切ないことだらけの人生をしなやかに生き抜く秘訣【実家が全焼したサノ×倉重公太朗】第2回

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「実家が全焼したサノ」さんは、大学卒業後、バーの経営をはじめますが、開業して半年間は赤字続きでした。貧困のあまり、自分で育てたモヤシを食べながら17時間労働を数カ月続けたそうです。血尿や血便が出て、体に湿疹ができるという過酷な環境を乗り越え、どのように黒字化していったのでしょうか?

<ポイント>

・大学時代にホストクラブで働き、学んだこと

・100kmマラソンに挑戦して足を骨折する

・バーの経営をしながら大学院に進学した理由

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■学費を稼ぐためにホストになる

倉重:学費を稼ぐために、カラオケ屋でのバイトからホストになるのですね。

サノ:そうです。先輩に「ホストで働いたら一瞬でお金が稼げる」と言われて働きました。実際、普通のカラオケ屋で働くよりは収入が良かったです。

倉重:ホストクラブで学んだことを教えていただけますか?

サノ:僕はホストクラブで働くまでは、ホストクラブに通う女性の目的が全くわかりませんでした。 だけど実際に働いてみて、その理由を知りました。ホストクラブに通う女性の多くは、世の中に対する不満や、コンプレックスを抱えていました。なんとなく、ずっと世の中の少数派にいる感覚なのだと思います。ホストクラブはそういう方を肯定し、居場所をつくる場なのだと学びました。

倉重:本当の自分の価値を認めてくれるということですね。

サノ:そうです。ある種のセーフティーネットとしての役割があります。「ホストクラブがなかったら私は死んでいた」という女の子も何人も見ています。なかには、ホストクラブが無かった方が生き生きとしていた人もいるかもしれませんが。

倉重:なるほど。本に「女の子のうそも全て信じなさい」という話がありましたね。

サノ:仕事で出会う女性には、よく嘘をつかれました。なぜかというと僕たちホストを人ではなく、商品として見ているので、適当な嘘をつくことに罪悪感がないのです。しかし、そんな女性でも、ずっと信じて、信じて、信じ続けると、初めて人間同士の関係になります。

倉重:ホストと客ではなくて、人として付き合うわけですね。

サノ:そうです。ずっとうそをつき続けて、それをバカ正直に信じているホストがいると、申し訳ないなという気持ちになるようです。結果的にお店に来てくれるようになって、応援してくれるケースもありました。

倉重:中には続々と親戚が亡くなるというお客さんもいらっしゃったのですよね。

サノ:毎週誰かが死んだという報告をしてくる、まるで死神のような人もいました。

倉重:「お客さまのためになる時だけ怒りなさい」ということも書かれていましたね。

サノ:そうです。「おまえのためを思っている」と言いながら、本当は自分のために怒りをぶつけるという人がよくいますよね。それは相手に見透かされてしまいます。だから、自分に一切利益がないときだけ怒りなさいと、先輩ホストから教えていただきました。

倉重:「トイレ掃除をやるのはダメだ」という話もありました。

サノ:それは努力の方向性の話ですね。ホストの中には「掃除が一番大事だ」「トイレ掃除をさぼるやつは何もできない」という信念のもと、すごく熱心に掃除をしている人がいます。しかしいくらがんばっても、その人自身の売上が上がるわけでもありません。その人が熱心にトイレ掃除をしている間に、売れているホストたちはお客さんをつくることに力を入れています。

メールで営業したり、同伴の約束を取り付けることに時間をかけていていました。トイレ掃除一つを大事にできない人はダメだという気持ちは分かるけれども、売れるためにやるべきことの優先順位を間違ってはいけません。努力の方向性を誤ると、なかなか売れるのは難しいと、働いていて思いました。

