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「中絶の権利」を奪うことを認めた米・連邦最高裁:約50年ぶりの大変化が何を生むか

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
「ロウ判決」が違憲となり、最高裁の前で泣き崩れるデモ参加者(写真:ロイター/アフロ)

 アメリカの連邦最高裁は6月24日、人工妊娠中絶を憲法上の権利と認めた1973年の「ロウ対ウェイド判決」を覆す判断を下した。この判断により、保守派が優勢の州で中絶の禁止や制限の強化が進むと見られている。

今回の判決

 今回の訴訟(「ダブス対ジャクソン(The Dobbs v. Jackson」)は州独自の厳格な妊娠中絶規制を導入したミシシッピー州に対し、同州内で中絶措置ができる唯一のクリニック(Jackson Women's Health)やそれを支援する女性団体が訴えたものだった。ポイントとなったのが「ロウ判決」の存在であり、クリニックにとっては「州の中絶規制はロウ判決に照らして違憲である」と訴えた。しかし、そのロウ判決そのものが覆された。

 これで州が独自の州法で人工妊娠中絶を禁止することが可能となる。既に妊娠中絶に否定的な州では州法で妊娠後15週以降の中絶の禁止や、妊娠後8週という妊娠したことも分かりにくい段階での中絶禁止を進める州もある。福音派にとっては「命は神が宿すもの」という意識が強く、母体に影響がなければレイプや近親相関でも中絶を禁じているのが一般的な州法だ。

 中絶禁止の州では望まぬ妊娠をした女性は、州外のクリニックに行くか、州内でも「闇」で処置するところを探すしかなくなる。残念ながら人種と経済力はいまだに一定程度以上の関連があるため、「ロウ判決違憲」で最も影響を受けるのが人種マイノリティの女性であるとみられている。

 現在の最高裁は9人の判事のうち6人が保守という超保守の構成となっている。トランプ政権時代以前は保守4、リベラル4、中道1の構成だったが、3人の判事の任命がたまたまあったのが大きい。保守(故・スカリヤ)→保守(ゴーサッチ)、中道(ケネディ)→保守(カバノー)、リベラル(ギンズバーグ)→保守(バレット)となり、現在の超保守の構成になった。この帰結が今回の判決である。

 ロウ判決を覆して、中絶禁止を州の裁量とするこの最高裁判決は5月初めの事前リーク報道の通りだった。「もうこの段階なので、多数派意見(「ロウ違憲」)が変わることは9割以上の確率でほぼない」と複数のラジオで私自身が発言したが、やはり変わらなかった。

実際の多数派意見はリークされたものとほぼ同じ内容だった。特に多数派意見の冒頭5,6頁目にある下記の一節はプロチョイス(妊娠中絶容認派)にとって取り付く島もない。多数派意見の中で「ロウ判決は間違っていた」という表現が筆者が確認しただけで10以上あった。

「ロウ判決は判決の日から、合衆国憲法と衝突する方向に進み、ひどく間違っているものだった(Roe was also egregiously wrong and on a collision course with the Constitution from the day it was decided)5頁

「ロウ判決は最初からひどく間違っていた(Roe was egregiously wrong from the start)6頁

 リークでは9人の判事のうち、5対4となっていたが、最終的にロバーツ長官もロウ判決を違憲とする側に加わり6対3となった。

 最高裁は例年10月に会期をはじめ、翌年6月末か7月はじめまでその会期が続く。

近年、会期の一番最後に大きなトリとなる判決を下す。大きな判決は金曜日に出すことが多いが、判決後のデモなどの反発も予想されるため、独立記念日直前の連休の直前の7月1日を避けて、6月24日に判決を公表したのではないかと想像する。

福音派の悲願だが

 いずれにしろ、ほぼ50年ぶりの大変化である。73年の「ロウ判決」以前と同じように各州が中絶を判断する時代に戻る。50年前の世界にタイムスリップすることになる。

 この「ロウ判決」当時、南部や中西部の福音派は「最高裁はリベラルすぎる」と批判した。ただ、判決は7対2と圧倒的だった。憲法修正14条のプライバシー権や法の下の平等は当然とされた。

 「ロウ判決」以降、福音派は一気に政治に近づき、保守派判事の任命を大きな政治的な目標とした。福音派にとってはその長年の狙いがようやく実った形だ。福音派にとっては判決は歓喜の瞬間だったはずだ。

