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インドネシアで一番有名な日本人に聞く、「世界で戦う人材育成」【小尾 吉弘×倉重公太朗】第3回

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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国内有数の工業団地のある西ジャワ州ブカシ県にある工業団地MM2100内に、職業専門高校(SMK)「ミトラ・インダストリMM2100」があります。ブカシ県は工場が集積する地域でありながら、産業界の求める人材と、同地域の教育カリキュラムが一致していないという問題が生じていました。そこで、小尾さんを中心に団地入居企業の人事部長らが学校設立に立ち上がり、企業が求める人材を育成することを決めたそうです。その結果、卒業生のほとんどが進学・就職できていると言います。小尾さんが現地の高校生たちに教えている、人生で大切なことを伺いました。

<ポイント>

・住民のデモが引き起こした変化とは?

・まず現地の先生たちを教育する

・インセンティブを与えながら生徒に頑張ってもらう仕組み

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■インドネシアに学校を作る

倉重:学校を作って現地の社会に貢献しているというのも非常に象徴的なお話なので、これについてもお伺いしたいのですが、最初はなぜ学校を作ろうと思ったのですか。

小尾:わたしたちもいきなり「学校を作って地元の子どもたちを育てよう」ということを考えていたわけではありません。そこに行くまでに10年以上の月日がかかっています。90年に工業団地を作り、10年以上たった2001年か2002年ぐらいに、地元の人たちが「仕事をよこせ」というデモをしたのです。

倉重:不況だったわけですか。

小尾:というよりも工業団地ができて、どんどん仕事が増えているにもかかわらず、地元の人たちが働けなかったのです。

倉重:恩恵に預かれていなかったのですね。

小尾:そうなのです。なぜかと言いますと、肥沃な土地ではないため稲作ができず、村に仕事もなく、教育レベルも低かったので、入居企業がなかなか地元の子が雇えなかったのです。中部のジャワに行けば、立派な教育をしている高校があるので、そこから優秀な子を引っ張ってくることが10年ぐらい続いていました。それでデモをされたので、「これではいけない」ということになりました。

わたしは、工業団地の運営の基本として、やはり「地元との共生」が大事だと感じていましたので、デモをされた当初は「セキュリティや掃除、食堂のおばちゃんなどのノンコアな仕事でどんどん地元の人を雇ってください」とお願いしました。

倉重:まずは任せられるところからということですね。

小尾:はい。そういうところに人数をはめていったのです。でも「これではいけないな」「これから何をしようか」と考えて、小学校に行けない子どもたちに奨学金を出したり、最貧困層の子どもたちに学用品を配ったりしました。次に地元の小中学校の先生を呼んで来て、トレーニングをしたのです。

倉重:先生もひどいのですか?

小尾:そうです。よくこの話をするのですが、「土曜日の朝9時に先生向けのセミナーをしますので事務所に集まってください」と言いますと9時に来る先生は1人もいません。

倉重:1人もいないのですか。何ですか、それは。

小尾:要は時間を守るという概念がないのです。インドネシアに行けば、皆さんも経験されると思いますが、なかなか時間を守ることができません。生徒に教えるのもいいのですが、その前にまず先生に対して、「こういうふうに子どもたちに育ててもらえば将来うちの工業団地、もしくは日系企業で働けるようになりますよ」「基本のしつけ、規律を守ることは大事ですよ」ということを理解してもらう必要がありました。

倉重:重要なこととして、何を教えているのですか?

小尾:一番大事なのは時間を守ること、うそをつかないこと、人の物を取らないこと、借りた物は返すということです。基本中の基本なのですが、みんな分かっていてもなかなかそれが態度に表せません。

倉重:そんなことを言ってくれる人もいなかったということですね。

小尾:そうです。それがなぜ大事かというところも先生が理解していなかったと思います。

倉重:ちなみに小尾さんはなぜそんなことを教えられるのですか。

小尾:実は工業団地の入居企業の総務人事部長さんが集まり、フォーラムを作りました。彼らはそれぞれの会社で社員教育をしていますので、「インドネシア人を雇ったときにはどういう教育をしなければいけないか」ということを教えてくれました。

倉重:実際に現地から出てくるアイデアなのですね。

小尾:そうです。それを先生にも実践してもらったのです。地元に村が6つほどあるのですが、その村長さんや村役場の人、若者を集めて、ジャカルタ郊外の避暑地に連れて行き、半分遊び、半分トレーニングをしながら、先生だけではなくて村の人たちにも理解してもらうための活動をしました。それを何年か続けて、2010年ぐらいからは「卒業した子がそのまま工業団地の工場や会社で働けるように育てよう」ということで高校を始めたのです。

倉重:最初は社会に対するイベントやちょっとしたセミナーのような感じで行っていたことを、高校の授業にしていったのですね。

小尾:そうです。

倉重:いわゆる職業専門高校なので、当然高校を出たら工業団地で就職することをイメージして教育されていると思うのですが、そこで「働く」ことはどういうことだと教えていますか。

