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日本型雇用の新しいグランドデザインを探る【鶴 光太郎×倉重公太朗】第1回

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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今回のゲストは、慶應義塾大学大学院商学研究科教授の鶴光太郎先生です。鶴先生は2013年から、内閣府規制改革会議委員として、政府の雇用制度改革をリードしてきました。組織と制度の経済学、労働市場制度を専門に、さまざまな調査や分析を行い、政策の提言をしてきた鶴さんに、雇用システムの変化と、法政策の課題について伺います。

<ポイント>

・長時間労働の改革が進まなかった理由

・「働き方改革」の舞台裏で話し合われたこと

・コロナをきっかけに浮かび上がってきた日本型雇用の課題

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■国の雇用環境に一石を投じる

倉重:今回は慶應義塾大学の鶴教授にお越しいただいています。よろしくお願いします。大変恐縮なのですが、自己紹介をしていただいてもよろしいでしょうか。

鶴:慶應義塾大学大学院商学研究科の鶴と申します。自己紹介するほどのものはないのですが、元々私は霞が関にいて、今の内閣府、旧経済企画庁というところに入り、官庁エコノミストというものを目指していました。政府や日銀の研究所、国際機関のOECDなどにもいたことがあります。いろいろな経緯を経て、2012年から慶應で働いています。

 かつては銀行や金融システムも研究対象でしたが、この十数年は特に雇用システムや労働使用の問題にかなり集中しています。

 一つ大きなポイントになるのは、2013年~2016年まで規制改革会議の委員をしており、雇用ワーキンググループの座長として、さまざまな雇用改革の提言をさせていただきました。

ジョブ型雇用や、解雇の金銭解決、それから労働時間の上限規制、適応除外、派遣の話など、かなり幅広く取り組みました。

必ずしも自分が思ったような形には進んでいませんが、一石を投じるきっかけづくりはできたのではないかと思っています。簡単な自己紹介は以上です。

倉重:ありがとうございます。規制改革会議の議事録は私も読ませていただいて、「いいぞ、いいぞ、頑張れ」と思っていました。そのような先生と対談ができることを非常に光栄に思います。

まさに今、そこから話を伺おうと思っていたのですが、働き方改革関連法というところで、労働時間の上限規制や有休5日付与の義務化なども改正されました。当時思っていた方向性に今の世の中は進んでいますか?

鶴:労働時間の上限規制や、非正規雇用の処遇改善等は必要だとわかっていても、労使共になかなか難しい話なのです。こういうものはまず当然厚労省は動きません。

 長時間労働については何十年も議論しているので、厚労省の研究会は「おっしゃっていることは分かるのだけれども、それを言ってもらっても困ります」という微妙な雰囲気があります。びっくりするかもしれませんが、改革が本格化する前までは、「労使共に嫌なことは当然政府もできませんよね。はい、終わり」という感じだったのです。

倉重:余計なことを言うなといった感じだったのですか。

鶴:そうなのですよ。長時間労働については、1990年代初めに生活大国やバブル経済になり、過労死の話が出てきた当時から「日本のシステムには負の面があるよね」とずっと言われてきましたが、ほとんど変わっていませんでした。

全体で見れば非正規が増えた分、何となく「労働時間が少し減ったよね」と錯覚するような、明らかに統計のマジックが働いている状況が続いてきました。今回の改正で「山が動いた」ということは確かですが、「一体これは何だったのだろうな」という話も当然あるわけです。

 細かく見ていくと「これは中途半端だったよね」という話もあります。典型なのは、高度プロフェッショナル制度、いわゆる「高プロ」と呼ばれているものです。規制改革会議では、「労働時間の上限規制を裸で導入することは絶対に無理だろう」と思っていたので、何かとセットにしようと思っていたのです。労働時間の適応除外の範囲を広くして、採用も含めて、労使で話し合って柔軟に決めていくようにしました。

 長時間労働の上限規制の話や、長期休暇をきちんと取るなどの措置をとらなければ、当然過労死がまた出るのではないかという議論はありました。「両方セットであればいいのではないか」という肝心なところまでは水面下で行ったのですよ。

倉重:へぇ!そうなのですか。

鶴:はい。でも、多分先を急いでしまったのですよね。当時、産業競争力会議と規制改革会議が二つ並行していて、向こうのほうが少し急ぎ足になったのです。「取りあえずこのような形であれば合意できるのではないか」というところで進めたので、ものすごく限定的なものになってしまいました。非常に制約が厳しくて、ほとんど使われていません。

