ノート(番外) 自分に都合のよい証拠や事実は輝いて見える 複眼的な視点の重要さ(上)

 去る12月14日、伊藤塾東京校で開催された「明日の法律家講座 第290回」に講師として登壇しました。

 演題は「あるべき刑事司法とは何か~しくじり体験を踏まえて」というもので、司会者による講師紹介が5分、レジュメに基づく講演が80分、休憩と質問票の回収が10分、質疑応答が25分というものでした。

 ただ、講演はレジュメをベースとした語りを20分程度で切り上げ、残りを事前にフォロワーからいただいていた様々な質問に対する解説に費やしました。そのうえで、参加者の質問にも答えるというやり方でした。

 講演内容は、おおむね以下に示したレジュメや進行案のとおりです。ただし、その場の流れや時間の関係などから現場で臨機応変にカットしたり、前後を変えた部分がかなりあります。会場との質疑応答を含め、アドリブでお話しした点も多いので、必ずしもすべてがこのとおりというわけではありません。

【講師紹介】

 まず、講演の冒頭、司会者から次のような講師の紹介がありました。

「みなさんこんにちは。『明日の法律家講座』第290回にようこそお越しくださいました。本日は、元検察官の前田恒彦先生にお越しいただき、『あるべき刑事司法とは何か~しくじり体験を踏まえて』というテーマでお送り致します」

「ここで、先生のプロフィールを簡単にご紹介させていただきます」

「先生は広島県呉市のご出身で、広島大学法学部ご卒業後、広島大学大学院社会科学研究科を修了されました。そして、1993年に旧司法試験に合格され、司法修習は48期です。1996年に検事任官され、検事一筋の道を歩まれました」

「約15年間の検事生活の中で、大阪・東京地検特捜部に約9年間在職され、ハンナン事件、福島県知事汚職、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職、陸山会事件等で主要な被疑者の取調べを担当されました。また、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件等では主任検事をお務になりました」

「そして、皆さんもご存じでいらっしゃると思いますが、先生は、2010年、郵便不正から派生した厚労省虚偽証明事件において証拠改ざん(フロッピーディスクのデータ改変)に及んだことで一転して、被疑者、被告人及び受刑者の身となり、602日間の身柄拘束を経られた後、2012年に満期出所され、社会復帰を果たされました」

「現在は、ヤフーニュースやフェイスブック等のネット媒体をお使いになって、刑事司法の実態や問題点を独自の視点から発信中でいらっしゃいます」

「このように、先生は、一般の人が経験したことのない真反対の立場を経験されていらっしゃいます。本日は真反対という貴重なご経験をされた前田先生からお話をいただき、あるべき刑事司法について考えてみたいと思います。それでは前田先生、よろしくお願いいたします」

【導入】

 僕がヤフーニュースで配信している記事やニュースに対するコメント、フェイスブックでの投稿などを見ているよという方、どれくらいいらっしゃいますか?プロフィール写真とだいぶ違うじゃないかと驚かれた方も多いでしょうが、正真正銘、本人です。

 むしろ「反社会的勢力」の人のように見えるかもしれませんが、政府ですらその用語を定義できないと言っているくらいですので、まあセーフということでご容赦ください。

 さきほど、司会の方から僕のキャリアをご説明いただきましたが、しょせん僕なんか、卑劣な犯罪に及んだ「刑務所帰りの前科者」です。そんな僕が敬語を使われたり「先生」と呼ばれたりするのは、実にお恥ずかしい限りです。

 ただ、そんな僕の体験に基づく物の見方から、少しでも何か学ぶことがあれば幸いです。

 皆さんには、あらかじめA4サイズで1枚のレジュメを配布しているところです。このレジュメに沿って、順次お話しを進めさせていただきます。

レジュメ

1 明日の法律家へ

(1) 裁判は「勝ち負け」なのか

 勝ちたい、負けたくないという意識が問題を生む

(2) 複眼的な視点、違った角度、異なる立場から見る意義

 自分にとって都合のよい証拠や事実は輝いて見えるが…

(3) 他人の人生を左右することへの謙虚さ

 閻魔大王の覚悟で

2 ある強姦えん罪事件を題材に

(1) 国賠請求棄却までの経緯

 2008 男性(65)が同居の女性に対する強姦容疑で逮捕

 2009 大阪地裁が有罪判決(女性とその兄の証言が決め手)

