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志村けんとビートたけし、これが本当の「イイ話」

ラリー遠田作家・お笑い評論家

最近、Facebook上に書き込まれたある"美談"が話題になっています。それは、1986年にビートたけしさんがたけし軍団を連れて講談社を襲撃する「フライデー事件」を起こしたときのこと。それをきっかけに仕事を干されたたけしさんと軍団、およびその家族に対して、志村けんさんが金銭的な援助をしていたというのです。

当時、たけしさんの出演する『オレたちひょうきん族』と志村さんの出演する『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は同じ時間帯に放送されていて、ライバル関係にありました。この書き込みは、ライバルの危機に対して手を差し伸べた志村さんの人間性を賞賛するような内容の話だったのです。

ところが、たけし軍団の一員であるグレート義太夫さんがツイッターでこの話を全面否定。さらに、J-CASTニュースがたけしさんの所属事務所であるオフィス北野に問い合わせたところ、「こんなインチキな話は、噂にしても、作り話にしても稚拙すぎて、リアリティーの欠片もない!!」と怒り心頭だったそうです。(該当記事

というわけで、この話はどうやら事実ではないようです。それでは、実際のところ、志村さんとたけしさんはお互いのことをどういうふうに見ていたのでしょうか? 手元にある資料から、お二人の関係がうかがえるところを探してみました。

1998年発行の志村けんさんの著書『変なおじさん』(日経BP社)には、たけしさんに関してこんな記述があります。

たけしさんとは、ずいぶん昔、軍団の人がまだ5人くらいのころに2年続けて正月に一緒にゴルフに行ったりした。(前掲書、P121)

この記述から察する限り、たけしさんがテレビに本格的に出始めた初期の頃から、それなりに交流はあったようです。ただ、お互い売れっ子で忙しかったということもあり、その後はじっくり話をする機会もなかったそうです。

また、たけしさんは、いくら映画監督として世界的に認められても、自分の原点には「お笑い」があるという意識を持っています。そのことを志村さんは高く評価していました。

昔、たけしさんが軍団をつくった時に、「何をしたいの?」って聞いたら、

「ドリフみたいにきちっと台本をつくってコントをしたい」

と言ってたくらいの人だもの。(同書、P122)

この記述からは、志村さんがたけしさんを1人の芸人として認めているということがよくわかります。

一方、志村さんの所属するザ・ドリフターズのリーダーである故・いかりや長介さんの著書『だめだこりゃ』(新潮文庫、2001年)の中にも、たけしさんにまつわるエピソードが出てきます。『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の前身番組である『8時だョ!全員集合』が、『オレたちひょうきん族』と激しい視聴率争いをしていた1980年代前半。いかりやさんはテレビ局でばったりたけしさんと遭遇したのです。

その頃のこと、フジテレビの廊下でタケチャンマンの格好をしたたけしと出会ったことがある。

彼は照れ臭そうにうつむきかげんのまま、早口で、

「手ェ抜いて適当にやってますから」

と言った。私に気をつかっての言葉だったのかどうか、私が返事をする前に、彼の姿は消えていた。タケちゃんらしいナイーブな挨拶の仕方だ。(前掲書、P199-200)

※注:原文では「挨拶」に「あいさつ」のルビ

計算された台本に基づいて進められる『全員集合』のコントと、アドリブと勢いを重視する『ひょうきん族』のコント。その違いを当事者であるたけしさんがどういうふうに見ていたのかうかがえる象徴的なシーンです。

カリスマ芸人たちの本当の「いい話」を知りたいという方は、彼らの著作に目を通してみてはいかがでしょうか。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『この芸人を見よ! 1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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