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人事は自社の歴史を学べ【江夏幾多郎氏インタビュー】(前編)

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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今回のゲストは、2回目のご登場となる江夏幾多郎先生です。神戸大学経済経営研究所の准教授であり人的資源管理について専門的に研究している江夏先生に、日本型雇用の歴史的な背景を解説していただきながら、昨今の「ジョブ型」雇用の問題点について議論を深めていきました。

<ポイント>

・日本で「ジョブ型」が登場したのはいつごろか?

・米国のホワイトカラーには明確なジョブディスクリプションが適用されない

・過去の経営者が職務給に乗り気でなかった理由とは?

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■歴史的に見てジョブ型はいつごろ登場したのか

倉重:今回は年末年始スペシャルとして、神戸大学の江夏先生に東京にお越しいただきました。歴史を振り返って、日本型雇用の問題は昔からあったのではないか というお話ができればと思っています。最初に簡単に自己紹介をお願いします。

江夏:神戸大学の江夏です。人的資源管理が専攻です。企業の経営環境や社会環境、社内組織との整合性、歴史的背景などを鑑みて、「なぜ今このような雇用や人事システムが存在しているのだろうか、どのようなパフォーマンスがその存続や消失の背景にあるのだろうか」ということを読み解く研究をしてきました。

倉重:今は「日本型雇用の変革期だ」と言われていますが、本当にそうなのかということを考えてみたいと思います。「ジョブ型」雇用というワードをよく耳にしますが、このような概念は最近生まれたものではありません。戦前も職工など雇用流動性が高く、むしろジョブ型的な社会情勢だった時期もあるともいえます。 歴史的に見てジョブ型雇用はいつごろから始まったのでしょうか。

江夏:近代化以降、日本の雇用契約や労働契約においては、「職務」という概念は乏しいものでした。企業においても個人事業主においても、同じ仕事でも組織ごと、依頼主ごとでその対価が違うということは多かったのではないでしょうか。それが、人事の中核的なシステムとして職務ベースの賃金や等級制度のようなものを真剣に導入することが模索されたのは、1950年代から60年代にかけて、戦後の割と早い時期でした。

人事の業界でとても著名なコンサルタントに、楠田丘さんという方がおられます。この方は1960年代後半から職能資格制度の構想や普及に尽力するわけですが、この方が若かりし頃、まだ官僚をしていた時にGHQに呼ばれて、「日本企業にペイ・フォー・ジョブを入れろ」ということを言われたそうです。彼がペイ・フォー・ジョブ、つまり職務給や職務等級制度について勉強したのが、1950年前後の話でした。海外企業の調査に行って、職務ごとに異なるジョブ・ディスクリプション(職務記述書)の束を見せられて驚いた、というエピソードがあります。同じ時期、経営者団体の日経連でも、職務ベースの給与や等級制度についての啓蒙が図られました。そして実際、一部の金属産業や製紙産業の企業を中心に、1960年前後に職務給制度の導入が行われました。

海外、特に欧米諸国では、もともと職務給でした。ヨーロッパでは様々な職人集団ごとでの結社が中世以来あり、それは熟練システムや労働組合の発展を支えましたが、職人とは言い難い近代組織の労働者にも、「この仕事の価値はこのくらい」という考え方は応用されました。アメリカは様々なルーツの移民達が企業内にいる中で標準的な仕事や雇用契約のルールを作る必要性から、同様の考え方が生まれました。それぞれ、労働者の熟練やそれに応じた待遇変更は重視しますが、熟練そのものに賃金が紐づくということはありませんでした。日本の会社の根本制度としては、すでに見たように、50年代や60年代くらいに職務給あるいは職務等級制度を設け、職務記述書を作成して従業員の待遇決定の基準とするなど、今日「ジョブ型」と言われていることを始めたのですが、結局は頓挫しました。

倉重:高度経済成長期の池田隼人さんの所得倍増計画の中でも、「生涯雇用的慣行とそれに基づく年功序列型賃金体系を技術革新の進展に適合して職業能力に応じた人事待遇制度へ改善してゆくことが必要」 という記載があるので、「何十年同じ議論をしているのだろう」と思います。

