選ばれし受刑者すら脱走 「塀のない刑務所」なぜ存在

(ペイレスイメージズ/アフロ)

 映画「ショーシャンクの空に」やドラマ「プリズン・ブレイク」でも描かれているとおり、高い塀に囲まれた脱走困難な場所、というのが本来の刑務所の姿だ。しかし、わが国には「塀のない刑務所」もある。なぜか――

【刑罰の目的と施策】

 これは、刑務所で懲役刑などを執行する際、何を目指すべきなのか、という問題に帰着する。

 やった行為に対する報い、すなわち応報の観点からは、高い塀、鉄格子、施錠などで閉鎖された施設に収容して自由を奪い、多数の刑務官による厳重監視の下、社会から少しでも長く隔離すべし、といった方向に傾きやすい。

 ところが、1955年の国連会議において、そうした古典的なやり方は犯罪防止の効果が薄く、むしろ一般社会に近い環境に置かれた開放的な処遇に移行していくべきではないか、とされた。

 確かに、全く新たな犯罪者を出さないことは重要だ。

 それとともに、既に罪を犯し、次の犯罪に陥りやすい人格や境遇、環境に置かれた再犯予備軍、特に刑務所における服役が初めての初入所者を教育し、改善更生させ、環境を調整し、円滑な社会復帰に至らせることも重要だ。

 しかし、そうした改善更生は他からの強制ではなく、受刑者自身の自覚や発奮によってしか達成し得ない。

 そこで、受刑者の自律心と責任感に信頼を寄せ、抑制をできる限り緩和した方が、処遇の効果が上がるのではないか、と考えられたわけだ。

 閉鎖的な施設内で、刑務官が受刑者を信頼せず、上から一方的に指示し、押さえつけるだけだと、受刑者も自暴自棄に陥り、やる気を失うだけだからだ。

 そればかりか、周囲に流され、刑務所独特の生活様式や慣習を自ら受け入れて同化し、新たな犯罪の手口などを学ぶなど、「悪風感染」と呼ばれる悪影響をモロに受けることにもなる。

 社会に適応できるような人格の育成は、むしろ一般社会に近い環境の中でこそ達成しうる。

 加えて、刑務所における刑罰の執行は税金によってまかなわれている以上、「費用対効果」の観点も無視し得ない。

 高い塀や鉄格子、施錠などで閉鎖された施設や多数の刑務官による厳重監視には、多大な予算を要する。

 受刑者を開放的な施設で処遇すれば、それらの経費を薬物犯罪対策や性犯罪対策、被害者救済といった他の施策に充てることも可能となる。

 そこで、こうした「行刑の社会化」と呼ばれるやり方が重要視され、各国の法律にも盛り込まれるようになったというわけだ。

【わが国の「塀のない刑務所」】

 わが国の場合も、刑務所などにおける基本ルールを定めた刑事収容施設処遇法において、次のように規定されている。

受刑者の処遇は、その者の資質及び環境に応じ、その自覚に訴え、改善更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うものとする」(30条)

「矯正処遇等は、その効果的な実施を図るため必要な限度において、刑事施設の外の適当な場所で行うことができる」(87条)

受刑者の自発性及び自律性を涵養するため、刑事施設の規律及び秩序を維持するための受刑者の生活及び行動に対する制限は…第30条の目的を達成する見込みが高まるに従い、順次緩和されるものとする」(88条1項)

「第30条の目的を達成する見込みが特に高いと認められる受刑者の処遇は…開放的施設(収容を確保するため通常必要とされる設備又は措置の一部を設けず、又は講じない刑事施設の全部又は一部…)で行うことができる」(88条2項)

 こうした法の趣旨を実現すべく、わが国にも、次のような「塀のない刑務所」が存在し、鉄格子や施錠などがほとんど設置されていない中、受刑者に対する開放的な処遇が行われている。

(1) 網走刑務所二見ケ岡農場

 過去に服役経験がある受刑者を収容し、農作業や牛を飼育するなどしており、「網走監獄和牛」で有名。

(2) 広島刑務所尾道刑務支所の有井構外泊込作業場

 初めて服役する受刑者を収容し、造船会社の作業場で鋼材加工作業などを行う。

(3) 千葉・市原刑務所

 交通事故やスピード違反など交通関係事件の受刑者を収容しており、「交通刑務所」とも呼ばれる。

(4) 松山刑務所大井造船作業場

 初めて服役する受刑者を収容し、民間企業の敷地内にある寮に泊まり込み、一般の作業員とともに溶接、ガス切断、グラインダー作業などを行う。

 全国の刑務所における受刑後の再入率は初入・再入所者を含めて約43%に上るところ、再入所者を収容している(1)こそ約48%だが、初入所者から成る(2)は14%、(3)は8%、(4)は14%と著しく低い。

