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目指すはポケビ復活! 千秋が今も輝き続ける理由

ラリー遠田作家・お笑い評論家

歌手・タレントの千秋のYouTubeチャンネル「千秋の歌YouTube」が人気を博している。このチャンネルは、千秋がかつて手がけた人気音楽ユニット「ポケットビスケッツ」の復活を目指して立ち上げられた。登録者数が100万人を突破したら、その記念として1日だけポケットビスケッツを復活させるつもりなのだという。現在、チャンネル登録者数は15万人を超えている。

千秋は、どこかつかみどころのない不思議なポジションのタレントである。デビュー当初の彼女はまさに不思議ちゃんキャラだった。その後、バラエティ番組を中心にタレント活動を続けながら、現在は一児の娘を持つ母親であり、ファッションブランドのプロデュースやデザインなどの仕事も手がけている。

公式ブログなどに出ている情報を見るだけでも、歌手業や執筆業はもちろん、童話アプリの制作、パワーストーンのプロデュースと販売、手作り雑貨の制作と即売会開催など、自らの有り余るセンスを生かした多彩な活動を展開してきた。

フジテレビのオーディション番組で芸能界入り

千秋が芸能界に入ったきっかけはフジテレビのオーディション番組『ゴールド・ラッシュ!』だった。小さい頃から歌が好きだった千秋は、歌手になることを目指して19歳のときにこのコンテストに出場。5万人の出場者の中からグランプリに選ばれ、事務所と契約を交わした。

しかし、歌手志望の千秋の思いとは裏腹に、事務所スタッフには「お前はバラエティに向いているからまずはバラエティに出た方がいい。CDなんてタレントとして売れたらいくらでも出せるから」と言われた。歌手になることしか考えていなかった彼女は、当時は事務所の人の言うことに納得できなかった。だが、のちのち、その言葉は紛れもなく正しかったのだということを思い知らされることになる。

デビュー当初はフジテレビの後押しを受け、いくつかの番組に出演していた。『ウゴウゴルーガ』ではアニメの声優を務めたり、大坪千夏アナとコンビを組んで漫才をやったりしていた。レポーターとしてチンパンジーと三輪車で遊ぶロケが好評だったことから、シャチに乗ったりワニに添い寝したりする体を張った企画にも挑戦していた。場の空気を読みながらも、時には感情を爆発させてはしゃぐ千秋のキャラクターは、バラエティの世界にはうってつけだった。

『ウリナリ!!』でポケットビスケッツが人気に

そんな千秋の出世作となったのが日本テレビの『ウリナリ!!』だった。もともとは番組内で千秋を含む女性出演者4人の中から3人を選んでユニットを組んでCDデビューさせる、という企画があった。歌手になりたいという思いは誰よりも強いと自負していた千秋だったが、選考に漏れて1人だけユニットから外されてしまった。このとき、千秋はカメラが回っているのも構わず、本気の悔し涙を流した。

これが番組スタッフの目に留まった。千秋が感情をむき出しにするのが面白いということを発見して、それを引き出すために「ポケットビスケッツ」という新たなプロジェクトが立ち上げられた。ポケットビスケッツは、選考に落ちた千秋を中心にした負け犬のユニットとして始まった。

ここで千秋は奮起した。衣装のデザインや作詞も自分で手がけて、個性を前面に打ち出していった。2枚目のシングル『YELLOW YELLOW HAPPY』が150万枚を超えるミリオンセラーとなり、ポケビは人気アーティストとして定着。『NHK紅白歌合戦』にも出場を果たした。

番組では「○○できなかったら解散」といった試練が次々に与えられ、千秋は必死で課題をこなしていった。新曲発売のために100万人の署名を集めるという企画では、脚を使って全国を回り、最終的には170万人以上の署名を獲得した。もともと歌手になりたくて芸能界に入った千秋は、ポケビの活動に対して誰よりも真剣だった。彼女にとっては、これはバラエティの枠を超えた夢のプロジェクトだったのだ。理不尽な仕打ちを受けると本気で悔しがり、怒り、涙をこぼした。その一生懸命な姿が多くの視聴者にも愛されていた。

ソロ歌手として挫折を味わう

ポケビ解散後、千秋はソロアーティストとしてデビューするが、そのCDは驚くほど売れなかった。ここで彼女は大きな挫折を味わった。

「みんなはポケビというユニットが好きだっただけで、私の歌が好きなわけではなかったんだ……」

厳しい現実を突きつけられて、千秋は改めてバラエティタレントとしての活動に力を入れるようになった。

千秋は幼い頃から、自分がそれほど美人ではなく、スタイル抜群でもないということを自覚していた。だから、恋愛で成功するには、話題が豊富、面白い、一緒にいると楽しい、おしゃれである、などといった付加価値を身につけるしかなかった。「かわいい女の子はいっぱいいるけど、千秋は1人しかいない」という個性こそが、彼女の売りだった。

千秋はポジション取りの天才

千秋はかつて南原清隆に「お前はポジション取りの天才だな」と言われたことがある。共演する男性芸人とも友達のように親しく交流しながら、笑いのセンスを磨いていった。そして、バラエティでは座組みに合わせて、求められるポジションを把握して、的確なコメントを残した。一児の母となった現在は、そのスキルを応用してママ友とも親しく交流。そのノウハウを『人見知りだった千秋が付き合い上手になった魔法の法則16』(中央公論新社)という著書にもまとめている。

恋愛でも仕事でも、欲しいものは必ず手に入れる、というのが彼女のモットー。『YELLOW YELLOW HAPPY』(作詞:CHIAKI/ポケットビスケッツ、作曲:パッパラー河合)の中で「もしも生まれ変わってもまた私に生まれたい」と歌っていた彼女は、ひたすら自分の可能性を信じて、自らの信念を貫き通す芯の強さを持っていた。得体の知れない不思議ちゃんとしてデビューした彼女は、今ではたくましく生きる自立した女性のシンボルとなっている。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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