江夏:所得倍増計画では、雇用政策にそれなりのボリュームが割かれ、「完全雇用の実現」「成長産業への労働移動」「人間能力とりわけ科学技術に関する知識の向上」「低所得者への社会福祉の充実」といったことが政策目標として掲げられました。おっしゃるように、これらの政策目標、とりわけ低成長産業から高成長産業、労働供給過剰産業から不足産業への労働移動のため、終身雇用や年功序列の慣行を脱するため、職業能力に応じた待遇を可能にする人事制度と、職業紹介制度の確立が課題として指摘されています。

この時点では職能給の明確な規定はなされていませんでしたが、10年ほど遅れる形で、「職務遂行能力」を定義して、それに基づいて評価し、給与を払っていく人事制度が徐々に具体化、普及してゆくという流れになっています。今日の人事の基本的な給与や等級制度のあり方を見直す時には、今あるものが「なぜそうなったのか」ということを、当時の背景も含めて振り返らないと、ノリや流れで改革してしまうことになりかねません。

倉重:日本では職能資格制度、つまり職務遂行能力をベースした賃金体系が定着することになりましたが、「能力」とは何なのかという点は、今なお引きずっている課題です。

当時の時代背景としては、経済も成長していますし、人口も増加しています。企業にとっても、年功序列的に皆の給料が上がっていくという共同体幻想のようなものが必要だったのではないかと思いますが、その辺はどうですか。

江夏:個々人が歳とともに給料が上がっていくことを企業が保障するということは、幅広い労働者に支持されていたと思います。でもそれが一律・横並びであるということになると、労働組合はいざ知らず、少なくない労働者が反発したでしょう。こういうところは日本人は個人主義的です。だから、政府や行政に言われるまでもなく、能力ベースでの待遇差というのは、社会的なコンセンサスが取りやすいものでもありました。

職能資格制度が普及したということに関しては、いくつか理由や背景があります。

まず一つが、仕事の価値を評価し、それに基づいて賃金を払うことに対して、従業員側がそれほど納得していませんでした。同じような能力や会社に対する態度を持っているにも関わらず、やっている仕事が違うというだけで報酬が異なる。あるいは同じ役職レベルなのに職務内容や職種の違いに応じて待遇が異なることがあるということには抵抗感があったのです。会社側としても、ジョブローテーションに伴ってジョブサイズや職務等級、ひいては待遇が変わるようなジョブローテーションは説得しづらいです。

「仕事に対して報酬を払う」という考えはいまいち支持されないところがあったので、「人に対して報酬を払う」ということが支持されていったのでしょう。

倉重:人事異動という概念は既に日本企業にあって、ジョブ型はそこに馴染まなかったのですね。

江夏:日本企業は他国と比べてローテーションを割と多く行う傾向がありますが、それは、「この仕事をやるためにあなたを雇う」という企業の意識、「この仕事への対価として、今の給与は適正だ」という労働者の意識、これら双方が弱いことの、原因であり、かつ結果なのでしょう。そういう社会状況の中では、職務給や職務等級制度が運用しづらいのは当然のことです。」「ジョブディスクリプションを書き直すのが大変だ」という課題が出てきて結局定着しなかったのです。

職務記述書は一度作っただけでは駄目です。環境が変われば新しいジョブや消えるジョブが出ますし、ジョブの市場価値そのものも変わります。労使双方が受け入れられるという意味での公正な雇用契約はジョブの定義がないと始まらない、という社会であれば、そのコストを当然ながら企業は引き受けるわけですが、往時の日本企業はそうではありませんでしたし、労働者もそれを求めませんでした。今はどうでしょうか。

 もっとも、日本以外の国々、特にアメリカなどジョブ型社会と思われているような国においても、最近では、ジョブディスクリプションを明確に、詳細に定めるというのは、少なくともホワイトカラーではほとんどしていません。業務の複雑性がとても高く、抽象的な思考や技術の発揮が求められるので、仕事上のミッション、期待される役割、ということを大まかに示して合意の上で雇用契約、ということになっています。日本企業がジョブ型を導入する時に、想定されるタスクを一つひとつ、昔のブルーカラーのように書き出すのかどうかは、慎重に考えたほうがいいと思います。

