ねじれの発端は「えこひいき」 検察官の定年延長、いま急いで決める必要はある?

(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 検察官の定年延長問題が再燃している。国民が不要不急の用件を控えるように求められる中、国会では検察官を含めた国家公務員の定年を65歳に引き上げる法案が審議され、可決されようとしているからだ。

もともとは「生涯現役社会」実現のため

 そもそも、国家公務員の定年を延長するのは、意欲さえあれば高齢者でも働けるという「生涯現役社会」の実現に向けた国の政策の一環だ。

 年金の支給年齢が段階的に引き上げられることから、定年から年金支給までの空白期間を埋めるため、2013年施行の改正高年齢者雇用安定法でも、民間企業に再雇用や定年の引き上げが求められている。

 年金支給が65歳からとなる2025年までには、定年も65歳になることが望ましい。

 そこで、国が先陣を切り、国家公務員の定年を段階的に引き上げることで、民間企業にもその輪を広げていこうとしているわけだ。

 その方針自体は理解できる。地裁や高裁の裁判官の定年が65歳であるのに、検察庁法が検事総長の定年を65歳とするのみで、ほかの検察官を63歳としていることにも、かねてから異論があった。

 定年が65歳に延長されたからといって、そのこと自体で個々の検察官が政権の言いなりになるというわけでもない。

単純な定年延長の話ではない

 ただ、公務員は年次が上がれば基本給が増える。とりわけ検察官は、国家公務員の中でも高給取りだ。意に反する減給が禁じられるなど、裁判官並みの身分保障もある。

 検察組織の中で最も高給取りが集まっているのは最高検だが、現実には仕事らしい仕事などしていない。検察を引っ張っているのは現場の第一線で働く若手や中堅の検察官、検察事務官であり、むしろそこにこそ手厚さが求められる。

 60歳以上の給与を3割減らして従前の7割分としたり、退職金を見直すなどの方法で総人件費を抑制するにせよ、個々の検察官の能力の高低を問わない定年延長など、ムダに高給取りを増やすだけだ。

 併せて能力給やリストラの制度も採用すべきだし、人手が必要なら、まずは就職難が予想される若手の採用を最優先にすべきではないか。

 一般の国家公務員と異なる検事の強みは、たとえ辞めても弁護士になり、それこそ定年なしで働いていけるという点だ。

 しかも、改正法案は単に定年を63歳から65歳に引き上げるだけではない。次長検事や高検検事長、地検検事正といった幹部ポストに63歳の「役職定年制」を設ける一方で、法務大臣が公務の運営に著しい支障が生ずると認めれば、その職を続けられるという特例まで設けている。

 もし幹部が大臣やその背後の政権の顔色をうかがうようになれば、関係者らに対する捜査や裁判に手心が加えられるのではないかと懸念されているわけだ。

いま、急いで決める必要がある?

 ここまで大きな制度改革を行う以上は、国会でも相当長時間にわたって腰を据えた議論を重ねる必要がある。

 しかし、今はコロナショックで経営難に陥り、明日にも倒産するかもしれない危機的状況の事業者がおり、失業者や自殺者の増加も見込まれるという緊急時だ。

 コロナショックの影響で例年4月の検察官の定期人事異動が凍結されるなど、検察ですらも異例の事態に至っている。

 少なくともこうした時期に、あえて国会で議論のための時間と人を割かなければならないほど、優先順位の高い話でないことだけは確かだ。

 まずはコロナショックのための立法措置を急ぎ、落ち着いてから議論を進めても決して遅くはない。

ねじれの発端は「えこひいき」

 ただ、ここまで事態にねじれが生じたのは、やはりこの法案の提出に先立つ2020年1月に、黒川弘務・東京高検検事長の定年延長が強引に進められたからだ。

 政権による究極の「えこひいき」にほかならず、検察人事さえも法規範をねじ曲げて意のままにできるという姿勢のあらわれにほかならない。

 労組を支持母体とする野党も、単に検察官を含めた国家公務員の定年延長だけの話であれば、賛成に回ったはずだ。

 もちろん、今回の改正法が成立したからといって、黒川氏が検事総長にならない限り、その定年が自動的に65歳まで延びるわけではない。施行予定日は2022年4月1日であり、黒川氏はその年の2月8日に65歳になるからだ。

 しかも、2020年2月8日に63歳になった黒川氏の6か月間の定年延長は、国家公務員法の特別な規定によるものだ。最大で3年まで可能だが、延長を繰り返す必要があり、そのたびに理由や必要性が吟味される。

 だからこそ、いっそのこと黒川氏を次の検事総長に据えるほうが手っ取り早く、それこそが政権の意図ではないかと見られているわけだ。

 本来であれば黒川氏の件と検察庁法の改正とは直接の関係などなかったはずだが、黒川氏の定年延長をめぐる違法状態を、あとから作る法律で正当化しようとしているのではないかといった色に染まり、「いわくつき」の法案になってしまっている。

黒川氏が身を退くべきでは

 そもそも、検察庁法が規定している定年を、しかも個別の検察官の定年を、閣議決定で延長するなどといった馬鹿げた話はない。

 しかも、検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されないという過去の政府答弁との矛盾を指摘されるや、解釈を変えた、口頭決裁を経たなどと、ご都合主義も甚だしい。巻き込まれた人事院が気の毒だ。

 そればかりか、是が非でも黒川氏の定年を延長するとか、次の検事総長に据えなければならない理由も必要性もない。2月に定年が延長されて3か月経ったが、黒川氏が彼でなければできないことを何かやっただろうか。

 重要なのは、黒川氏の定年延長問題が、今後、さらに法的な紛争の火種になりかねないということだ。

 例えば、高検が最高裁に上告する際の書面は検事長名になっている。上告審で弁護側から「黒川氏は2020年2月に定年退職した『元検事長』であり、『検事長』ではないから、上告を行う法的権限などない。上告は不適法で無効だ」などと主張されるかもしれない。

 また、同様の理屈により、黒川氏に対する給与支払いの差し止めや、既払い分の返還請求訴訟が提起されるかもしれない。

 黒川氏が定年延長を打診された際に固辞しておけば、こんな騒動にはならなかった。前例のない異常な人事であり、検察内外で紛糾することなど目に見えていたからだ。

 最高検が明らかにしている『検察の理念』には、「自己の名誉や評価を目的として行動することを潔しとせず、時としてこれが傷つくことをもおそれない胆力が必要である」という一文がある。地位や権力に恋々とする醜さはもたないという検察官なりの矜持だ。

 次の検事総長に目されているにせよ、ケチが付いた人事になることは明らかだから、黒川氏が一刻も早く職を辞し、事態の正常化を図るべきではないか。もし「退くも地獄」ということであれば、悲劇というほかない。(了)

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。きき酒師、日本酒品質鑑定士でもある。

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15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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