「”金魚電話ボックス”著作権侵害 美術作家が逆転勝訴 商店街に賠償命令・大阪高裁」というニュースがありました。水の入った電話ボックスの中を金魚が泳ぐオブジェ「金魚電話ボックス」で著作権を侵害されたとして、ずっと昔から同種の作品を作り続けていた現代美術作家の方が、オブジェを設置した奈良県大和郡山市の商店街に損害賠償などを求めていた大阪高裁の控訴審訴訟において、14日、著作権侵害を認める判決があったという話です。

判決文はこちらです(ならまち通信社というウェブサイトでこの問題をずっとフォローされている方がスキャンしてアップして下さっています)。

地裁判決の骨子としては、現代美術作家の方の「メッセージ」というオリジナル作品(タイトル画像参照)の著作物性は認められたものの、商店街バージョンの「金魚電話ボックス」とは表現上の様々な相違点があり、共通する部分である「電話ボックスに水を入れて金魚水槽にする」等の要素はアイデアにすぎないので、著作権侵害は成立しないというものでした。「表現を保護し、アイデアは保護しない」のは著作権法の大原則なので、専門家の間では想定内の判決ととらえられていたと思います。私も、想定内というニュアンスで地裁判決に関する記事を書いています。

では、地裁判決と高裁判決でどこが変わったのでしょうか?今回の高裁判決については、各メディアの記事の書き方が微妙に不正確で、地裁判決では「メッセージ」が著作物と認められなかったが、高裁判決で認められたかのような印象を与えるようなものありますが、そんなことはありません。

実は、全体的な考え方という点では、地裁判決も今回の高裁判決も大きな違いはありません。電話ボックスに水を入れて水槽にするというアイデアそのものは著作権の保護対象ではではないので、そこが一致するだけでは著作権侵害にはなり得ないという点は同じです。地裁判決では、それ以外の具体的表現の細かい部分に相違点があるので著作権侵害が認められなかったのに対し、高裁判決では相違点(公衆電話の機種の違い、屋根の色の違い等々)は創作性に直接関係ない要素であって、一方、創作性のある表現としての重要部分は共通していることから、著作物として同一性があると認定されました。

より具体的に言うと、たとえば、電話の受話器がフックからはずされ、金魚の呼吸用の気泡を発生しているという表現です。地裁判決では、

多数の金魚を公衆電話ボックスの大きさ及び形状の造作物内で泳がせるというアイディアを実現するには.水中に空気を注入することが必須となることは明らかであるところ,公衆電話ボックス内に通常存在する物から気泡を発生させようとすれば,もともと穴が開いている受話器から発生させるのが合理的かつ自然な発想である。すなわち,アイディアが決まればそれを実現するための方法の選択肢が限られることとなるから,この点について創作性を認めることはできない。

とされましたが(アイデアを表現するパターンが限られている場合に、表現がアイデアと一体化したものとして著作権による保護を否定するという「マージ理論」と呼ばれる考え方です)、高裁判決ではこれとまったく対照的に、

人が使用していない公衆電話機の受話器はハンガ一部に掛かっているものであり,それが水中に浮いた状態で固定されていること自体,非日常的な情景を表現しているといえるし,受話器の受話部から気泡が発生することも本来あり得ないことである。そして,受話器がハンガ一部から外れ,水中に浮いた状態で,受話部から気泡が発生していることから,電話を掛け,電話先との間で, 通話をしている状態がイメージされており,鑑賞者に強い印象を与える表現である。 したがって, この表現には,控訴人の個性が発揮されている(栗原注:したがって著作権による保護の対象になる)というべきである。

との判断がされました。この点が地裁と高裁で結論が逆になった大きな理由のひとつです。

また、依拠性については、商店街の「金魚電話ボックス」の元となった、美大において制作された作品に対して原告の現代美術家の方が抗議した経緯等から、原告作品を知った上で制作されたものと認定されました。

この判決に関する記事がメディアに掲載された時(まだ、判決文が公開される前)、ツイッター上では専門家の方々による意外との声が聞かれました(私もちょっとびっくりしました)。しかし、判決文を読んでみると「著作権は表現を保護し、アイデアは保護しない」という二分論の原則や「マージ理論」の原則が崩されたわけではなく、個別具体的な個性的表現の認定と著作物としての同一性の判定が変わっただけということであったわけです。