小尾:この部分は難しいです。働くことというよりも「どういうふうに生きていくか」ということの教え方だと思います。わたしがうちの高校の15歳から18歳の子どもたちに言っているのは、「まず夢を持ちましょう」ということです。小さいときから持っている夢でもいいし、高校に入ってから見つけた夢でも構いません。その夢が目標に変わっていくと思うのです。夢を持つことがまず1番で、2番目は「その夢をかなえるために努力を継続しよう」ということです。その2点だけを、ずっと子どもたちに言い続けてきました。夢は見ているだけでは実現しません。(Your Dream will never come true if you just dream)

倉重:基本の基ですけれどもそれが大事ということですね。

小尾:そういうことを話すことによって、彼らもモチベーションを保てるでしょうし、頑張ってくれているような気がします。

倉重:今はもう卒業生が6期か7期ぐらい出ているということですか。

小尾:2012年で入学した子どもが最初なので、2021年の7月に卒業するのが7期目ぐらいです。

倉重:かなり卒業生も増えているのではないかと思います。評判はいかがですか。

小尾:学生の数は10倍以上に増えました。最初は1学年220人ぐらいでしたが、どんどんクラスが増えて、今は1学年800人います。3学年合わせると、全校生徒が今や2,400人いるのです。

倉重:人気なのですね。

小尾:はい。最初は本当に就職できるか心配していたのですが、武道で言うところの「型」をきっちり3年間教えてあげると、本当に立派な人間になって卒業して、働くので、企業で重宝されるようになります。

倉重:わたしも実際にMM2100の職業高校を訪問させていただきましたが、とても規律正しくて皆さんびしっとしていました。

小尾:5Sを日常生活から実践させているので、まず親が驚きます。中学までだらだらしていた子どもが高校に入って家に帰ってきたら、朝はちゃんと布団をたたみ、脱いだ服をきれいに片付けるようになるのです。

倉重:「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「しつけ」という「5S」をきちんと教える学校は素晴らしいです。そういうことは、普通は教えてくれないですよね。

小尾:そうです。わたしが見ている限り、教育に大切なのはインセンティブです。普通の学校は、卒業した後どうなるか分かりません。中途半端なまま「これやれ」「あれやれ」と言われてもなかなか難しいと思うのです。

倉重:「何でやらなければいけないのか分からない」ということですね。

小尾:そうです。われわれのところはそこが非常に明確です。厳しいしつけ教育を身につければ、就職や進学に有利で、チャンスがあれば日本の研修生として働くこともできます。そういう卒業生も実際に現れています。

倉重:高校の卒業生で、今日本に来ている人もいるのですね。

小尾:毎年30人から40人は送り込んでいます。

倉重:そんなにいるのですね、すごいです。

小尾:そういう先輩を見ることによって「頑張ろう」という気になっているので、そこが大きいと思います。インドネシアにはいろいろな工業高校や職業専門校もありますが、インセンティブを与えながら生徒に頑張ってもらう仕組みづくりができればいいと思っています。

倉重:同じ工業団地にありますから実際に働くイメージもわきますよね。実際に卒業生でそれなりに偉くなった人もいますか?

小尾:どんどん偉くなっています。入社して2年目、3年目で日本に研修に行き、トレーニングを積んで戻ってくれば、班長から係長、課長になると思います。

倉重:将来は工場長ということですね。

小尾:わたしの理想はそれなので、ぜひ卒業生に取締役になってもらいたいのです。

倉重:地元に雇用がなくてデモをしていた地域で、学校を作って卒業生が工場長になったら世の中を変えたということになりますね。

小尾:それは本当に理想です。これから何十年かかるか分かりませんが。

倉重:小尾さんならできそうな感じがします。

(つづく)

対談協力:小尾 吉弘(こび よしひろ)

1959年、奈良生まれ。大阪外国語大学イスパニア語科卒。

82年総合商社“丸紅”に入社。30年にわたり、海外不動産開発案件に従事。

83年よりジャカルタに駐在。ジャカルタ中心地でのオフィスビル・商業施設の開発を担当。

89年には、“MM2100工業団地”開発の立ち上げから携わる。

93年より2年間、専従として従業員組合副委員長1年・委員長1年務める。

96年より、フィリピンにて “リマ工業団地”開発を新規に立ち上げ、リマ工業団地開発・運営会社の副社長としてフィリピンに駐在。

2003年インドネシアに移り、MM2100開発・運営会社社長を務める。2012年総合商社退職。

現在も引き続きMM2100開発・運営会社社長として企業誘致、投資環境や労使関係の改善に取り組む一方、病院、高層住宅、商業施設を誘致し、MM2100を工業団地から、複合都市に変貌させた。

2012年、工業団地内に職業専門高校を設立。即戦力となる人材育成にも注力。インドネシアの若者への教育に情熱を傾ける。

2006年イスラム教に入信。MM2100でのモスク建設に関わる。2019年メッカに巡礼(ハッジ)。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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