 2011 大阪高裁、最高裁を経て懲役12年の実刑判決が確定

 2015 再審で無罪判決(身柄拘束は逮捕から約6年間)

 2016 男性が警察、検察、裁判所の責任を問うため国賠訴訟

 2019 大阪地裁が男性の請求を棄却(控訴中)

(2) 報じられていない事件の背景とポイント

 関係者の人的関係

 被害申告の経緯と捜査状況

 一審の状況

 控訴審の状況

 再審開始の経緯と状況

(3) 閻魔大王と煮えたぎる銅汁

 人を裁く覚悟とルーティーンワーク

(4) 過酷な獄中生活

 刑務所は社会の縮図、性犯罪者は最低ランク

(5) 個人の責任を追及するだけではダメ

 「仕組み」そのものが変わらなければ…

(6) 失敗に学べ

 可視化の拡大、証拠の全面開示、捜査結果の記録化義務づけ

 フランス「ウトロー事件」

(7) なぜ性犯罪を例に挙げたか

 厳罰化すべきは当然、しかし熱くなりやすい事件こそ冷静に

【明日の法律家へ】

 出席者の中には、法律家を目指して勉強中の方もおられるとお聞きしました。そうした「明日の法律家」に対し、特に申し上げておきたいことが3点あります。

 1点目は「裁判は『勝ち負け』なのか」、2点目は「複眼的な視点、違った角度、異なる立場から見る意義」、3点目は「他人の人生を左右することへの謙虚さ」です。

 まず1点目ですが、もちろん、だれがどう考えても裁判は勝ち負けにほかなりません。とりわけ、当事者本人が勝った負けたと考えるのは当然のことです。

 しかし、勝ち負けと捉えているからこそ、勝ちたい、負けたくないと思うわけだし、勝つために無理をします。負けたくないから、不利な証拠を隠そうとします。不利な事実を探すことを怠ります。

 法律家までもがそうした考えに取り憑かれ、のめり込みすぎると、どうしても視野狭窄に陥ります。心に余裕がなくなり、勝てると思う証拠ばかりに目が行き、負ける証拠への検討が疎かになってしまい、気づいたら手遅れという事態になりかねません。

 プロの法律家である以上、証拠や事実の細部だけでなく、一歩引いて俯瞰的にその全体を見るクセをつけておく必要があるのではないでしょうか。

 2点目の「複眼的な視点、違った角度、異なる立場から見る意義」というのは、これを具体的にあらわしたものです。

 自分にとって都合のよい証拠や事実は輝いて見えるわけですが、一面的な見方をしていると足もとをすくわれます。客観証拠であっても、どのような視点、角度、立場から見るかで、指し示す事実が変わることがあります。

 検察官ならどう考えるか、弁護人なら、裁判官ならと、必ず真逆の立場からその証拠や事実を徹底的に検討し、複眼的な視点を持つことが重要ではないでしょうか。

 3点目の「他人の人生を左右することへの謙虚さ」については、後ほど「閻魔大王の覚悟」という寓話を引きながら、詳しくお話しさせていただきます。

 いずれにせよ、いつしか僕にはこの謙虚さがなくなっており、「おごり」に支配されていたように思います。法律家にとって、絶対になくしてはならないものだと思っています。

 「あるべき刑事司法とは何か」というテーマは古くて新しい問題ですが、皆さんにはこれを常に意識し、是非深く考えていただきたいと思っています。また、こうした講演に参加する志のある皆さんのような方たちこそ、検事になり、内側から検察を変えていってもらえたらと願っています。

 ただ、一点だけ注意申し上げると、検事になっても、絶対に僕のようにはならないでください。また、もし仕事と家族を天秤にかけなければならない事態に直面したら、迷うことなく家族の方を選んでください。

 では、具体的な事例を挙げながら、順次お話ししていきましょう。

【ある強姦えん罪事件を題材に】

国賠請求棄却までの経緯

 法曹関係者の間でも話題に上った事件ですので、ご存じの方も多いでしょうが、まず国賠請求棄却までの経緯について簡単にご説明しておきます。

 65歳だった男性は、自宅の集合住宅で、同居していた養女に対し、11歳だった2004年と14歳だった2008年の2度にわたって無理やり性的関係をもち、胸をつかむなどしたとして2008年に逮捕され、起訴されました。

