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シリア内戦  紛争地の人々が撮影した「証拠としての動画素材」の使い方

黒井文太郎軍事ジャーナリスト
『シリア・モナムール』東京・渋谷「シアター・イメージフォーラム」にて公開中

シリアの現実を描いた映画『シリア・モナムール』

昨日、現在都内で上映中のドキュメンタリー映画『シリア・モナムール』を鑑賞しました。

昨年から今年にかけて、これで私はシリア内戦をテーマにしたドキュメンタリーを3本観たことになります。他の2本は『それでも僕は帰る~シリア  若者たちが求め続けたふるさと』と『ヤング・シリアン・レンズ』です。

この3本は、いずれもアサド独裁政権の残虐な弾圧に晒される人々の現実を映したものですが、密着取材型ドキュメンタリーである後2作品に対し、『シリア・モナムール』はきわめて変則的な構成になっています。映像素材のほとんどが、制作チームが撮影したものではなく、現地からSNSを通じてネット配信された多数の動画素材を、パリ在住シリア人の監督が構成したものなのです(一部に、監督がSNSで知り合った現地在住クルド人女性が撮影して送ってきた映像や、フランスで撮影されたと思しき心象イメージカットもあります)。

つまり、監督自身は遠いパリにいて、この映画を完成させたのです。ナレーションの語り手は監督自身。それと前述したクルド人女性の言葉です。

映画の内容については、こちらの公式サイトをご参照ください。

▽『シリア・モナムール』公式サイト

この作品からは、内戦下のシリアに生きる人々の苦しみ、さらにそれを国外から見守ることしかできない監督自身の苦悩などを感じることになりますが、なにより日本の観客の心に迫るのは、その映像ひとつひとつの臨場感・迫力でしょう。内戦のニュース映像自体は、私たちは日本のテレビでもときおり目にする機会がありますが、それらは剥き出しの暴力や残虐な流血などが削除されたソフトな映像です。

しかし、『シリア・モナムール』では、部分的に衝撃的な映像が挿入されています。そのリアリティは圧倒的です。テレビでは放送されないそうした映像によって、観客はシリア内戦の悲惨さを「実感」することになります。

こうした表現に賛否両論あるのは当然ですが、シリアの戦場を知らない観客に対し、それらの映像は圧倒的なリアリティで迫ってきます。それは過ぎ去った歴史ではなく、「今日もこの同じ地球の上で起きていることなのだ」と迫ってきます。

戦争の現場からネット発信される「証拠動画」の衝撃

実は、この作品とは方向性が必ずしも同じではありませんが、私自身、シリアから発信される数々の動画を、日本のテレビで放送できないかと試みた経験があります。映画の話とは外れますが、その経緯をこの機会に書いておきたいと思います。

実は私は、20年間ほどシリアとは深く付き合ってきました。シリアは40年以上にわたって独裁者親子が政権を握り、秘密警察によって情報が統制されてきた国ですが、そうした国にたまたま多くの知人がいました。

2011年3月6日、シリア人の知人からのメールで、シリア南部の町で反体制活動が始まったようだとの情報を得ました。シリアの民主化運動系のウェブサイトにその情報が流れたのです。当時、私は自分のブログに書き記しています。

▽ワールド&インテリジェンス(2011年3月6日)「シリアで反政府デモ?」

当時、アラブ世界では、チュニジア、エジプトと続いた民主化政変、いわゆる「アラブの春」が他の国々にも伝播しつつありました。その波がいよいよシリアにも達したわけですが、当時、私自身は民主化の成功には懐疑的でした。それというのも、強大な秘密警察と軍が君臨するシリアの独裁のレベルは、チュニジアやエジプトの比ではなく、民衆デモなど、あっと言う間に蹴散らされて終わるのではないかと思っていたからです。