倉重:外資系の企業でも、上に行けば行くほど、ジョブではなくて「何を達成しなければいけないか」「何を期待されてこのポジションなのか」ということが書いてあります。

江夏:ホワイトカラーの管理者クラスでも、もちろんタスクの洗い出しはできます。しかしタスクの単純な寄せ集めがジョブ、すなわちその人のミッションやその人への期待になるのかというと、そんなに単純なものでもないですし、同じミッションを達成するために時と場合に応じてタスクを柔軟に変えていかないといけませんよね。

「ジョブ型」において、企業にとって大事になってくるのは、個々の従業員とのコミュニケーションで、きちんとした合意に基づく雇用契約を結ぶ、あるいは配置転換等に応じて契約を結び直すための手間やコストを会社側が負えるのかということです。今の制度がうまくいっていないからといって、ジョブ型に変えたところで、合意形成のためのコミュニケーション、企業内外の労働市場のサーベイが十分でなければ、雑な、あるいは旧来のしきたりに沿ったような運用がはびこり、脱-年功で導入されたはずの職能給と同じような失敗を繰り返す可能性が高いです。

倉重:「仕事に対して値段をつける」ということは、非常に契約主義的な考え方です。日本の会社は江戸時代から昭和にかけて家族主義的な考え方がベースにありましたし、契約上定められていることをやるだけの関係ではありませんでした。

江夏:「御恩と奉公」ではないですけれども、建前上は対等な主体と主体があるルールの下に契約するというよりは、「目上は恩をかけ、目下はそれに報いる」という、ある意味主従というような関係性が美徳とされてきたわけです。

倉重:社会として、それで合意していたということですね。

江夏:歴史的な経緯も含めて、企業が従業員の雇用を守り、従業員は企業に対して忠誠を尽くすという思想は今も残っています。単に経済合理性というだけではなく、社会規範や深層心理なのかもしれません。経済合理性を追求しだすと他のやり方もあるのでしょうが、労使双方、それを追求し、切り替えるのがしんどい部分もあるでしょう。

企業側も従業員に対して、「あなたの仕事はこれです」「この仕事に対して報酬を支払います」というような職務特殊的な能力や成果を期待していたわけではありません。企業のしきたりに沿って仲間と協調するなど、職務横断的であったり、その企業で必要な特殊能力を身につけたり、成果をあげることが求められてきました。

さらに言うと、単に能力や成果だけではなく、良い人格を保有して発揮した、そういう評判を社内で得てきた人が社内で登用されてきましたし、最終的には経営者になるわけです。株主が利益責任を経営者にさほど厳しく問うてこなかったところもあって、結局のところは「良き企業人として」というところが基軸になって、労使間の合意や指揮命令に関する同意なども進められてきました。

こういった家族主義的なところは、ルーツを辿れば江戸時代の家制度だとも言われますが、1910年ごろには、一部の大企業が従業員、特に高学歴の幹部候補生を囲い込むため、年功賃金や福利厚生の充実などを通じて、取り組んできました。そして、戦時体制の政府は、国家を一つの共同体としてまとめるため、企業による幅広い従業員の雇用補償義務や労働移動への強い規制を課しました。戦後の労働運動も、その要求の根本は企業による従業員の生活保障を強くし、かつ適用対象を全ての従業員にまで広げることであり、企業にそれを認めさせる代わりに従業員は企業の人事権に服するという妥結が、徐々に作られました。

倉重:今では批判されていますけれども、高度経済成長期には皆で成果を分け合って、定期的に昇進して安心感を持って働くということが、時代的な背景や労働者の感覚にもマッチしていたということなのですね。

江夏:そのような雇用関係に関する考え方が、戦前、戦中、戦後のある時期までと全く同じような形で今残っているかといいますと、そうではないでしょう。ただ、全く消え去ったわけでもありません。各社における雇用関係や労使関係に関する無意識的な価値観がどうなっているのか、それを守るべきなのかどうかを考えないと、どのような人事制度を導入すべきということも論じられません。