 この女性はこれ以外にも何度となく男性から性的被害を受けたと述べており、男性は捜査公判を通じて一貫して容疑を否認していました。

 しかし、女性の告白やその2歳上の兄の目撃証言が決め手となって2009年に大阪地裁で有罪となり、大阪高裁、最高裁を経て2011年に懲役12年の実刑判決が確定しました。

 ところが、2013年に事態が一変します。服役中の男性による再審請求を受け、大阪地検が再捜査したところ、女性も兄も、実際には被害を受けておらず、目撃もしていないと説明し、男性の関与を否定したからです。

 これで女性らのウソに基づくえん罪だったことが明らかとなり、大阪地検は2014年に男性を釈放しました。身柄拘束の期間は逮捕から約6年に及んでいました。

 再審請求に対して徹底抗戦するのが検察の基本的なスタンスです。裁判は勝ち負けであり、負けることなどできないという考えに凝り固まっており、「引き返す勇気」を持てないからです。

 その意味で、再審開始決定を待たずして刑の執行停止に及び、完全に白旗を上げたのは、2009年の「足利事件」に続き、史上2例目という異例の事態でした。

 2015年の再審では、男性に無罪判決が言い渡され、そのまま確定しました。男性は、2016年、無罪に傾く証拠収集や吟味を怠り、女性らのウソの証言を鵜呑みにしたということで、警察や検察のみならず、有罪とした裁判所の責任をも問うという、異例の国賠訴訟を提起しました。

 しかし、2019年1月、大阪地裁は男性の請求をすべて棄却しました。控訴中のようです。

報じられていない事件の背景とポイント

 次に、報じられていない事件の背景とポイントについて触れておきます。

 まず、「関係者の人的関係」ですが、女性の実の母親は男性の妻の連れ子であり、女性、兄、その実の母親と男性との間には血縁関係がありませんでした。女性とその兄は男性の養子で、男性は彼女らの祖父に当たります。

 一審で男性側は、女性と兄がウソの証言に至った理由として、その母親が女性らを使って被害をでっち上げ、男性を罪に陥れようとしたという可能性を指摘していました。その根拠として、男性側は、女性の母親が中学から高校1年ころまでの間、同意の上で男性と性的関係を持っていたにもかかわらず、その後、男性が現在の妻、すなわちこの母親のお母さんの方を選んだため、男性のことを恨みに思っていたという事情を挙げていました。

 次に、「被害申告の経緯と捜査状況」ですが、女性は、男性から尻を触られたと大おばさんに話したところ、それを伝え聞いた母親とその再婚相手の夫から他にも何かされたのではないかと深夜にわたり何日間も問い詰められ、胸を揉まれたと述べました。

 強姦されたのではないかとの問いにも否定できず、警察の取調べでは母親が怖くてウソだと打ち明けられませんでした。

 女性の兄も、母親らから女性の被害を見ていないはずがないと問い詰められ、目撃したと話してしまったものの、ウソだと打ち明けても信じてもらえないと思い、警察の取調べでも本当のことを話しませんでした。

 事件後、女性は母親に連れられ、2つの産婦人科医で3度の診療を受けました。後者の病院は警察の要請に基づくもので、警察、検察は捜査段階で女性が病院で診療を受けたということを知っていました。

 最後の事件直後のカルテには「処女膜裂傷がない」と書かれていましたが、その約1か月後、男性の関与がありえない時期に受診した別の診断書には「処女膜裂傷がある」と書かれていました。

 また、事件後、女性はPTSDになったのですが、最後の事件の2年後に受診した精神神経科のカルテには、女性が一審判決ころから「性的被害を受けていない」と言い出していたと書かれていました。

 捜査では処女膜裂傷があるという診断書のみが重視され、弁護側に開示されたのもこれだけでした。男性によると、男性を取り調べた検事は、潔白を主張する男性に「絶対許さない」と言い放ち、その弁解を全く取り合おうとしなかったとのことです。