全国一律の基準を決めるのはすごく難しいし、いろいろなところで需要が異なってくるので、もっと柔軟にした上で、「きちんと労使で話をして決めていったらどうですか」というような提案であれば、誰が聞いても「それはそうだよね」と思いますよね。もちろんわれわれ学者も皆「労使で話し合わないでどうするのだよ」と思っています。

一方で、本音としては、面倒くさいから嫌なのですよ。「全部お上が決めて一律でやってくれ」という要望が労使間ではっきりあります。みんなばらばらになると、収拾がつかなくなるから嫌なのです。でも決してそういうことを言いません。

倉重:明確に言わないけれども、全然改革したくないという空気があるわけですね。

鶴:「しっかり労使で話して決めてね」という制度は嫌なので、お上のほうで決めてくれと思っています。その代わり、「絶対に自分たちの問題にならないところで決めてください」ということなので、変な話になるわけです。

 僕は当時「出島主義」ということを言いました。出島のような特別なものをつくって、「そこで何か変なことが行われても仕方がないよね」と考える発想です。裁量労働制などもそうですが、制度のある部分にだけ穴を開けて、何かすごくいびつなシステムをつくるわけです。枠をはめて、「ここなら少し変則的なことをやってもいいよ」「本当は嫌だけどここは仕方ないよね」ということを繰り返しています。

本来ならば労使できちんと話し合って、「この企業にとってはこういうやり方が一番いいよね」ということを模索する必要があります。

企業も働く人も多様化しているので政府が細かいところまで全部しゃくし定規に決めるのは無理があります。その一方で、「面倒くさいことを言うことはやめてよね」という陰の声もありました。

 時間をかければ、もっと議論ができたのではないかなと思うのだけれども、先を急いで、決め打ちしなければならないとなると、皆が納得するものは出島しかないわけです。知らないうちにそのようなものができていました。僕は当時から「一体これは何なのだよ。もういい加減にしろ」と言っていたのです。もう昔の話なのでいいのですけれども。

倉重:もう、本当の意味で改革することを絶望したとおっしゃっていましたね。

鶴:本当に。でも、コロナになってからテレワークが増えました。当時から、「昔ながらの工場の生産労働者とホワイトカラーは全然働き方が違うよね。ホワイトカラーに合った労働時間の規制できているのですか?」と聞いていました。あまりにも労働時間の問題が賃金とリンクされ過ぎていて、非常におかしな話になっているという想いがすごく強かったです。

倉重:1時間多く働いたら1時間分の割増賃金を払うというような明治時代の工場法から続く考え方ですね。

鶴:労働時間の話が「お金を払うか払わないか」という論点になっていたので、「これは変えなければいけない」という気持ちがすごく強かったです。

当時、海外には「労働時間貯蓄制度(*残業や休日出勤の労働時間を貯蓄して有給休暇などに充てられる制度)」という制度がありました。何が何でもお金で解決するというのはおかしいと思います。しかしそういうことを言うと、「残業代ゼロ法案」という一言で終わりなのですよ。

倉重:当時野党はそういう戦い方をしていましたね。

鶴:あらゆるものがその一言で終わりなのです。そこに反対をしていくことがあまりにもばかげています。労働時間と賃金の話をまず切り離すことをしないと、もう一歩も前に進めないと思いました。

倉重:「労働時間は成果とリンクしない」と当たり前のことを言うと、やはり「残業代ゼロ法案」と叩かれます。

鶴:全部それになるのですよ。裁量労働制も、例えば9時間をみなし時間にしていれば1時間残業代を払わなければいけないわけです。やはり賃金と労働時間が結び付いています。僕は当時も規制改革会議でも、「裁量労働制をどうかするか」ではなく、もっと抜本的なことを考えなければいけないと言っていました。

むしろ発想を変えて、テクノロジーをきちんと使っていけば、労働時間の管理はできるし、職場をデスクトップ上で再現することも可能です。多種多様な工夫が可能になっているので、テクノロジーの力を借りて、制度や法律を変えなければいけません。今のコロナの中では、僕は「それはおかしい」と思うこともすごく多いです。

