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芸人はなぜ「炎上」を恐れないのか?

ラリー遠田作家・お笑い評論家

ツイッターなどのSNSでは、著名な芸人のツイートが問題視されて、炎上騒ぎが起こることがたまにある。また、テレビ番組での発言がネットニュースで紹介されて、それがきっかけで批判の声が高まったりすることもある。

有名人であれば誰でもそのような騒ぎを起こすことはあるのだが、中でも芸人の発言がネットニュースで取り上げられたり、批判されたりすることが多い印象がある。

その背景にあるのは、受け手としての「一般人」側の問題、発信者としての「芸人」側の問題だ。この2つの側面に分けて芸人が炎上を引き起こす理由を考えてみることにする。

まず、一般の人が芸人というものをどう捉えているのか、ということから考えてみよう。端的に言えば、芸人とは芸能人の中で最もなめられやすい職種だ。芸能人が華やかな舞台で活躍できるのは、普通の人が持っていない特別な才能を備えているからだ。

俳優には演技力があり、歌手には歌唱力があり、モデルには容姿の美しさがある。それが人の目に触れて価値のあるものとして認められ、評価されている。

一方、芸人の芸とは、人を笑わせることにほかならない。プロの芸人が当たり前のようにやっている「人を笑わせる」ということが、実はかなり高度な芸であるということは、多くの人にはあまり意識されていない。なぜなら、人を笑わせるという目的を果たすためには、それが難しいものだという事実をできるだけ隠しておいた方が都合がいいからだ。

観客に「難しいことを一生懸命がんばっている」などと思われたら、芸人は決して笑ってはもらえない。笑いやすい空気を作るために、芸人は自らの技の痕跡を消そうとする。「誰でもできるようなバカバカしいことをやっているだけなんですよ」「どうでもいいくだらないことを言っているだけなんですよ」というスタンスをとる。

だからこそ、それを真に受けて「最近の芸人は全然面白くない」「テレビに出ているあいつらより俺の方が面白い」などと言い出す人まで出てくる。それは単なる誤解なのだが、プロの笑いという営みに必然的につきまとう誤解でもある。

人を笑わせるためには、自分の立場を下げておいた方がいい。上から目線で偉そうに何かを言っても、笑いには結びつきにくいからだ。芸人は、笑いという目的のために、とりあえず自分を下に置く習慣が身に染みついている。だから、それを見た人のうちの一部は、芸人が本当に下にいるのだと誤解してしまうことになる。

芸人は、アイドルや俳優よりも身近で親しみやすい感じがする。だから、SNSでは、芸人に気安く話しかけたり、罵詈雑言を浴びせたりする人が続出することになる。芸人はサービス精神の塊だ。他のジャンルの芸能人ならば無視して終わりにするような取るに足りない誹謗中傷の書き込みに対しても、あえて返事をしたり、反論をしてみたりすることもある。すると、悪意のある書き込みをした側の人間は、反応をもらえること自体が嬉しくなり、さらに書き込みを重ねるようになる。

その現象の上っ面の部分だけを見ると「炎上」ということになるのかもしれないが、個人的にはこの手のことを「炎上」と呼ぶことには違和感がある。世の中のごく一部に、芸人を見下しているタイプの人間がいて、彼らがSNSというツールを通して一方的にメッセージを送りつけ、勝手に盛り上がっているだけだと思うからだ。

芸人は「炎上」のダメージが少ない

次に、芸人自身が「炎上」というものをどう捉えているのか、ということについて述べたい。もちろん個人差はあるが、基本的にほとんどの芸人はそこまで炎上を恐れていないのではないかと思う。なぜなら、たとえ炎上を招いたとしても、そこから生じる具体的なダメージが少ないからだ。

芸能人にもいろいろな種類の人がいる。例えば、「清純派」というイメージで売っているアイドルにスキャンダルが発覚したら、それが致命的な問題になることはありうる。もともとのイメージがいい人ほど、それを裏切ったときの反発も大きくなる。

一方、炎上を招いた芸人には具体的にどんなリスクがあるだろうか。もちろん、芸能界やテレビ界には最低限のルールがあり、そこに反する振る舞いは厳しくとがめられる可能性がある。

だが、それ以外に芸人には特に守るべきものなどない。原則として、笑いのためならば非常識な言動も悪口も下ネタも許される。笑いという唯一の目的さえ達成できれば、どんな手段を使っても構わない。

芸人は、他のジャンルの芸能人と違って、自分の良いイメージを守る必要がない。彼らはただ、どんな手段を使ってでも確実に笑わせてくれる、という信頼を勝ちえたからこそ人前に出ている。好感度を維持するために炎上を避ける、といった行動をとる必要がない。

また、たとえ本格的な炎上事件が起こってしまったとしても、それ自体があとからひとつのネタになる、という部分がある。たびたび炎上騒ぎを起こすような芸人も、実はそのたびにネットニュースなどで大きく取り上げられ、人々の目に触れている。

彼らは、バラエティ番組の中で自分が「炎上芸人」であることを自虐気味に話すこともある。だが、それを笑い話としてテレビで気軽に話せるという時点で、そこに何も深刻な問題がないのは明白だ。

笑い声はウソをつかない

ほとんどの芸人が炎上をそれほど気にしない決定的な理由は、彼らの究極目的があくまでも観客を笑わせるという生理的な反応にあるからだ。客のリアクションを気にしない芸人などいない。むしろ、芸人は、舞台でもテレビでも、自分がやったことや言ったことで人が笑ったかどうか、その面白さが伝わったかどうか、ということを人一倍気にしている。笑いはウソをつかない。笑い声というのは一番正直な反応だ。面白くないのに大声で笑う人はまずいない。

だから、芸人は自分がネタをやってウケるのかウケないのか、という直接的な手応えだけを信じている。裏を返せば、そこしか信じていない。それ以外の反応はノイズに過ぎないのだ。

ネットの世界ではすべてが数値だけで判断される。「数千件の誹謗中傷の書き込み」と言われると一見ただ事ではない感じがするが、それを実際に書いている人は日本中にたった5人しかいないかもしれない。「笑い」というリアルなものを相手にして日々戦っている芸人にとって、ネット上のあいまいで不確かな反応は、そもそも気にするほどの価値のないものだ。

芸人が空気を読むことの意味

芸人は人一倍空気を読む。ただ、その場合の「空気を読む」という言葉の意味は、炎上しないように気を付けるとか、なるべく発言を控えておとなしくしておくとか、そういうことではない。炎上にはどういう意味があって、どういう影響があるのか。その本質を見抜いていて、世の中で炎上騒動と呼ばれるもののうちの大半は自分にとって取るに足りないものだと考えているからこそ、彼らは炎上を恐れないのだ。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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