当時、すでにネット空間では反アサド系サイトなども登場し、盛んに政権批判を繰り返していましたが、そのリアリティに私は懐疑的でした。しかし、事態は私の想像を超え、民主化を求める住民デモは、瞬く間にシリア全土に広がりました。独裁政権はデモを銃弾で弾圧しましたが、自由を求める人々は臆することなく、抗議の声を上げ続けました。

私は日本人ジャーナリストと名乗って英文のFacebookのアカウントを作成し、彼らと接触しました。「友達」はわずか1週間で1000人を超えました(数ヵ月後、なぜかFBにアカウントは削除されましたが)。

FB「友達」からは毎日、大量の動画が転送されてきました。それは『シリア・モナムール』にも登場するような、現地で撮影された「弾圧の証拠」でした。シリアには国営「SANA通信」をはじめアサド政権の御用メディアしかなく、民衆の声を隠そうとする宣伝情報を盛んに発していましたが、それがすべて虚偽情報であることは、こうした草の根の動画発信によって明らかでした。

「世界中の人に伝えてほしい」

こうした動画は、どれも衝撃的な映像でした。私は以前、テレビ報道の仕事に携わったことがあり、自分で映像を撮影する側にいたのですが、そうした従来型のメディア取材をリアリティで凌駕する凄まじい映像でした。

私はSNSや知人のルートなどを通じ、デモを指導する「シリア地域調整委員会」(LCCS)のリーダーたちや、それらの動画配信を行っている現地ウェブメディアともコンタクトしました。武器を持たずに独裁政権と戦っている彼らにとっては、こうした映像だけが武器になります。彼らは、民衆が独裁者に殺されている場面を撮影し、証拠映像として世界に発信することで、国際社会と連帯したいと希望していました。

当時、こうした動画のほとんどは、メディア活動家たちが取りまとめ、反体制派系のウェブメディア経由で発信されていました。彼らは私に対し、「自分たちが発信する映像を、ぜひ日本でも放送してほしい」「もちろん無料提供」と伝えてきました。彼らが文字通り命がけで伝えようとしていることを、日本でも伝えたいと私は思いました。

私の本業は著述業なので、シリアの状況についてはいくつかの雑誌やウェブメディアに書いていましたが、それと同時に、日本のテレビで彼らの映像を放送できないか考えました。自分で多くの素材を編集して長尺とダイジェストの2本のデモDVDを作り、いくつかの番組に企画を持ち込みました。

著作権と信憑性

しかし、ことは簡単に運びませんでした。映像の迫力は凄まじく、テーマ性も充分でしたが、いくつかの壁がありました。

まず、独自取材ではなかったということがありました。各局とも、当然ですが、自分たちが責任を持って放送したいと考えます。そのため、まずは自分たち自身による取材、あるいは持ち込み企画であれば、外部の取材者の独自取材である必要があります。

とくに重要なのは、著作権の問題、それと信憑性の問題です。ニュースであれば、海外の有力メディアが報じた素材を流用することはありますが、それは海外有力メディアが放送したというお墨付きがあるからです。著作権も海外メディアから買うということでクリアになります。

しかし、ネットに流れていた素材は、そのまま使うわけにはいきません。ただし、撮影者の許可など実際にはとれません。私はすでに発信に携わった現地の活動家やウェブメディアからは使用許可を得ていましたが、彼らが法的な著作権者であるとは限りません。もちろん撮影している人々や、発信している活動家たちからすれば、そんな問題はどうでもよく、少しでも多くの世界の人々に見てもらいたいわけですが、日本のテレビ局はそうした事情を知りません。

信憑性の問題もあります。その動画は本当にそこで撮影されたものなのか、部外者には判断が難しいわけです。実際には現実に弾圧はシリア全土で行われていて、わざわざ偽装する必要もなかったうえ、仮に偽装してもシリア国民の衆目があったのですぐにバレることになるので、ありのままの動画が正しい説明とともに発信されているケースがほとんどだったのですが、それを部外者が100%確認することは不可能です。実際、騒乱の初期には海外有力メディアでさえ、何度かミスがありました。