 もう少し柔軟な仕組みを作らなければいけないという想いは当時からありました。それはコロナだろうが何だろうが関係ないですよね。

倉重:先生はコロナ前からテレワークのこともおっしゃっていましたよね。

鶴:そうです。僕はコロナの前からテレワークのことを言い続けていました。今回コロナになってダメなところ、遅れているところがすごく見えてきたし、やらなければいけない方向性がはっきりしました。コロナ前にきちんとしていたところは、テレワークでも、ダイバーシティーでも、働き方改革でもあまり困っていません。困ってギャーギャー言っているところは、デジタル化さえ進んでいないことがすぐに分かります。本当に笑ってしまいます。笑うと言ったら怒られてしまいますが。

 今慌てて「大変、大変」と大騒ぎしているところは「そもそもコロナ前にやるべきことをやっていなかったよね」と思います。「コロナだからやっている」ではなくて、「コロナがなくても本当はしなければいけなかった」という発想にならないと、コロナが終わったら「また元に戻りましょうか」と考えますよね。

倉重:「緊急事態宣言が明けたらすぐ出社だ」という会社もありますからね。

鶴:本当に次元が低いというか。まあ仕方ないなという冷めた目で見ていますけれども。

倉重:結局、コロナをきっかけに、元からあった日本型雇用の課題が浮かび上がってきたということなのですよね。

鶴:本当にそうです。オンラインで仕事をしているならもっとテレワークの比率は高まるべきでした。僕は日経スマートワーク経営調査にも携わって、上場企業などを何年も細かく見ているのです。テレワーク制度の導入は、上場企業の比較的上の600社では、コロナの前の数年で急速に進んでいました。ご承知のようにテレワークは規模感覚差が大きいですよね。大企業では進んでいますが、中小企業はまだまだです。日本全体がそうですよね。

大企業は、コロナ前から急速にテレワークを進める動きがあって、制度の導入は進めていたけれど、実際の利用者がびっくりするほど少なかったというのが実態だったのです。総務省の調査などでは、制度がある企業の割合を出しますよね。その中で、どれだけの企業が在宅勤務をしているかというと、非常に少なかったのです。

倉重:コロナ前だと利用するための理由も育児や介護などに限定されていたでしょうね。

鶴:そうです。僕はそれが一番問題だと思っていました。介護や子育てしている人に限定するのではなくて、全従業員が使わなければダメだよと話していました。それがわかっているところは、コロナ前から先進的な取り組みをしています。テレワークの制度で、「ほぼ全従業員が利用できる」と言っているところは、他の働き方改革やダイバーシティーなどでも非常にいい取り組みをしています。

倉重:本質的に何をしなければならないか、きちんとわかっているのですね。

鶴:そうです。結局どのような場所でも、まずは自分が一番パフォーマンスを上げられるところで仕事をするのが、企業にとっても大事です。テレワークはコストではなく、企業のパフォーマンスを高めるための一つの手段であり、従業員のウェルビーイングを高める一手段です。それが明確に分かっているところはコロナ前から実施していました。

 その認識のギャップというものはすごくあります。制度はあっても、なかなか使えない。みんなが出社しているのに自分だけテレワークは使いづらいという問題ももちろんあったと思います。僕はその問題を「仏つくって魂入れず」と言っていました。制度はあるのだけれども、魂は入っていないよねと。これがコロナ前に、大企業が一番上澄みのところで制度を進めていった状況です。コロナになってからはだいぶ強制的に変わりました。

倉重:働き方改革法では思ったとおりの改革ができなかったけれども、実はコロナによって本当の意味で働き方が変わりつつあるという現状ですよね。

鶴:そういうことが言えます。私は規制改革会議で、最初から「働き方改革と雇用改革の肝は多様で柔軟な働き方だ」と言っていました。現代はいろいろな事情を持つ人が増えています。日本は労働力という面では少子高齢化の流れになっていますから、女性や高齢者でも労働参加をしないといけません。「さまざまな働き方を選択できるというところが、働き方改革の一番大事なところだよね」と最初から言っていました。

倉重:ライフステージによって働き方を変えられるのが大事ですよね。

鶴:はい、その一番根本にジョブ型という話があったわけです。例えばフレックスやテレワークのように、「労働時間適応除外制度」のようなものを作って、時間や場所にかかわらず働けるようにする。それが多様で柔軟な働き方の一番コアになる部分だと僕はずっと言い続けてきたつもりです。

