ようやくのMRJ初飛行、まだまだスタートライン
きょう(2015年11月11日)、日本初の国産ジェット旅客機と注目を集めてきた三菱航空機のMRJ(三菱リージョナルジェット)が愛知県名古屋空港で初飛行を行う。日本の航空産業が新ステージを迎えるきっかけになると話題になっているが、ただ喜んでばかりもいられない。
MRJの初飛行は、2013年6月に予定していたものの2014年に延期となり、それも今年にずれこみ、それも10月26~30日のいずれかの日に予定していたが、操舵用ペダルを改修する必要が生じたためにきょうに延期になるなど、5回もの延期を繰り返してきている。そのため2014年1~3月としてきた初納入も、延びのびになってきている。こうした開発の遅れから、世界最大の航空ビジネスの場といわれるパリ国際航空ショーで今年は1機も受注できないという苦戦に追い込まれている。
2013年1月には状況を打開するために三菱航空機は、社長兼最高執行責任者(COO)に川井昭陽副社長を昇格させ、江川豪雄社長は空席だった会長兼最高経営責任者(CEO)に就任させる人事を発表した。三菱重工業で名古屋誘導推進システム製作所長や航空宇宙事業本部長などを歴任してきた航空機開発ではエースの川井氏を新社長に投入することで開発の遅れを挽回し、江川氏には会長として海外での受注活動に専念させようとした。
三菱航空機としては「背水の陣」を敷いたわけだ。しかし、うまくいかず初飛行は延びのびとなり、受注もうまくいかない状態だったわけだ。
そのため今年3月末付けで川井社長と江川豪雄会長が退任し、三菱重工の特別顧問に就任する人事が行われた。MRJ事業がうまくいかない責任をとらされた、との見方もあった。
そしてMRJを任されたのが、川井氏に代わって社長に就いた森本浩通氏だった。1977年に京都大学経済学部を卒業して三菱重工入りした川井氏は、発電プラントの輸出に長く携わるなど一貫してエネルギー畑を歩いてきており、航空事業とは無縁のキャリアであり、三菱航空機が非航空事業系出身者を社長に迎えるのも初めてのことだった。米国法人社長の経験もあることから海外ビジネスにも明るいため、海外への売り込みに強みがあるといわれたものの、前述のようにパリ国際航空ショーで1機の受注もとれなかったという事実から説得力がない。三菱航空機の混乱ぶりを象徴するだけの人事だったかもしれない。
ともかく、その森本社長のもとで初飛行が実現しようとしている。その成功に浮かれることなく、これをはずみにしてMRJの受注を伸ばし、日本初の国産ジェット旅客機を世界に認めてもらうことを最重要と考えなくてはならない。初飛行の成功は、まだまだスタートラインでしかない。