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ポストコロナ時代の「働く」を考えよう(前編)

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

 私が主催している2019年12月7日の労働法実践塾では、『雇用改革のファンファーレ』の出版を記念して、5人の有識者をお招きし、「これからの『はたらく』を考えよう」をテーマにしたトークイベントを開催しました。新型コロナウィルスによる自粛ムードが漂う今だからこそ、敢えて「大きな」視点で、価値観が大きくアップデートされるであろうポストコロナ時代の「はたらく」を考えてみたいと思います。

 本イベントは、田代コンサルティング代表の田代 英治さん。中央大学客員教授の荻野 勝彦さん。転職エージェントの森本 千賀子さん。プレゼンテーションの神様と評される株式会社円窓代表の澤円さん。海外研修やグローバル人材育成を行っている豊田 圭一さん。独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)研究所長の濱口 桂一郎さんにご登壇いただきました。

 コンテンツ

働くのは「つらいこと」ばかりだろうか?(倉重公太朗)

中高年の給料は能力に見合っているのか?(濱口桂一郎さん)

日本には、中高年の能力が生きる仕事とポストがない(荻野 勝彦さん)

専門性が身につかない、「ジョブローテーション」の功罪(田代 英治さん) 

自分の価値は自分で磨いていく時代(森本千賀子さん)

AIと共存する社会で、「最後まで残る人間の仕事」とは?(澤 円さん)

イノベーションはすべて「甘い考え」から始まっている(豊田圭一さん)

「普通の人」は社会の中でどう生きるべきか?(座談会)

働くのは「つらいこと」ばかりだろうか?(倉重公太朗)

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<倉重公太朗 プロフィール>

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経て2018年10月~倉重・近衞・森田法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員 経営者側労働法専門弁護士。労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉(組合・労働委員会対応)、労災対応(行政・被災者対応)を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。東洋経済オンラインで「検証!ニッポンの労働」を連載中。

倉重:今回は「はたらく」がテーマです。私は日本の労働法は変えるべきだと強く思っています。私が慶應大学の経済学部を卒業した2003年は、大学の就職内定率が最も悪かった就職氷河期に当たります。慶應大学はそれなりの大学ですが、就職先も決まらずにフリーターや派遣社員としてキャリアをスタートした同級生がいるのです。彼らは、客観的に見ても大変な人生を送っています。『これって何かおかしくないか』と疑問に思いました。

 日本の場合は、新卒採用が非常に強いです。しかし、就職するときの社会情勢は自分とは関係がないことです。個人の努力の及ばないところで、その後のキャリアが大きく左右されてしまうことに違和感がありました。

 働き方改革の中で一番有名なのが、「労働時間の上限規制」です。もちろん過労死など、働き過ぎて倒れることは防止しなければいけません。しかし、「働くな、働くな」とばかり言っていると、「働くのは悪いこと」「働くことはつまらないこと」というメッセージを次世代が受け取ってしまうおそれがあります。娘を持つ身としては、それがすごく心配なわけです。

 働くことは本当にお金のためだけで、何のやりがいもないのでしょうか?

 「やりがい」という言葉を言い過ぎると、ブラック企業のように聞こえるのですけれども。そういう話ではなくて、「自分は何のために働くのか」という内発的な動機をもう一度考えることを皆様にお伝えしたいと思います。

■日本の問題は不確実性が高いこと

倉重:統計的にも「景気が回復しても給料が変わらない」ということが示されています。2002年から景気回復期がありました。その間、GDPは10%成長しましたが、賞与しか上がらず、毎月の給料はほとんど変わっていません。日本の労働法は非常に厳しくてなかなか上げられないという構造の問題もあると思います。

今後日本をはじめ、世界が抱えていく問題は、非常に不確実性が高いことです。

40年後に会社がどうなっているかなんて誰も分かりません。終身雇用の約束など本当に守られるのかという疑問を大勢が持っています。年功序列で一生働き、決められた年齢で定年退職し、その後年金をもらうという生活が本当に成り立つのでしょうか。また、それが本当に「良い人生」なのでしょうか。

 このまま日本の社会が緩やかな減退に向かっていくのは非常にまずいと思っています。一人ひとりのレベルアップや、セーフティーネットの構築、雇用の流動化した社会を実現していきたいと個人的には考えています。

この想いはきっと、会場に来てくださっている方々に伝播していくだろうと思って、こういう会を主催しています。

皆様はイタリアのマルコ・ビアッジさんという労働法学者をご存じでしょうか?

イタリアは日本のように解雇規制が強すぎるために、若い人たちがなかなか就職できませんでした。若手の新卒失業率が40%になり、「このままではまずい。法制度を変えていこう」ということで、マルコ・ビアッジさんが立候補して政治家になりました。

彼は自転車に乗って家に帰る途中に暗殺されてしまいますが、マルコ・ビアッジさんの遺志を継ぐ人が財団をつくり、社会を変えていく運動を続けています。つい3年前にやっと労働法が大きく転換しました。やはり誰かの想いというものは伝わっていくのだなと思っています。

 私が暗殺されたいわけではないですが、皆様に私の想いを伝えるために、あえて普段しない話をさせていただきました。

 

 ■日々の積み重ねがキャリアを作る

倉重:これからのキャリアがどうなるかは、一般論では絶対に語れません。会社や社会だってどうなるか分からないのですから。

では、「偶然」を待っているだけでいいのでしょうか?