裁判の経過

 次に「一審の状況」についてご説明します。

 一審で弁護側は、女性のPTSDについて、ウソの証言が精神的負担になったと主張したのですが、裁判所に一蹴されました。男性の妻の証言などによって男性の性的不能を主張しましたが、これも一蹴されています。

 さらに、女性の証言は相当の変遷を見せており、一審で弁護側は弾劾したんですが、裁判所は合理的な変遷だとしてこれを一蹴しています。

 大阪地裁で刑事裁判の専門家として名高かった裁判長は、被告人質問などで男性に厳しくあたり、判決でも「14歳だった女性がありもしない被害をでっちあげて告訴するとは考えにくい」と述べています。

 次に、「控訴審の状況」ですが、控訴審から刑事弁護のプロ中のプロとされ、多数の無罪判決を獲得している大阪弁護士会の著名な弁護士が弁護人として加わりました。僕も検事時代に捜査や公判で相まみえたことがありましたが、捜査段階での検察側との交渉能力や法廷での異議の出し方など、この人は確かにスゴいと感心した人物です。

 女性らが被害後に複数の病院で診察を受けたと述べていたことから、弁護側は控訴審で、検察側に対し、女性に関する全ての診断書やカルテの公判提出を求めたものの、検察側は手もとにないと言って提出しませんでした。

 弁護側は、診療内容の点に絞って女性らの再尋問を請求しましたが、検察側は必要性なしとし、裁判所も棄却しています。

 最後に「再審開始の経緯と状況」についてです。

 女性は就職して母親らの元を離れ、その心理的支配から解放されたことから、男性の弁護人に対し、実はウソだったと告白しました。

 再審では、裁判所が検察に全ての手持ち証拠のリストを開示するように命じたものの、検察側は断固拒否しました。

 弁護側が男性らの取調べを担当した検事の証人尋問を請求しましたが、検察側は必要性なしとし、裁判所も棄却しています。

 こうした背景事情を知り、事件に対して様々な思いが去来する方もいるでしょうし、全く違った印象を持つ方も多いでしょう。それでも、事情が何であれ、やるべきことをやれる権限を持つ者が、やるべきことをきちんとやっていなかった、という事実は動きません。

閻魔大王と煮えたぎる銅汁

 ここで思い起こすのは、閻魔大王と煮えたぎる銅汁にまつわる寓話です。「終活なんておやめなさい」などの著書で知られる宗教評論家ひろさちや氏は、次のように述べています。

「閻魔大王といえば、死者の生前の罪を裁き判決を下す裁判官です。見るからに恐ろしい顔をしています」

「この閻魔大王の正体は地蔵菩薩(ぼさつ)です。いつもにこにこと柔和な顔をしておられるお地蔵さんと、怖い閻魔さんが同一人物だというのだから、ちょっと驚きです」

「もしもお地蔵さんが柔和な姿のままで死者の裁きをされるなら、死者はお地蔵さんに甘えて、いっこうに生前の罪を反省しないからです。そこでお地蔵さんは怖い閻魔大王の姿を見せて、死者を脅かしておられるのです。もちろん、脅しは表面的なもので、本質においてはお地蔵さんは死者の罪をすべてゆるしておられるのです」

「閻魔大王は毎日、亡者の罪を裁く前に、煮えたぎる銅汁(どうじゅう)を飲み干すといわれています。これは、煮えたぎる銅汁が閻魔大王の嗜好品というわけではありません。煮えたぎる銅汁を飲めば、彼の喉は焼けただれ、七転八倒の苦しみを味わわねばなりません。その苦しみを味わうために彼は銅汁を飲むのです」

「なぜ閻魔大王は、そんなサディスティックなことをするのでしょうか?それは、彼が裁かねばならない罪人たちと同じ苦しみを味わうためです」

 引用は以上です。

 たとえ相手が罪人であっても、他者に地獄行きの苦しみを与えることは閻魔大王の罪にほかならないし、その判断に間違いなど許されません。そのため、日に三度、獄卒らに捕らえられ、口をこじあけられ、熱く焼けた鉄板の上に寝かされ、ドロドロに溶けた銅を注ぎ込まれるという、どの罪人よりも厳しい刑罰を受けているわけです。

