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「シャープパワー」は自由な社会が生んだ鬼っ子か

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
米露首脳会談直後の発言を撤回しロシアの選挙介入認めるトランプ大統領(7月17日)(写真:ロイター/アフロ)

 今年に入ってから権威主義的国家が諸外国に対し、自国の立場や価値観をのませるため世論を操作したり、圧力をかける「シャープパワー(sharppower)」に対する懸念が強まっている。

 シャープパワーは軍事力や経済力などの「ハードパワー(hardpower)」でもなく、ハーバード大教授のジョセフ・ナイの指摘する文化的な魅力が生み出す「ソフトパワー(softpower)」でもない。その中間のものである。民主国家を分断したり弱体化させるシャープ(鋭い)な力という意味から、ワシントンのシンクタンク「全米民主主義基金(NED)」が名付けた。

 2016年大統領選挙へのロシアの一連の介入疑惑がシャープパワーの典型例だ。トランプ陣営が組織的に共謀したかどうかという点に捜査の焦点はあるものの、それ以前に16年のロシアの選挙介入疑惑はアメリカ国民にとっていまだ大きな影を残している。今年11月には中間選挙を控えているため、再度の介入も予想されるためだ。7月中旬にトランプ大統領が米露首脳会談直後の発言を撤回し、ロシアの選挙介入を認めざるをえなかったのもこの国民の関心の高さにある。

 民主主義的で自由な社会であるほど、権威主義諸国のシャープパワーが入り込む余地がある。自由であるほど情報の規制が難しいためでそう考えてみると、シャープパワーは自由な社会が生んだ鬼っ子なのかもしれない。これがこの問題の本質にある。

シャープパワーとは何か。さらに、その背景と実際を説明してみたい。

(1)シャープパワー台頭の背景

 シャープパワー台頭の背景は権威主義的な国家の代表格である中国やロシアの焦りに他ならない。

 現在の国際政治は、アメリカの覇権に中国が対抗する「覇権交代期」になるとの見方がある。確かに中国は軍事力も経済力も一気にも拡大し、アメリカに迫りつつある。 

 しかし、中国には何か大きなものが足りない。それは上述のナイ教授の指摘するソフトパワーであり、理念や文化がもたらす魅力がもたらす力である。

 例えば、「民主主義」「表現の自由」「人権」などといった理念が第二次大戦後のアメリカの覇権に伴い、世界に広がっていった。中国の場合、これに対抗するような世界の人々の心をつかむような理念を打ち立てられずにいる。中国の場合、権威主義的政権であり、インターネットのアクセス制限に代表されるように表現の自由もかなり制限されている。政権に否定的な行動をとる人々の人権は蹂躙されているのが現状だ。

 また、文化についても、第二次大戦前からアメリカはハリウッド映画やディズニー、ポップス、ジャズなどに代表されるような誰にも愛されるようなコンテンツを作り続けてきた。これに対して中国の場合は、自国初の文化産業の育成はアメリカだけでなく、日本やイギリスなどに比べても大きく遅れを取っている。

 中国は軍事力や経済力などのハードパワーではアメリカに迫っているものの、ソフトパワーでは、アメリカ一極が全く緩んでいない。ここ20年ほど、石油産業の急伸で台頭しているロシアについても同じであり、ロシア初の文化コンテンツの需要は限られている。

(2)開放性を狙う仕掛け

 そこで近年、中国やロシアが注目したのが、アメリカなどの民主主義国家の強みである民主主義や開放性などを利用して様々な工作を行い、民主主義国家のソフトパワーを弱めることに他ならない。これがシャープパワーである。

 外交上の目的を達するために他国に対して様々な工作を行うことは、何も新しいことではないが、シャープパワーの場合、目立っているのが、開放性の象徴であるソーシャルメディアを後半に利用している点である。ロシアが2016年アメリカ大統領選挙に多数の虚偽の広告を組織的にオンライン上に流通させていたのがその典型例である。ロシアは同じことを2016年のイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票や昨年のドイツの総選挙などでも広く介入してきたといわれている。

 アメリカの開放性を利用し、ロシアは「RTアメリカ」(2005年開局)、中国は「CCTVアメリカ」(2012年開局)などをアメリカのCATV・衛星向けに展開しており、併設のサイトのコンテンツからの情報はソーシャルメディア上に拡散し続けている。ソーシャルメディアを使い、世論操作や選挙への介入は民主国家にとってはその根幹を揺るがしかねない重大な脅威となっている。

 また、ソーシャルメディアに限らず、民主主義国家の様々な「ソフト」もターゲットとなっている。例えば、アリババなどの中国の新興企業がアメリカの映画への投資を進めているが、「ローカライゼーション」の名の下、公開する映画のコンテンツは中国国内向けに編集し直させているといわれている。

 さらに、有名なのが中国の教育への介入であり、2004年から始まった「孔子学院(Confucius Institute)」の場合、中国政府の指揮下にあり、人材や教科書を提供し、アメリカ国内の大学などで中国の言語や文化、歴史を広めるという活動を展開している。孔子学院は世界中で500、アメリカ国内には100以上存在する。しかし、孔子学院の場合、「民主主義」など中国の体制に合わないものは教育内容から排除するだけでなく(「天安門事件」や「チベット弾圧」などは全くふれないのはいうまでもない)、開設相手国の中国留学生を監視し、とくに中国の民主化や人権擁護の運動にかかわる在米中国人の動向を探っている可能性もあるのではないかという批判もある。批判に対応し、今年に入ってからもテキサスA&M大学が学内の孔子学院の閉鎖を決めている。

 また、中国は各種シンクタンクなどに献金をする形で政治に影響を及ぼしているという疑惑も浮上している。

 シャープパワーの危険性が強く指摘されているのに対応し、今年3月には連邦議会上院でのシャープパワー対策の公聴会も開かれている。ただ、インターネットに代表されるように開放性をうたった自由な国家の場合、規制を行うことはなかなか難しい。逆にそもそもその難しさをついたのがシャープパワーの狙いそのものであり、なかなかこの問題は解決しようにない。

 

(3)「権威主義化する」アメリカ

 一方、トランプ政権の誕生で、アメリカ的理念の方も大きな曲がり角を迎えている。もちろん「民主主義」や「自由」といった理念はアメリカの国家の根本にあるが、それでもかなり後退した印象もぬぐえない。例えば「自由貿易」から「保護主義」への変化や、非合法移民に対する対応などは開かれたアメリカから「閉ざすアメリカ」に大きく方向転換しつつあるようにみえてしまう。トランプ大統領の破天荒なツイッターを読んでいると「法の支配」という言葉も色あせてしまう気がする。

 アメリカは「権威主義化する」のか、こちらにも注視したい。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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