キャリアは振り返ったときに初めて分かるものですが、天から降ってくるのをただ待っているだけではなく、日々の選択が大切です。

今日ここにいる方々は、足元が悪い中、寒い中、面倒くさい中、二日酔いの中、ここに来ることを選択してくれました。それはやはり意味があることですし、そういう日々の選択の積み重ねが、自分の良いキャリアをつくっていくと思っています。

 これからの「働く」という意味では、雇用が流動化して、どんどんいろいろな仕事をしていく時代になると思います。「この会社でずっとやっていく」というよりは、「自分は何ができるのか」という意識が重要になっていきます。

テクノロジーもどんどん発達していくので、「働く」ことの境目が曖昧になっていくことでしょう。

ちょうど今、「労働者ではないけれども働いている人」をどう保護するのという提言を、弁護士会としても書いている最中です。これから仕事の質・あり方が変わっていくと思います。

 そういう中で大事なのは、「自分はどうありたいのか、何をしたいのか」ということです。

自分探しの旅に出なくても、おそらくサウナで自分と向き合っているときなどに見つかると思っています。常にそうやって自分の中との対話を重ねることが重要です。

 例えば私の場合は「誰かに雇ってもらう」という意識はないですし、「どこかいい事務所に入れば安泰だ」とも思っていません。

今の事務所から独立して1年たっていますが、何とかやっていけていますし、「これで安泰だ、あとはラクして生きよう」とも思っていません。

常に改革しなければいけないと考えています。

弁護士としてだけではなく、さまざまな分野の活動をすることが、何かにつながっていくと思っています。

 自分がわくわくする気持ちを持って働ける場を選択する。そういう意識を、今日お越しの皆様には持ってほしいなと思っています。私も皆さんにとっての羅針盤のような存在を目指したいです。

会場:(拍手)

中高年の給料は能力に見合っているのか?(濱口桂一郎さん)

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<濱口桂一郎さん プロフィール>

1958年、大阪府生まれ。東京大学法学部卒業。労働省、欧州連合日本政府代表部一等書記官、衆議院調査局厚生労働調査室次席調査員、東京大学客員教授、政策研究大学院大学教授を経て、現在、労働政策研究・研修機構の研究所長。日本型雇用システムの問題点を中心に、労働問題について幅広く論じている。

濱口:私の書いた本は新書で5冊ほどありますが、そのうち一番売れていないのが、『日本の雇用と中高年』という本です。他の本はそれなりに売れていますが、これだけが初版のままで増刷されていません。『若者と労働』という本は、若者の興味を引くのでしょう。『働く女子の運命』というのは、たぶん女性が読みたくなります。でも『日本の雇用と中高年』という本は、嫌なことを書いているから中高年の人は読みたくないのだと思います。

この本には「あなたたち中高年は、能力があると思って高い給料をもらっているけども、本当はそうじゃないでしょ?」という内容がオブラートに包まれています。実はこれがいろいろな問題につながっていくのです。

 例えば、年金との関係で進んでいる高齢者の再雇用。65歳や70歳まで引き上げようという話をしていますが、本当の問題はそこではなくてもっと手前のほうにあると思っています。日本の企業の賃金制度は、職能資格制です。職務遂行能力の高さに応じて賃金が上がっていきます。

終戦直後のように、生計費のために賃金が上がる、いわゆる生活給ではないというのが建前になっています。けれども本当にそうなのでしょうか?

これは本音と建前が完全にテレコになっています。本当は「中高年には女房子どもを養うために高い給料を与えなければいけない」という話が始まりでした。それではなかなか理屈が通らないので、いつの間にか、「能力の高さに応じて払っている」という話にすり替えてしまったのです。

みんなが、能力が高いのだと思っている、あるいは思っているふりをしています。王様は裸なのだけど「ああ、きれいな服ですね」とみんなで言い合ってきた結果が、さまざまな問題を起こしています。

おそらく一番大きな問題は、「同一労働同一賃金」です。これがフェイク名義だということは、つい最近出た菅野先生の『労働法第十二版』の注で明確に書かれているので、倉重さんとの対談ともリンクしたのですけれども。もう自信を持って「あれはフェイク名義だ」と言えます。

このフェイク・同一労働同一賃金は、「能力に応じて賃金を決める」とガイドラインに書かれています。「それでは能力って何ですか?」というところが本当は問題なのに、そこに目隠しをする形で話を進めているのです。

一方で、ここ数年来、官邸から発信されている労働政策の中には、「職業能力の見える化」というものがあります。今さら「見える化」しなくてはいけないぐらい見えなかったのです。