こういうのは精神分析に近いですが、自分たちの現在地を自覚することで、初めてゴールまでの道のり、その困難さがわかり、実現可能な目標が生まれます。お題目のように「キャリア自律が大事だ」「透明性、公平性が大事だ」と言ったとしても、それを述べている自分たちの特徴、価値観や囚われているバイアスに気づかないと、今の時点でどのような雇用関係に関する考え方やベースの価値観が持たれてきたのかを知らないと、うわべだけの利害調整に終始してしまうのではないでしょうか。

倉重:「うちの会社は現在どこにいて、そもそもどうありたいのか」ということは皆が考えていかなければいけませんね。

江夏:企業がそのような方針を示すことで、あるいは方針の根底にある自己像について理解している、理解しようとしていることを示すことで、「この会社がいい」と思う人は来てくれますし、合わないという人は出ていきます。出ていくという時にも「自分にはどのような会社が合うのだろうか」ということを考えるので、マッチングが取りやすいでしょう。

倉重:「ここを評価してほしい」ということが一致する会社ですね。

江夏:十分にできるということは実現しないのかもしれませんが、結局は相手に対して何を期待しているのか、期待している自分自身は何者なのかが明確にならないと、企業と従業員の双方にとって望ましい労働移動は起きないだろうと思います。これまでは共同体的な、「言わずもがな」の中で労使双方がある程度我慢する雇用関係が営まれていましたので、そこを具体化させる必要がなかったのですが。

倉重:ミクロに考えなくてもよかったというところですか。

江夏:ちなみに、年功序列というのはこうした雇用関係の片輪しか説明していません。もう片輪は社員間の競争です。先に示したような共同体の一員としての優秀さが、待遇格差に反映されてきました。「査定付き定期昇給」がその制度的な裏付けです。年々給料が上がっていきますが、その上がり方は人によって異なります。その時に査定が必要になります。何を査定するのかというと、職務遂行能力です。結局職務給が普及しなかった理由はそこなのです。「職務に対してお金を払う」ということになりますと、定期昇給という概念はなくなりますし、査定で賃金が上がったり下がったりというのは、その時点ではありません。

倉重:確かに、「もうその職務についているから」という話ですよね。

江夏:もちろんあるポスト空いたときに誰を昇進させようかという時には査定の情報は必要になります。でも、いつ空くかわからないポストを勝ち取るために高い査定を取れるように頑張るというのは、従業員の頑張り方としてあまり合理的ではありません。

結局、従業員が競争を好むというわけではないですが、一律平等は嫌いますし、公正な待遇さの根拠として、能力査定は有効だったのです。労使関係の中で経営者が優位に立ち、従業員を経営の枠組みに円滑に取り込むというところにおいて、当時は査定という武器はとても有効でした。

年功主義的な色彩が弱いなどのメリットがあるのに、経営者がそこまで職務給に乗り気でなかったのは、経営権の保持、従業員からの支持の得やすさという部分と関わっているからではないかと議論されています。

倉重:人事考課が能力評価だという人もいますが、年次で全員の給料が上がるというものは「能力」評価ではありません。そのような意味では、日本企業が本当にやりたかったこととは違うのではないでしょうか?

江夏:そこがいかにも日本的だと思います。経験と共に皆上がって熟達していく。つまり、「年=功」という意味での年功の考え方です。ただし、その上がり方は人によって違うはずで、そこはちゃんと見ないといけないという、旧来の年功的な考え方を全否定せずに現状を変えていきたいというようなところで、職務遂行能力という概念が作られていった部分があると思います。

■「能力」とは何か

江夏:日経連が1969年に出した『能力主義管理』という本には、後に職能資格制度と言われる人事制度の基本的な考え方が書いてあります。そこで日経連が「職務遂行能力は大きく分けて五つある」と書いています。一つが適性および性格で、気質やパーソナリティーのことです。二つ目が一般的能力。

倉重:最近言われる、社会人基礎力のような感じですか。

江夏:理解力、判断力などです。三つ目が天賦の能力。天から与えられた才能、あるいは経験の中で身に付いた専門的知識です。四つ目が意欲。能力を成果に結び付ける行動力です。五つ目が身体的特質。筋力、運動神経、器用さです。

