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なぜ検察は池袋暴走事故で「禁錮7年」を求刑したのか 懲役刑との違いは?

前田恒彦元特捜部主任検事
(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 池袋暴走事故で起訴され、無罪を主張する男に対し、検察が禁錮7年を求刑した。「軽すぎる」という意見が多く、感情的にはそのとおりだが、現実にはこれが法の許すほぼ限界のラインだ。

過失運転致死傷罪の上限は?

 すなわち、男が問われているのは危険運転致死傷罪ではなく、過失運転致死傷罪だ。刑罰は7年以下の懲役・禁錮か100万円以下の罰金にとどまる。

 しかも、同一の機会の同一の事故で何人を死傷させても、「観念的競合」と呼ばれる刑法の規定により、最も重い過失運転致死罪の刑で処断されるだけで、刑罰を加重することはできない。

 さらに、男は過失運転致死傷罪だけで起訴されており、無免許運転や飲酒運転、ひき逃げといった余罪もない。

 したがって、この「7年」が法律の認める最上限ということになる。判決は9月2日の予定だが、たとえ裁判所が男の過失を認定したとしても、量刑ではこの数字を超えることはできない。

 最高刑を7年超にするには法改正が必要だが、改正前の事件には遡及されないから、たとえ今から厳罰化されても男には適用できない。

なぜ危険運転致死傷罪に問えなかった?

 そうすると、過失運転致死傷罪ではなく、危険運転致死傷罪で起訴すべきだったのではないかと思う人もいるだろう。これだと最高刑は懲役20年だ。

 しかし、今回の事件はその成立要件もみたさない。すなわち、事故が起きた2019年当時の法令を前提とすると、事故に際して次の6つのいずれかの「故意」を要するからだ。

● アルコールや薬物の影響で正常な運転が困難な状態

● 進行の制御が困難なほどの高速度

● 進行を制御する技能なし

● 人や車の通行を妨害するため、通行中の人や車に著しく接近するとともに、重大な交通の危険を生じさせる速度で運転

● 赤信号を殊更に無視するとともに、重大な交通の危険を生じさせる速度で運転

● 歩行者天国などの通行禁止道路を重大な交通の危険を生じさせる速度で進行

 「進行を制御する技能なし」に当たるのではないかと思う人もいるだろうが、男は運転経験が豊富であり、これまで足が不自由でも運転できていた以上、故意が認められない。「進行の制御が困難なほどの高速度」という点も、検察が主張するアクセルとブレーキを踏み間違えた事故ということであれば、故意が否定される。

 一段軽い準危険運転致死傷罪もあり、最高刑は懲役15年だが、今回の事件ではこの要件すらもみたさない。結局、男を危険運転致死傷罪に問うことはできない。

懲役刑でよかったのでは?

 今回の事故と同じ時期にJR三ノ宮駅前で神戸市営バスを運転中に歩行者の列に突っ込み、2人を死亡させ、4人に重軽傷を負わせた運転手の場合、求刑は禁錮5年、判決は禁錮3年6ヶ月の実刑だった。

 その意味で、検察が提示した7年という数字は従来の量刑相場から踏み込んだもので、是が非でも男を実刑に処すべきだという検察の強い意思のあらわれといえる。

 それでも筆者は、そうであるからこそ、たとえ7年でも禁錮刑ではなく、懲役刑を求刑すべきだったのではないかと考える。

 確かに、検察は人身事故でも飲酒運転などの余罪がなく、過失の色彩が強い事件であれば、基本的に懲役刑ではなく禁錮刑を選択してきた。しかし、必ずしもそうした慣例が妥当だとは限らない。

 過失の程度や否認の状況、示談成立の有無、遺族や被害者の処罰感情などを踏まえ、事案に応じて柔軟に懲役刑や禁錮刑を選択すべきだ。

 刑法では、懲役刑のほうが禁錮刑よりも重いとされている。懲役は刑務作業という強制労働が義務付けられているからだ。冒頭で禁錮7年の求刑について法の許す「ほぼ」限界のラインだと述べたのはその意味だ。

被害者や遺族にとって無念な結果になるか

 しかも、男は2015年に瑞宝重光章を受章しているが、次のとおり、懲役刑になるか否かによって、この勲章の剥奪にも影響を与える。

(1) 必ず剥奪される場合

 刑期を問わず懲役の実刑か、禁錮3年以上の実刑

(2) 情状によって剥奪される場合

・ 禁錮3年未満の実刑

・ 3年以下の懲役・禁錮か50万円以下の罰金刑を受けたものの、刑の全部の執行を猶予

 ただし、これらは有罪判決の確定が前提となる。男は現在90歳であり、弁護士ともども無罪を主張しているわけだから、今後の控訴審、上告審に要する時間を考慮すると、いずれかの段階で天寿を全うするかもしれない。

 そうなると、公訴棄却によって有罪・無罪の結論が確定しないまま裁判が終わる。たとえ実刑判決が確定したとしても、実際に刑務所に収容できるかは未知数だ。被害者や遺族にとって、無念極まりないことだろう。(了)

元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

元特捜部主任検事の被疑者ノート

税込1,100円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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