倉重:努力の方向性を間違えないというのは、どんな仕事でも大事ですよね。

サノ:ホスト以外でも大事だと思います。

倉重:よくこれに気付けましたね。

サノ:初めの頃はホストでの売れ方が分からなくて、よく売れっ子ホストの研究をしていました。学生時代もとくにモテていたわけではないので。

倉重:そうなのですか。

サノ:はい。どうしたら売れるのだろうと思った時に、まず徹底的に売れている人のまねをしようと思ったわけです。売れている人と売れていない人では、行動が全然違いました。その違いを見ていく中で、「努力の方向性が違うのだ」と気づいたのです。売れていない人が努力をしていないわけではありません。

倉重:間違った努力をしていたわけですね。

サノ:そうです。

倉重:サノさんは自分の置かれた状況を客観的に分析することが得意ですね。

サノ:意識をしているわけではないけれども、そういうふうに客観視をしてしまう癖があるかもしれません。

■大阪から東京までママチャリで旅する

倉重:そうかと思えば、大学生の時に大阪から東京まで自転車で行ったりしたのですよね。

サノ:ママチャリで行きました。基本的に暇だと何かをしたくなるのです。

倉重:あとは100キロマラソンを走ってみるとか。

サノ:24時間テレビで、100m完走したときにみんなが泣く感情がよく分からなくて。「何に感動して泣いているのだろう」と疑問に思ったのです。時速4キロで24時間歩いたら96キロくらい歩けるから、なにも大変ではないのになぜ泣くのだろうと思って、やってみました。

倉重:やってみてどうでしたか。

サノ:きちんと準備をしないで走ったので、足が折れました。泣いているのは僕だけでした、足が痛くて。

倉重:(笑)足が折れたら泣きますよね。

サノ:そうです。100kmマラソンはテレビだから泣くのであって、僕が走っているのを見ていた友達は誰ひとり泣かなかったですね。僕が走りきっても、みんな暇だからずっとサッカーをしていました。

倉重:大学生の頃は何になろうと思っていましたか?

サノ:とくにありませんでしたが、自分でビジネスをしてみたいということは、ずっと考えていました。

倉重:なぜですか?

サノ:中学校くらいの時、既に自分で考えて中古ゲームの売買をしていました。自分が思いついたアイデアが世の中に受け入れられるのか、試すのが好きだったのです。

倉重:アイデアがお金という価値になって返ってきたのですね。

サノ:そうです。自分の仮説を検証してみたいという気持ちが昔からあって。だからこそ、100キロマラソンをしたり、ママチャリで東京まで行ったりしていたと思います。その中に「自分でビジネスをしたい」という思いもありました。

■モヤシを食べながらバーを経営する

倉重:大学を卒業してすぐ起業されたのですか。

サノ:大学を卒業して起業しました。最初はバーの経営です。起業したいという気持ちはあったのですが、業種は極端な話、何でもよかったのです。バーだったら夕方くらいに起きたら間に合うかなと思って。それと、初期コストが安く、原価率が低いのが魅力でした。お酒なので廃棄コストもほとんどかかりません。自分がもともとホストクラブで働いていたこともあって、コミュニケーションでの集客にはある程度自信がありました。

倉重:実際にやってみていかがでしたか。

サノ:全然思いどおりにいかなくて、最初の半年くらいはずっと赤字が続いていていました。

倉重:人生で一番つらかったとおっしゃいましたね。

サノ:働けど、働けど、お金が減っていくというのは、なかなか無い経験でした。

倉重:1日十何時間も働いているのに。

サノ:バイトやホストクラブも、働いた分だけお金がもらえることが前提でした。ところが経営者になると自分の労働時間は収入と関係がありません。働いても赤字だったら、自分が背負うことになるので、すごくしんどかったのです。

倉重:オープン前に「誰でも成功するバーの始め方」という本を読んでいたのですね。

サノ:読んでいました。それのとおりにやったけれども、全然ダメで。

倉重:その頃はモヤシを育てて食べていたのですよね。

サノ:そうです。2リットルのペットボトルを切って、脱脂綿を敷いて、種をまいて、キッチンのフライパンを入れる所に置いておくと、モヤシがどんどん出てくるので、それを食べていました。「モヤシは一番味のしない野菜だな」と思っていたのですけれども、だんだんモヤシの味を感じ始めるようになってきて。

