『はだしのゲン』問題、責任のなすりつけ合い
ダメだこりゃ・・・というフレーズが頭の中を駆けめぐる。そんな古いフレーズしか頭に浮かばないことに我ながらあきれながら、やはり「ダメだこりゃ」とつぶやく。
8月29日付『読売新聞』(電子版)は、『はだしのゲン』(中沢啓治)を閉架図書にして閲覧制限するよう要請したことについて、島根県松江市教育委員会が校長会を開いて要請を撤回した、と伝えている。そして、混乱を招いたことを謝罪したという。
そして『読売』は、次のようにも伝えている。
「閉架については、市教委側が『あくまで各候の判断にまかせる<お願い>だった』と説明したのに対し、出席者からは『要請を受け、ほとんどの学校が閉架にしている。強い要請、指示だった』との意見が相次ぎ、認識のずれが浮き彫りになった」
問題なのは「認識のずれ」ではない。市教委も校長側も、混乱を招いたのは「自分たちの責任ではない」と言っていることが最大の問題である。
市教委は、自分たちは「お願い」したにすぎず、閉架にして混乱を招いたのは校長の責任ですよ、と主張している。それに対して校長側は、自分たちが判断したわけではなく、市教委から強い指示があったから閉架にしまでのことだから自分たちに責任はない、と言い張っているわけだ。
双方とも責任をなすりつけて、責任回避をはかっているだけのことでしかない。いったい「はだしのゲン」問題から、彼らは何を学び、何を考えたのか。
まるで何も学びもしなければ、考えもしなかった、としかおもえない。ただただ保身に汲々とする姿しか見えてこない。
そんな彼らが教育を牛耳る。ダメだ、こりゃ。子どもたちのことは無視して責任のなすりつけ合いに終始する彼らが教育を動かしているのでは、あまりに子どもたちがかわいそうだ。