 ところが、途中で「働き方改革=長時間労働の抑制+非正規雇用の処遇改善」になりました。たしかに、正社員の労働時間と非正規社員の処遇改善が一番重要な課題でしたが、根本的なところが何か忘れ去られてしまったのです。そこがコロナになって、もう一回突きつけられていると思っています。その中心がテレワーク。つまり、時間や場所を選ばない働き方です。

それから働き方改革では、「テクノロジーをどれだけ使っていくかで成否が決まってくる」という話もずっとしていました。あらゆるものの交差点のようになっているところがテレワークであり、リモートなのです。

 単に「感染症対策で仕方ないよね」というとらえ方をしていたら、全く時代の流れについていけないというか、一丁目一番地なのに横道の路地に入るような感じになっていまいます。

倉重:労働時間の話も、労働時間を規制することそれ自体が目的になってしまうと、「結局何のためにやっていたのだろう」という話ですよね。

鶴:僕は全部つながっていると思っています。最後はやはり企業のパフォーマンスを高めていくという話になります。企業のパフォーマンスを高めるには、明らかに従業員の人たちのウェルビーイングが重要です。満足度でも、やりがいでも、エンゲージメントでも、健康そのものもそうなのですけれども。それをしなければ企業のパフォーマンスは上がらないし、労使の綱引きのような議論ばかりが行われています。労使が対立して綱引きをして、「こちらが勝った」「負けた」というゼロサムゲームをしています。それはいつの時代の話なのですかと。

倉重:結局、労使双方の意見を聞いて、結局、中途半端な制度になっているだけですからね。

鶴:結果として、両方とも綱引きで疲れてしまって、ぐったりしているというのが、僕がいつも見る状況なわけです。一体何をやっているのですかと。労使共にメリットがある話は確実にあります。そこに向かって両方とも進んでいくのです。日本の高度成長時代はお互いが果実を分け合うことが、すごくやりやすい時代でした。それは成長していたからです。単純に、経済成長していて若年労働力が多くて、普通にやっていればうまくやれたという時代でした。今はそういう時代ではありません。今は、「どのように従業員と企業双方のメリットにつなげていくか」という発想が大事ですよね。

 SDGsや環境への投資もそうです。企業はもちろん利潤を最大化できなければ企業として失格です。生きていけないし、淘汰(とうた)されます。利潤の最大化、企業価値の最大化はとことん実践してください。

ただ、それと社会への貢献や、従業員のことを考えるのは両立すると思います。今はまさに全部の歯車が回り出している時代だと思うのですよ。

 本当に社会貢献をきちんとしている企業は投資家からも評価され、株価も上がります。企業イメージが非常に上がるので、商品を買ってもらえて収益も出ます。従業員も頑張るし、イノベーティブになります。従業員が成長すれば企業も成長します。結局そういうことが分かっている企業と、分かっていない企業に分かれているのです。

倉重:それはこれからの企業の役割をどう捉えているかですね。

鶴:「従業員のためにすることは全部人件費で、コストです」という発想しかできないところもあります。今そこを思い切れるかどうかで、すごく差がついています。

倉重:そこは企業間でかなり差ができてきますよね。

鶴:コロナで企業の間の差がものすごく広がっていると思います。

倉重:企業規模ではなくて、多分経営層の考え方の差なのでしょうね。

鶴:まさにそうだと思います。結局コロナのせいにして右往左往している企業と、コロナ前から進むべき道をきちんと見据えている企業があるということです。後者はコロナの中でも何も変わりません。どうやって従業員を育てていくのか、どういう目標で経営していくのかとうことにブレがないですよね。

(つづく)

対談協力:鶴 光太郎(つる・こうたろう)

慶應義塾大学大学院商学研究科教授

1960年東京生まれ。84 年東京大学理学部数学科卒業。

オックスフォード大学 D.Phil. (経済学博士)。

経済企画庁調査局内国調査第一課課長補佐、OECD経済局エコノミスト、日本銀行金融研究所研究員、経済産業研究所上席研究員を経て、2012 年より現職。

日経スマートワーク経営研究会座長、

経済産業研究所プログラムディレクターを兼務。

内閣府規制改革会議委員(雇用ワーキンググループ座長)(2013~16 年)などを歴任。

主な著書に、『人材覚醒経済』、日本経済新聞出版社、2016(第60回日経・経済図書文化賞、第40回労働関係図書優秀賞、平成29年度慶應義塾大学義塾賞受賞)、『雇用システムの再構築に向けて―日本の働き方をいかに変えるか』、編著、日本評論社、2019などがある。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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