日経連は職務遂行能力をこのように定義しました。職務遂行能力を基軸にと言いつつ、実際には人間性全体、あるいは人格が基軸になっている。あるいは、能力即人格である。すでに示したように、配置転換などの経営権を行使するため、企業側が職務給を遠ざけたという側面がありましたが、同時に「人格を軸にした雇用関係」に職務給という考え方が合わなかったところもあります。

倉重:「彼はすばらしい人格者だから部長に推薦しよう」というような話ですね。

江夏:その「人格」というところをどう読み解いていけばいいかというところで、職務遂行能力という考え方に結実します。

全人格を射程に入れて評価し、適切な報酬を与えるということを企業側も従業員側も望んだというところがありました。それによって「会社はあなたの人間性を見ているし、そこに期待を掛けているのですよ」というメッセージにもなります。

 結局「査定付き定期昇給」という従業員同士で競い合うことをなぜ社員が受け入れたのかというと、「会社は私という人間に関わろうとしているのだ」ということに対して合意が取れていたからです。

職務遂行能力をきちんと評価して、その結果のフィードバックを社員が受け入れたら、ハッピーエンドになっていたのもしれません。

ところが、そうはなりませんでした。ここが一つのターニングポイントかもしれません。結局こんな包括的なものを人事評価では扱いきれないのです。人によって評価の観点が違ったり、「面倒くさいから経験年数でいいや」と年功的な読み替えをしたりすることが発生しました。ローテーションが頻繁だったり業務多忙だったりすると、上司と部下が互いに知る機会も減ります。

経営者側も従業員側も人格で見ることを大事にしてきましたし、人事評価制度の整備をしようとしたのです。しかし制度をうまく運用しきれなかったことが、この能力査定の失敗の歴史と言えると思います。

倉重:ここの振り返りなしにジョブ型的なものに飛びついて制度を変えたとしても、中身は何も変わらないという話ですよね。

江夏:そもそもジョブ型と言いながら、厳密なジョブ型になっていないことが多いでしょう。厳密なジョブが通用するのは、単純労働の世界です。複雑な労働の世界で「役割期待で待遇する」となったら先ほどの職務遂行能力のように、ものすごく抽象度が高く、かつ包括的なものになります。そうした状況での人事評価を客観的に行うというのは困難というか、不可能でしょう。不可能なんだけれども、評価者は、個々の部下の職務・役割をなるだけ理解し、その出来を判断しないといけません。

倉重:一口に課長職と言っても営業課長と人事課長では求められている役割や業務内容が全く異なります。「課長なのだから一緒だろう」という考えで評価したら、何も意味がないという話ですよね。

江夏:客観的な人事評価はなかなか難しいものです。公式的な評価基準では捉えきれないところも含めて、上司が「日々見ている結果、私はあなたのことをこのように思う」と伝えて納得してもらうというような、ある意味人間関係で物事が回っていく部分です。

主観的だったとしても、「この人の言うことは筋が通っている」「この人は私のキャリアをより良いものにしようとしてくれている」というレベルでの納得感を作っていかないといけないわけです。

倉重:主観評価でうまく納得できなかった企業が、「それではジョブ型に」と移行したとしても、きちんと評価できるかどうかは極めて危ういところですね。

江夏:そういうことです。客観的評価をしやすいように明確なジョブディスクリプションを書き出したとしても、「ホワイトカラーの複雑な仕事と比べると非現実的」ということになって、評価の基準としては使えなくなります。どのような制度を入れるか以前の話として、評価する側とされる側の間の合意形成につながるフィードバックやコミュニケーションがちゃんとできているかどうかを確認したいところです。そこができて初めて、能力評価と職務評価のどちらが自社にあっているのか、ということを考えられます。給与制度や等級制度の導入が大前提になっている企業が多いですが、泥縄式の評価者研修に当の評価者や被評価者がついていけるかどうか、まで考えないといけないのではないでしょうか。

倉重:恐らく今ジョブ型の導入を検討している企業の中には、今までの年功序列も含めてなんとなく上げてきてしまった給料がコストに見合っていないから下げたいというところも多いと思います。