日本のテレビでは「取材レポート」の形式が必要

さらに、実際に何人かのスタッフには、こう指摘されました。反体制派側の情報なので「内容が一方的ではないか」というのです。

今でこそアサド政権の残虐ぶりは広く知られていますが、当時はテレビ局のスタッフの中にも、「アサド悪玉論はアメリカのプロパガンダではないか」「反体制デモは、アメリカが一部の国民を背後で操っているのだろう」と考えている人が、少なからずいました。

もともとアサド政権は冷戦時代から反米・反イスラエルだったので、反米スタンスの視点からすれば、反アサド派=アメリカ傀儡であり、「信用できない」との思い込みがあります。あるいは、アメリカが多少関与していた場合、「アメリカが裏で糸を引いているに決まっている」と考えるメディア関係者は、今でも少なからずいます。

こうした場合は諦めるしかありませんが、それでなくとも日本のメディアの場合、自分たちが判断できない題材に関しては、基本的には「両論併記」となることが多いように思えます。私自身は長年のシリアとの付き合いから、自信を持って「アサド政権の非道を伝えるこれらの映像こそが、シリアの現実だ」との確信がありましたが、現地事情に疎い日本のテレビ局が、偏向を回避するために両論併記的なスタンスをとろうとするのは、しかたのないことです。

こうしたことから、これらの映像を番組で放送するためには、少なくとも私自身が現地の活動家を直接取材し、私自身の取材報告の中で、彼らが配信している動画を紹介するという「形式」にする必要がありました。

同年7月、私は隣国レバノンに行き、シリア地域調整委員会のリーダーを取材しました。当時はまだアサド政権が国境を完全に掌握しており、反体制派ルートでシリアに入国して取材することは不可能でした。

重要になる「現地発信のネット動画」という素材

こうして帰国後、あるBSの番組で放送することができました。私自身が解説役となり、2時間枠のほとんどを使って、現地発の動画を紹介しました。

ただし、そこは日本のテレビですから、残虐な流血シーンはすべてカットされました。それでもデモが実弾で蹴散らされている場面、治安部隊が人々に暴行を加えている場面などが放送され、シリアのことをご存知ないであろう視聴者に、現地でのリアルを多少は伝えることができたかなと思っています。

テレビではありませんが、「ニコニコ生放送」でも放送することができました。映像を紹介しつつ、数人で討論するという番組だったのですが、事前に動画を多数、スタッフに渡していたら、番組ではそのほとんどがそのままノーカットで流されました。それこそ流血シーンの連続で、視聴者にはかなり衝撃的だったと思います。ネットメディアならではのことと言えます。

しかし、結局、最も視聴者の多い地上波の番組では、どこも採用されませんでした。せっかくシリアの人々が命がけで撮影した映像を託されたのに、己の非力を恥じる次第です。

今後も世界各地の紛争地から、現地の無数の人々が動画を撮影し、ネットで発信していくことになります。それらの映像は、メディア自身が取材して撮影する映像よりも、リアリティにおいて圧倒的な力を持つでしょう。

しかも、単なる言葉による情報より、動画は「証拠性」がケタ違いに高い素材であり、それをどう使って「現実」を伝えるかということは、メディア側の課題でもあります。それらの映像の存在を無視していては、現実を正しく伝えることはできません。

信憑性をどう担保し、報道に組み入れていくのか。繰り返しますが、重要なのは「現実を伝える」ということです。

軍事ジャーナリスト

1963年、福島県いわき市生まれ。横浜市立大学卒業後、(株)講談社入社。週刊誌編集者を経て退職。フォトジャーナリスト(紛争地域専門)、月刊『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。ニューヨーク、モスクワ、カイロを拠点に海外取材多数。専門分野はインテリジェンス、テロ、国際紛争、日本の安全保障、北朝鮮情勢、中東情勢、サイバー戦、旧軍特務機関など。著書多数。

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