 はたして、警察や検察、裁判所は、ここまでの覚悟をもって日々の職務にあたっているでしょうか。あまたある事件の一つだということで、単なるルーティーンワークとして右から左に処理しているだけではないでしょうか。

 わが身をかえりみても、そこまでの覚悟に至っていなかったことは確かです。

過酷な獄中生活

 問題は、単に無罪となるべき人物が間違って有罪判決を受けたということにとどまりません。過酷な獄中生活というお話になるのですが、社会の縮図である刑務所では、ストレス発散のはけ口として、イジメや嫌がらせ、誹謗中傷が横行しています。

 中でも性犯罪者は、受刑者の中でも最低ランクの人間として軽蔑されているし、これが小中学生に対するものであれば、なおさら酷いです。

 どうしても卑屈になりがちで、性格的に弱い人間が多いので、周囲から「ピンク」などと蔑まれ、イジメや嫌がらせのターゲットになっています。具体的には、無視して仲間に入れなかったり、食事を取り上げたり、下剤を飲ませたり、といったものです。

 集団生活に入った際、周囲から最初に必ず聞かれるのが罪名と刑期であり、性犯罪者は隠そうとしますが、受刑者らの情報ネットワークは実に優れたもので、誤魔化していても必ずバレます。

 僕の場合も、刑務所も他の受刑者らに僕の素性を隠していたわけですが、静岡の刑務所で刑務作業として図書計算工場に配役された初日にバレていました。

 初めてその工場に行った日の昼食休憩時、さっそく殺人で服役中の受刑者から「前田さん、ようこそ」と言われ、歓迎されたわけです。最も刑期が長い受刑者が新人の世話役だからです。かなり早い段階から受刑者の間で知れ渡っていたようでした。

 今回は、孫娘にあたる小中学生の養女を強姦したとされる事件だったわけですから、男性は刑務所で他の受刑者に厳しく当たられるなど、過酷な日々だったことでしょう。

 アメリカでは、身に覚えがない強姦罪で22年間も服役させられた末にDNA型鑑定の不一致が判明し、再審で無罪となった男性に対し、2014年に日本円で約92億円が支払われた例があります。

 アメリカ史上最高額の賠償事件ですが、30歳から55歳までという人生で最も素晴らしい時を失い、家族と引き裂かれたということだけでなく、刑務所内で他の受刑者から嫌がらせを受けたり、無理やり姦淫されたり、HIVに罹患させられたりしたことで、自殺未遂やうつ病に至ったことも考慮されています。

個人の責任を追及するだけではダメ

 もちろん、今回の件は、やるべきことをやらなかった刑事や検事、裁判官が悪いでしょう。例えば、100歩譲って「証拠隠し」ではなく、捜査段階で刑事や検事が事件直後のカルテを取り寄せていなかったとしても、なぜ取り寄せようとしなかったのか、また、決裁を担当する幹部らもなぜ取り寄せを指示しなかったのか、大いに疑問です。

 女性が複数の病院で受診したという事実を把握していたわけで、全面否認の強姦事件である以上、弁解の真偽を慎重に見極める必要があるし、逆にほかの病院の診断で更に女性の負傷事実が明らかになれば、単なる強姦ではなく、強姦致傷として格段に重い刑事責任を問いうるからでもあります。

 裁判官も、こうした時だけは、検察側や弁護側が提出した証拠しか見ることができないので致し方なかったと逃げようとしますが、さすがに控訴審の状況を見ると、高裁の裁判官の対応はお粗末でしょう。

 弁護人も、控訴審に至ってからではなく、なぜ一審段階の証人尋問で女性やその実母らに診療を受けた病院名や診療結果を尋ねたり、検察側に他の病院の捜査や診療結果の開示を求めなかったのか、疑問が残ります。

 とは言え、ここでまた、宗教評論家ひろさちや氏の次のような言葉が胸を刺します。

「わたしたちは簡単に人を裁きます。罪を犯した人に対して、〈あの人は悪い人だ〉と断罪し、非難し、攻撃を加えます。平気で人を鞭打つことをします」

「けれども、わたしたちが他人を裁くとき、わたしたちは傲慢になっています。人間の弱さを忘れてしまっています。人間というのは弱い存在です。だから、同じような状況に置かれたならば、自分だってその人と同じ罪を犯したかもしれないのです」

