんな上辺のハウツーでは、これまでの教師主導の授業とまったく変わらず、子どもたちにとっては受け身の授業でしかない。そんなものは、アクティブ・ラーニングではない」

日本協同教育学会会長・中京大学教授の杉江氏
日本協同教育学会会長・中京大学教授の杉江氏

――なぜ、ハウツーばかりが溢れて、教員も本質に目を向けようとしないで、ハウツーに走ってしまうのでしょうか。

「ひょっとしたら、大学の教員養成課程で、ハウツーしか教えていないからじゃないですか。いい人材は多いとおもうんですけどね」

――本質は、どこにあるのでしょう。

「効果的な学習にするには、学習する側のモチベーションを高めることです。アクティブ・ラーニングの本質は、そうした子どもたちの学習へのモチベーションを高めることにあります。そこをしっかり理解しておかないと、アクティブ・ラーニングにはならない」

――協同学習とアクティブ・ラーニングとの関わりも、そこですか。

「世間では、協同学習というと『ただの助け合い』だと思われているようです。しかし、違います。

協同という学習場面によって子どもたちのモチベーションを高める、それが協同学習です。一人ひとりの学習意欲が実現できるように、お互いに支援し合うのが協同学習なのです」

――単純に教え合う、ということではないんですね。

「協同学習の定義は、集団のなかの全員が高まることを目標にすることです。まわりの人がみんな自分の味方、自分の応援団ですから、こんなに意欲の湧く場面はない。協同学習では、自ら学びたいと思うし、学ぼうとします。子どもが変わるんです」

――具体的な協同学習の授業とは?

「たとえば、豊臣秀吉を勉強する授業を想定します。『昨日、秀吉について勉強したけど、彼は何をやった?』と教師が質問し、次々と生徒を指して、『刀狩り』『検地』とか答えさせていく」

――そこにスピード感をもたせればいい、というのがアクティブ・ラーニングの誤った解釈であり、ハウツウなわけですね。

「教師は、『きのうの授業で、秀吉が刀狩りや検地をやったことを勉強したよね。なぜ、それをやったんだろう?』といった質問をしたほうがいい。それにつて生徒から出た意見を一覧にして、それについて議論させる。子どもたちは意欲をもつし、学びも深くなります」

――アクティブ・ラーニングの本質も、そこにあるわけですね。

「協同学習の狙いは、アクティブ・ラーニングでやろうとしていることと同じです。もっと言えば、アクティブ・ラーニングは協同学習そのままなんです」

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――なぜ文科省は、協同学習があるのに、あえてアクティブ・ラーニング、今度は主体的・対話的で深い学びなどするのでしょうか。

「文科省も協同学習の本質を理解していないからじゃないですか。協同学習を、助け合いやグループ学習としか理解していないのかもしれません」

――ハウツーを優先する教員が、アクティブ・ラーニングや協同学習の本質に基づく実践はできるようになりますか。

「協同学習に本気で取り組んでいる学校に赴任して、その本質を知る機会がなければ無理ではないでしょうか。普通の学校に勤務していたら、子ども主導ではなく、教師主導という発想から抜けきることはできないでしょうね。

文科省にも、子どもに教え込むのではなく、子どもの学びを支援するという協同学習とアクティブ・ラーニングの本質を教師が理解する仕組みをつくってほしいんですけどね」

――文言を代えている場合ではなく、学校でアクティブ・ラーニングの本質が実践できる体制を整えることに力を注ぐべきだということですね。ありがとうございました。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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