倉重:あるのですか、モヤシの味。

サノ:独特の青臭さがあって、それを毎日食べているとフッとモヤシの香りを感じるだけで吐き気をもよおす時期もありました。

倉重:それは、すさみますよね。

サノ:そうです。もう、モヤシの味が無理だから、濃い味にするしかなくてタレを付けるのですけれども、そのタレのほうが高いという生活でした。

■大学院生として経営学を学ぶ

倉重:そこから大学院に行くのですね。

サノ:大学院へ行ったのはバーがうまくいってからですね。ようやく自分が現場にいなくてもお店が回るくらいの状況になってから、大学院へ行きました。

倉重:バー経営が黒字化したきっかけは何だったのですか。

サノ:当時、僕のビジネスアイデアはことごとく外れていました。そこで、トップダウンではなく、従業員の声を吸い上げるボトムアップ型経営に切り替えました。従業員の声を聞いてお店づくりをしていったら、人も辞めなくなり、お客さんも増え始めるという良い循環に入って、ようやく黒字化しました。

倉重:モヤシの生活から抜け出せたのですね。うまくいっているところで、どうして京大の大学院に行こうと思ったのですか。

サノ:バーはうまくいったので、次は店舗を拡大するか、多店舗展開をするかという方向で考えていました。しかしどちらも、やり方を知りませんでした。まずは実践で試してみるのもよかったのですが、仮にうまくいかなかった場合、従業員をリスクにさらしてしまいます。だから実践ではなく、大学院で「学問」というアプローチから経営を学んでみようと思って、進学を決めました。

倉重:なるほど。大学の4年間でそこまで勉強をしたわけでもないでしょうし、そのあとバーを経営していたのですから、京大の大学院へ入るのは大変だったのではありませんか?

サノ:当時付き合っていた彼女が京大生だったのです。その子がちょうど大学院へ行くタイミングだったので、一緒にキャンパスライフも送れるし一石二鳥だなと思いました。だから京大を選んだというのが一番大きな理由です。

倉重:不純を交えた割に、きちんと果たしてしまうのがすごいですね。

サノ:その彼女は勉強を教えるのが得意で、僕がどうしたら大学院へ行けるかという戦略も考えてくれました。

倉重:超優秀な彼女に勉強計画のコンサルもしてもらったわけですね。大学院では半年悩んだ経営上の考え方が1ページ目にあったそうです。何が書いてあったのですか。

サノ:テイラーの科学管理法だったと思います。要は、作業のマニュアル化です。「作業者によって適切な作業道具は何か?」とか、「仕事と休憩のバランスをどのように配分すれば、生産性が最大化するか?」という話です。その仕組みづくりを僕は最初に悩んでいました。100年前の人たちも同じように悩んでいたのだなと、そこで気付いたのです。

倉重:大学院に入ってよかったという感じですね。大学院は2年間ですか、1年間ですか。

サノ:2年間です。

倉重:もともと早起きは苦手だったのですよね。

サノ:すごく苦手だったけれども、この2年間で徐々に慣れてきて、朝起きられるようになりました。

倉重:大学院に入って、やりたいことは変わりましたか?

サノ:基本的には変わっていませんが、経営はあくまで何かを成し遂げるための手段だと考えるようになりました。本にも書いていますが、誰もが可能性を信じられる社会をつくっていきたいと思うようになりました。

(つづく)

対談協力:実家が全焼したサノ

新橋で働くサラリーマン。幼少期に実家が全焼したことを機に、切ない人生を送る。学生時代はホストクラブで働き、卒業後はバーを経営。その後事業拡大を目指し、京大大学院でMBAを取得するもバーはつぶれてしまう。

Twitterでは「実家が全焼したサノ」というアカウントで毎日切なかった出来事を投稿している。

Twitter:@sano_sano_sano_