「それなのに、傲慢にも自分は完璧な人間であると自惚れて、〈わたしであれば、絶対にあのような罪は犯さない〉と信じ込んで、その上で罪を犯した人を裁いているのです」

 引用は以上です。

 今回の件は、性犯罪だけに限られる問題ではありません。そろいもそろって他の可能性に思い至らず、全くの無能ばかりでしたで終われば、時と場所、事件と登場人物を変え、いずれまた同じことが繰り返されるだけでしょう。

 個人の責任を徹底的に追及することも必要ですし、重要ですが、それだけに満足していたらダメであり、やはり仕組みそのものが変わらなければなりません。

失敗に学べ

 そこで失敗に学べという話になるわけですが、例えば、取調べの録音録画は逮捕した被疑者だけでなく、逮捕していない被疑者にも義務づける必要があると思います。

 また、被害者や目撃者など参考人の取調べも可視化し、供述変遷や取調べ官らの誘導の有無などを検証可能にするとともに、検察側が証人尋問前に証人と行う「証人テスト」と呼ばれる打合せも記録に残しておくべきでしょう。

 現在では検察側の手もとにある証拠のリストを開示する制度が導入されていますが、再審請求事件など過去のケースにも開示を義務づけるべきだし、リストではなく証拠の現物を開示することの方が望ましいでしょう。

 それだけだと不利な事実を証拠に残さない危険性も残るので、捜査官に捜査結果の記録化を義務づけ、違反の場合の罰則を設けることも考えられてしかるべきでしょう。

 予算との兼ね合いもありますが、刑事補償の金額があまりにも低すぎるので、これを増額することも急務です。

 2000年から2006年にかけ、フランスでも「ウトロー事件」という悲劇が起こりました。フランス北端のウトローで、10歳の男児が両親から性的被害を受けていると訴え、容疑を認めた両親が共犯者として近隣住民ら16人の名前を次々と挙げた事件です。

 フランスでは、重罪犯罪を正式裁判にかける前段階の手続として「予審」という制度があり、「予審判事」と呼ばれる裁判官が警察を指揮して捜査を行い、被疑者の身柄を拘束し、自らその取調べを行います。勾留後、容疑を認めていたのは両親を含めて4人のみでした。

 この事件を1人で担当した若干29歳の予審判事は、容疑を頑強に否認する14人の被疑者の言い分に全く耳を貸さず、性被害を受けた児童がウソをつくはずがないという強い思い込みに基づき、証言の矛盾に目をつむり、両親を含めて18人を重罪院に送りました。

 第一審の判決は、容疑を認める両親ら4人を含めて10人が有罪、7人が無罪でしたが、残りの1人は将来を悲観し、判決前に自殺しました。有罪の量刑も、懲役20年とか懲役15年などと厳しいものでした。

 無罪を主張しながらも有罪となった6人が控訴したところ、児童や両親の新証言により、それまでの証言がウソだったことが明らかになり、激震が走りました。

 両親は自らの罪を軽くしたいがために架空の共犯者をでっち上げていたもので、児童も虚言癖がある母親の指示のまま、全く無関係の人物を犯人だとしていただけでした。

 異例の展開となった第二審では、当然ながら6人全員に無罪判決が下されましたが、勾留期間は3年に及んでいました。大統領や司法大臣が謝罪し、フランス下院に調査委員会が設置され、先ほどの予審判事を含め、200人を超える関係者から事情聴取が行われました。

 わが国のマスコミ報道では、えん罪事件に関与した検事や裁判官の氏名すらも報じられないのが通常ですが、予審判事に対する委員会の尋問はテレビ中継され、国民の関心を集めました。

 半年間にわたる徹底した調査に基づき、予審は複数の予審判事で担当するとか、重大なミスを犯すと最長5年は裁判官に任用できないとするなど、様々な改革が行われました。

 では、今回の事件について、警察や検察のみならず、裁判所が有罪の心証を抱くに至った経緯について、三者から独立した全く別の機関による徹底した調査や検証が行われたでしょうか。実はこの点は、郵便不正事件も同様です。