江夏:それはあると思います。ただ、現状の問題は、従来の職能給や職能資格制度の運用の厳格化でも、理屈上は対応できるんですよね。新しい看板を大義名分にするというのは、短期的にはインパクトがるかもしれませんが、それは理屈ベースのものではないですし、運用のあり方が旧来のままでは結局、「元の木阿弥」でコスト削減効果もあまり現れなくなるんじゃないか、という心配はあります。

一部の人の賃下げも、2000年代頃の「成果主義」ブームの時も含め、長らく言われてきましたが、なかなか実現できません。海外でなぜペイ・フォー・ジョブが可能かというと、たとえある労働者が今の会社での評価に不満を感じたとしても、労働市場を使って(転職により)自分の待遇を維持したり延ばしたりする機会がそれなりにあるからです。

日本の社会は解雇もしにくいし、労働市場もそれほど円滑でもありません。ですから、一部の人の不満が構造的にたまりやすく、能力主義でも成果主義でも「負け組」を作らない人事をしてきました。先ほど述べた心配は、それが職務主義になっても繰り返されるのではないか、ということです。

倉重:全人格的評価の時代ではないと言いつつも、今仕事で否定されたら逃げ場もありません。今もつらいし逃げ場も無い、どうしたらいいのかと閉塞感が渦巻いてしまっている状態だと思います。

江夏:会社から見て優秀な人も、そうでない人も、閉塞感を持ちがちですよね。でも優秀な人は、そうした状況に嫌気がさして辞めていくような時代になってきました。流石に企業にとっては、この状況は耐えられないでしょう。一部の人の不満が高まってもなお、優秀な人材にとどまって積極的に貢献してもらうことが、今後の日本企業でも選ばれるようになってくるのではないかと思います。

ちなみに、痛みがあまり大きくならない形で年功主義をやめるチャンスを、日本企業は何度も逃してきました。出生率の低下や寿命の伸びの中、1970年前後には、ピラミッド型の日本の人口構成が変わりつつありました。年功的な雇用システムは、高齢層が少なく若年層が多いそれまでの社会と適合的だったのです。ここでその慣行を変えると、激変緩和措置の導入にもそれほど手間暇を要さず、不満を多くせずに済みました。また、人口の推移ほど当たる予想もないので、大義名分も立てやすかった。

50年ほど前に職務遂行能力に焦点が当てられたのは、そういう人口構成が終わりを迎えつつある状況への対応だったのですが、実際に状況が変わったにも関わらず人事の在り方は旧弊に戻ってしまいました。厳格運用をすればよかったのかもしれませんが、実際には、相変わらず年功的な人事慣行の中での取り繕い、例えば役職定年などの導入です。結果として、全体としての人事システムが、複雑怪奇化してしまいました。

 人格主義的な関与は時代遅れだと言うつもりは全然ありません。むしろその言行一致を徹底させることで、合う人は合うし、離れる人は離れます。

従業員の側も、「会社が何を考えているか分からないから選択の仕様がない」という部分もあると思います。人格主義的にやる、やらない。あるいは明示的な契約ベースでやる、やらない。こういうことについて、会社が「現在地はここで、将来的にこれくらい動く」ということを具体的に考えるべきなのです。「ジョブ型が流行っているから、うちもやってみるか」ということではうまくいきません。

倉重:高度経済成長期には、年功序列も含めた日本型雇用には良い部分もありました。しかし日本経済が弱くなることによって、どんどん余裕がなくなっています。一方で、労働市場は整備されていないので、容易に出ることもできません。この鬱積した不満が立ち込めているということが、改めて見えてきました。

(つづく)

対談協力:江夏 幾多郎(えなつ いくたろう)

神戸大学経済経営研究所准教授

1979年生まれ。一橋大学商学部卒業,同大学にて博士(商学)取得。名古屋大学大学院経済学研究科を経て2019年より現職。専門は人的資源管理論,雇用システム論。主著に『人事評価における「曖昧」と「納得」』(NHK出版),『コロナショックと就労』(ミネルヴァ書房)。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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