 法務省矯正局も、こうした開放的な処遇は再犯防止効果が高いと胸を張る。

【「塀のない刑務所」の問題点】

 ただし、問題点も多い。

 当たり前の話だが、塀や施錠といった物理的な脱走防止策が乏しいので、他の刑務所に比べて脱走が容易であるという点だ。

 何かと自由が制限されている受刑者は、常に刑務所の外で自由を謳歌したいといった誘惑にかられている。

 だからこそ、刑法は、受刑者が壁や鍵などの設備を一切壊さず、刑務官らに暴行や脅迫も加えず、誰とも共謀せずにたった1人で逃げたという場合、1年以下の懲役という比較的軽い刑罰にとどめている。

 今回脱走犯が出た(4)も、1961年の開所後、今回の件を含めて17件、合計20名もの脱走事件が発生している。

 「刑務所」というだけで地域住民に忌み嫌われる存在であるのに、もし脱走犯が出てしまえば、その理解や協力を得られなくなり、反対運動や立退き要求運動まで起きてしまう。

 脱走中に地域住民方やその車から盗みを働くなど、新たな犯罪に及べばなおさらだ。

 せっかく経費削減の観点から開放的な施設を設けていても、脱走犯の捜索に膨大な人員や費用を要することになれば、本末転倒でもある。

 その意味で、指導者や助言者として真にふさわしい刑務官の育成とともに、収容の対象となる受刑者をどのように選び抜くかが極めて重要となる。

 ただ、もし今回のように脱走犯が出てしまえば、その刑務所や法務省矯正局の幹部らがマスコミや社会から槍玉に挙げられる。

 結局のところ、そのリスクを最小限にとどめるために、全国の模範囚の中から刑務官らによる何重ものチェックを経た上で、仮釈放の可能性が極めて高く、まず絶対に脱走などしないだろうと思われるわずかな人数の「選ばれし受刑者」だけが収容される、というのが現実だ。

 現に、全刑務所の受刑者は約4万9千名にも上るが、そのうち(4)にはわずか20名しか収容されていなかった。

 そうした一種の「エリート」だからこそ、むしろ施設が開放的か否かにかかわりなく、先ほど挙げたような再入率の低さが維持されているという見方もできる。

【目に見えない塀が心の中に】

 とは言え、「塀のない刑務所」は物理的な縛りが緩いものの、決して楽ではなく、塀のある通常の刑務所以上に心理的な縛りが厳しいと言われている。

 全国から期待されて選び抜かれた者だけに、受刑中は絶対に他人ともめ事やいさかいを起こしてはならない、絶対に刑務官らの信頼を裏切る行動や発言に及んではならない、絶対に弱音を吐いたり現状から逃げたりしてはならない、絶対に改善更生し、早期の社会復帰を果たさなければならない、もし失敗したら他の受刑者らに大きな迷惑がかかってしまう、といった強烈なプレッシャーにさらされ続けているからだ。

 (4)も、寮生活を送る受刑者だけで自治会を構成させ、先輩後輩といった体育会的な序列に基づいて受刑者間で自発的な生活指導がなされているし、刑務官も24時間体制で受刑者に接し、辛抱せよ、我慢せよ、といった厳しい働きかけを個別に行っている。

 しかし、こうした濃密な人間関係が肌に合わないといった受刑者もいるだろう。

 また、社会の縮図である刑務所では、一部とは言え、刑務官や受刑者による陰湿ないじめや嫌がらせが現にあり、気の弱い者や動作の鈍い者などが標的とされている。

 「塀のない刑務所」とて例外ではないだろう。

 今後だが、今回の脱走事件を踏まえ、リスク回避の観点から受刑者の選定がより慎重に行われ、配置される人数が減らされるとか、監視体制が強化されるといった方向に向かうはずだ。

 既に、脱走事件後、(4)に収容されていた残りの受刑者19名は、通常の「塀のある刑務所」に移送されているところだ。(了)

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。きき酒師、日本酒品質鑑定士でもある。

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15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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