 このままだと、将来の誤判防止に向けた教訓とならないばかりか、責任の所在をあいまいにしたまま、いつか忘れ去られていくだけではないでしょうか。

なぜ性犯罪を例に挙げたか

 さて、なぜ性犯罪を例に挙げたかですが、インターネットでの配信記事などを眺めていると、いつもヒートアップする話題です。

 厳罰化すべきは当然のことです。しかし、熱くなりやすい事件こそ、冷静に証拠や事実を見る姿勢が重要なのではないかと知っていただきたいからです。

【早くも質疑応答へ】

 さて、表向きの話はここまでです。年末の忙しい中、わざわざこの講演に足を運んでくださった皆さんが聞きたいのは、こんな話ではないでしょう。では、ここからはオフレコの話に入ります。

 僕はヤフーニュースで「元特捜部主任検事の被疑者ノート」と題する連載記事を配信していまして、その中でかなり早い段階からこの講演の開催情報を伝え、何か僕に聞きたいこと、話してほしいことがあればメッセンジャーなどで教えてくださいとお願いしていました。

 また、これまで、フォロワーだけでなく、アンチの方からも、SNS上などで様々な質問や意見が示されてきました。

 例えば、今回の講演について、「お前のやったことは『しくじり』なんていうレベルの話じゃない。なのになんで、講演のタイトルに『しくじり』という言葉を使ってるんだ。バカか」といった意見も見られました。

 僕のやったことが「しくじり」ではなく、それこそ万死に値する卑劣な犯罪であることなど百も承知のことです。

 僕は、すでにさまざまな形でこうした講演を行ってきました。弁護士会主催のイベントや弁護士会内の勉強会、医療関係者の勉強会、司法修習生の集会、大小の市民集会、メディア関係者のシンポジウムなどです。最近では、企業の広報担当者の勉強会にも招かれました。日程の都合がつかずに出向けませんでしたが、刑法学会の分科会でも基調講演やパネラーを要請されています。

 ほとんどが参加者を限定したクローズドなものですが、今回は伊藤塾の塾生だけでなく、一般の方も自由に参加できるというオープンなものだというお話でした。

 こうした講演の場合、何よりもまず、この日時にこの場所で僕が講演をやるということを広く知ってもらうことが重要です。あとでこの講演をネット上で閲覧できる塾生だけでなく、これが許されない一般の方をどれだけ呼び込めるかがキモになります。

 僕のフォロワーは僕をフォローしているわけだから、初めからこの講演のことを知っています。では、僕をフォローしていないアンチにも知ってもらい、情報を拡散してもらうにはどうすればよいでしょうか。

 そのためには「フック」と呼ばれる引っかかりのあるワードをタイトルの中に盛り込むことで、目につかせ、SNS上でシェアしてもらうことで、彼らのフォロワーにまで広く情報を拡散してもらうことがポイントです。アンチの中には、どうしてもスルーできず、批判的なコメントを付けてシェアしてしまう人のほうが多いからです。それでも講演の情報が拡散することに変わりはありません。

 これは、僕がヤフーニュースで配信している記事も同様です。どれだけ時間をかけて長々と問題を掘り下げた記事を書いて配信しても、ユーザーに読まれなければ存在しないに等しいものです。まずクリックしてもらい、読んでもらうにはどうすればよいのか。

 僕はすでにかなりの期間にわたり、試行錯誤を繰り返しつつ、さまざまなネット媒体を介して情報発信を行ってきました。日々分析し、担当編集者と頭を悩ましてきましたが、その中でどういったタイトルにするのか、何文字くらいでいかなるワードを盛り込むのか、トップに掲示する写真はどのようなものが良いのか、といったノウハウを蓄積していっています。今回の講演のタイトルも、この法則に従ったものです。

 参加者で満杯の会場を見渡すと、こうした講演情報のシェアもあって、塾生だけでなく、いつになく一般の方の姿も数多く見られます。この講演を取材しようと、マスコミ関係者まで駆けつけているほどです。

 ここで、お配りしたレジュメを裏返してください。これから裏の話をいたしましょう。裏側は白紙になっているので、メモ用紙としても使えます。

 では、時間の許す限り、フォロワーの方などから示された質問や意見を取り上げていきましょう。

 大きく分けると、おおむね次の7つの項目になります。

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15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。きき酒師、日本酒品質鑑定士でもある。

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