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ノート(54) どのような取材要請が上手いと感じ、目に留まるものだったのか

前田恒彦元特捜部主任検事
(ペイレスイメージズ/アフロ)

~達観編(4)

勾留21日目(続)

信書の発信

 手紙やハガキは、身柄を拘束されている被疑者や被告人が外部の者と接点を持ち、その関係を維持し、発展させるために不可欠で重要なツールだ。しかし、弁護人に対するものを除き、中から外への発信は1日最大で2通まで、手紙1通あたりの便せんの枚数も最大で7枚までに制限されていた。

 年賀状や喪中欠礼だけは、年末の定められた発信日に最大20通まで送ることができたが、ハガキには年始のあいさつ程度しか書いてはならないとされていた。面会の場合と同じく、これも法令に基づく規制にほかならなかった。

 むしろ、拘置所など刑事施設におけるルールを定めた法律や法務省の規則では、1日1通まで、便せん5枚までという制限すら可能とされていた。大阪拘置所は、わずかながらもその規制を緩和しているということになる。

 それでも、あまりにも厳しすぎると繰り返し指摘されてきたところだ。

信書の検査

 この点、拘置所側は、規制の理由として、検査に要する手間や時間を挙げている。すなわち、こうした手紙やハガキは、全て拘置所の担当職員がその記載内容などを検査し、場合によってはコピーをとって記録とともに保管したり、幹部に報告を上げている。

 暗号を使っていたり、脅迫や侮辱に及んでいたり、拘置所内の建物の配置や構造を記載しているようなものであれば、発信を差し止める。

 ただ、被疑者や被告人らが約2千名も収容されていた当時の大阪拘置所では、発信分と受信分とを合わせ、検査を要する手紙やハガキが1日平均で約1800通にも上っていた。

 担当職員の増員が望めない中、発信回数や便せんの枚数を拡大すれば、処理が遅れ、申請日中に発信し、着信日中に交付することなどできなくなる、というのが拘置所側の理屈だった。

信書への思い入れ

 このように、発信回数や枚数が制限されているだけに、被疑者や被告人の立場からすると、どうしても手紙1通ごとの思い入れが強くなる。居室にはパソコンやワープロ、プリンターなどなく、全て手書きしなければならないから、次第に達筆になっていくから不思議だ。

 平日朝の点検後と昼食後の2回、舎房を担当する刑務官が、うねるような低い声で「し~ん!」と言いながら各居室の前を歩くので、発信したい手紙やハガキがあれば、このタイミングに手渡す決まりだ。

 「し~ん!」は「発信!」のことで、「点検!」を「け~ん!」と言うのと同じく、刑務官独特の節回しによるものだ。

信書の受信

 以上に対し、受信の通数や枚数には制限がなかった。手紙などが届いていれば、平日の夕食後、刑務官が各居室まで持ってきて、廊下に面した小窓を開け、「はい、手紙」などと言って手渡すというシステムだ。

 身柄を拘束され、社会から隔絶されている者からすると、手紙を書いて送るという手間のかかる作業を繰り返してくれるような家族や支援者らの存在を、心底ありがたいと感じる。手紙を毎日1通ずつ送ってくるような支援者もいるほどだ。

 余談だが、こうした心情を逆手に取り、手紙や差入品を繰り返し送ることで、裏切りや寝返りを食い止めようとするのが、ヤクザがよく使う「義理かけ」の一つだ。

 獄中で気が弱っている時に、組織からこうした「義理かけ」をやられれば、社会に戻った後、組織から抜け出すことなど困難となる。義理を欠く結果となるからだ。

取材要請のパターン

 では、取材を要請する記者やジャーナリストらの手紙のうち、よくある典型的なパターンとはどのようなものだったのか、また、上手いと感じ、目に留まることになったのは、どのようなものだったのか。

 まず、彼らの手紙は、使っている封筒や便せん、切手、記載方法、同封物といった形式面から見て、次のように分類することができた。

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元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

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