 一方で各種世論調査では一貫して国民の多数派は「ロウ判決」を維持することを願っていた。大きな失望感が広がっている。

 リーク報道以降すでに全米規模の反対運動が生まれてきた。その運動の際、プロチョイス側の運動のシンボルとして使い続けているのが「ハンガー」である。「ロウ判決」以前は中絶措置ができない女性が針金のハンガーを使って胎児を殺めるような不衛生で危険な状況だったことを思い出させようという狙いだ。ハンガーによる中絶というのはかつては実際にあったことだといわれている。「そんな時代に戻すのは許せない」という強いメッセージである。判決で「ハンガーの時代」が再び訪れたことになる。

判決の影響

 アメリカ政治をずっと見てきたものとして、5月のリークでこうなるのは分かっていたが、それでも頭を強く殴られた感覚がある。判決日の2022年6月24日はアメリカ史の教科書に長年記述されるであろう。

 判決直後のアメリカの公共放送NPRの特別番組のライブ放送では「司法が落とした核爆弾」という表現もあったが、「ロウ判決」が覆されることはそれほどの意味を持っている。まず、トリガー法を決めている13の州で中絶が間もなく違法となる。この13州を含めて、全米で26州が中絶へのアクセスを大幅に制限する可能性があるとされている。

 議会で妊娠中絶を禁止する州の女性を救済するための各種法案もリーク後、提出されたが、下院で通っても50対50の上院では通過しなかった。中絶の権利を認める声は多数派だが、上院の場合各州2人であり、州の数からいえば上述のように中絶制限を求める方がほんの少し上回るため、今後も立法での救済措置はなかなか難しい。

 議会が動けない中、既に民間企業の中から救済の動きが出ている。JPモルガン・チェースなどの複数の企業は、中絶のために州外に出る必要がある従業員の費用を負担することを決めている。

福音派の次の狙い

 福音派が次に狙うのは2015年に最高裁が認めた同性婚だ。控訴されたものの中で最高裁が取り上げ審理するのは数%のみだが、超保守の最高裁の判事構成を考えるとその可能性もある。もし最高裁が取り上げた場合、同性婚も違憲となるのはほぼ必至であろう。 当然であるが、既に性的マイノリティコミュニティでは大きな動揺も広がっている

 今回の最高裁判決に関し、多数派意見の一つとして、トマス判事は「同性婚や避妊を保護する判決を最高裁は再考するべきだという趣旨の意見を述べている。

 具体的には「グリスウォルド判決、ローレンス判決、オベルジェフェル判決を含む、実体的デュープロセスに基づいた判例すべてを再考する必要がある 」と言っている。

 ここでいう「実体的デュープロセス(substantive due process)」とは、合衆国憲法修正14条の「デュープロセス条項」に記載されている「自由」を「個人の選択の自由」と解釈し、「個人の選択の自由」を守るため、州が制定した法を連邦裁判所が違憲とするものである。

憲法修正14条第1節(該当部分)

如何なる州も法の適正手続き無しに個人の生命、自由あるいは財産を奪ってはならない。さらに、その司法権の範囲で個人に対する法の平等保護を否定してはならない。

 トマス判事の見解は、連邦裁判所が州の行為を「憲法に明示されていない」という観点から批判するものだ。つまり、ロウ判決などの根拠を根本から否定するものだ。

 トマス判事が指摘した「ロウ判決と同じように今後再考すべき」判決

・グリスウォルド判決(1965年のGriswold v. Connecticut):権利章典によって認められたプライバシー権を有し、避妊に対する州の制限から人々を保護することを決定している。

・ローレンス判決(2003年の Lawrence v. Texas ):同性のメンバーが親密な性的関係を持つことを犯罪とすることは、適正手続条項に違反すると判断した。

・オベルジェフェル判決(2015年のObergefell v. Hodges):最高裁は同性婚を支持する判決を下し、それによって全米で同性婚が合法化された。

政治への影響

 政治への影響はどうか。投票率が低い中間選挙は「怒り」などの強い感情が投票率を決め、結果を左右する。リーク後の世論調査では「投票に行く可能性が高くなる」のはプロチョイス(妊娠中絶容認派)の60%とリベラル派の投票意欲は予想通り高まっている。ただ、「投票に行く可能性が高くなる」としたのは、プロライフ(妊娠中絶反対派)も36%であり、この数字の解釈は難しいところだ。「歓喜」「さらに次を」なのか、保守派の投票意欲も一定程度高まっている。

 実際の判決でどうなっていくか。プロチョイス側は「怒りの夏(summer of rage)」を合言葉にして判決に異を唱える全米の運動を繰り広げることを決めている。

 バイデン大統領は判決直後の会見で「秋の選挙ではロウ判決見直しについて審判が下される(This fall, Roe is on the ballot)」と指摘した。

 いずれにしろ、判事任命承認をする上院だけでなく、州知事、州議会などの候補者はこの判決で秋までの戦い方が変わってくる。

 今後の展開がどうなるか。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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