見えていないのに見えているふりをして、能力に応じて処遇していることにしていました。でも、よく考えたら中身がわからない。だから見える化を急いでいるのです。

この入り組んだところが、本当は一番に議論しなくてはいけないところです。けれども、あまり正面から見つめたくないから、中高年の本は売れないのだろうなと思って自分を慰めています。

■「ジョブ型の社会の仕組み」が世界的に揺らいでいる

濱口:2つ目の話は、いわゆる雇用類似の働き方について。個人的にすごく関心を持っている事柄です。ただ、気になるのは新聞などの報道や、ある種の評論家のコメントです。「第4次産業革命」で「ソサエティー5.0」だから、「今までのメンバーシップ型ではだめで、ジョブ型にしなくてはいけない」という粗雑な議論が乱立しています。AIにその単語を使って文章を書かせたらああいうふうになるのかもしれません。AI型の文章なのだなと正直思っています。

 なぜそのようなことを言うかというと、論理的にはかなりベクトルが違う話だからです。「ベクトルが逆を向いているのではないか」とすら思っています。第4産業革命やAIは、決して日本だけの話ではありません。

欧米や中国、アジア諸国でも同じような議論がされています。そこで問題になっているのは、日本的な雇用システムの大敵として描かれてきた「ジョブ型の社会の仕組み」なのです。その基本構造を揺るがすような動きだからこそ、世界中が慌てふためき、口角に泡を飛ばしていろいろな議論をしているのだと思います。

だってそうでしょう? もし本当に、AIやIoT、第4次産業革命がジョブ型に向かうベクトルであれば、欧米が慌てふためく必要は何もありません。「そうだね、ふんふん」と言って見守っていればいい話です。そうではないのですよ。

 もう少し詳しく言います。ジョブというのは決して実態があるものではありません。ある意味、それは人間社会の作り出した一種の知的構築物のようなものです。個々のタスクを束ねて、「これがおまえのやるべきジョブだよ」と職務という紙に書いて渡しているのが現状です。それが積み重なって会社が動くという仕組みにしました。

そういう意味から言うと、ジョブシステムというのは、ここ100年、200年の間に、欧米の企業サイドと労働サイドがせめぎ合う中で作り上げてきた、一種の知的構築物です。それを前提にして、人事管理や労働法、社会保障の仕組みも出来上がりました。

日本はそれとは少し違う形です。「労働者は会社の一員である」という考えに基づいて、人事管理や労働法、社会保障の仕組みを構築してきました。

 政府の「働き方改革」というのは、そういう日本的な仕組みを欧米的なジョブベースの仕組みに変えていこうという改革です。労働時間の問題にしろ、フェイク・同一労働同一賃金の話にしろ、もろもろの話は、一つのベクトルがあるわけです。

けれどもその話と、今世界中で大きな話題になっている「ジョブを基にした社会の在り方が崩れているのかもしれない」という話を、あまりごっちゃに議論しないほうがいいなと個人的には思っています。

最近マスコミや評論家のやり取りを見ていると、その手のものが多いと感じて、いらいらとしているところがあるので、少しそういう話をさせていただきました。

取りあえず私からはこの2点について、皆さんに課題を提供させていただきました。ありがとうございました。

会場:(拍手)

日本には、中高年の能力が生きる仕事とポストがない(荻野 勝彦さん)

続いての登壇者は、中央大学ビジネススクール客員教授 荻野 勝彦さんです。民間企業勤務のかたわら教員も務め、「労務屋ブログ」は人事界隈で有名です。

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<荻野 勝彦さん プロフィール>

東京大学卒業後、民間企業に入社。以来ほぼ一貫して人事労務管理・労働政策関連業務に携わり、経団連・厚生労働省などの各種委員会でも活動した。「労務屋」のハンドルネームでのブログ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/)も大人気。

荻野:皆さん、こんにちは。85年に大学を卒業して就職し、勤続30数年です。一度も転職をしたことのないので、オールドファッションなサラリーマンということになるかと思います。副業で中央大学の客員教授もやっていますので、今日はその立場でお話しします。

 ■普通の人には独立も自営も難しい

 労働市場の中身は随分変わってきています。ご承知のとおり、生産年齢人口は1995年をピークに減少。正規雇用はほぼ横ばいですが、非正規雇用は約30年間で1割台から4割弱ぐらいまで増えています。その分、自営業者が減っています。なかなか自営でやっていくということが難しい時代になってきているようです。

 私のように、1つの企業に雇われ続けるような、クラシックな働き方はこれから期待できないかもしれません。それでもかつては雇われの身からスタートして、途中で独立して店を持つのが、重要なキャリアのパターンでしたがそれも難しくなっているのでしょう。やはりキャリアの在り方が変わってきていると思います。

 皆様は「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」という詩をご存知と思います。高村光太郎の「道程」という詩で、将来の自分のキャリアに向けての決意と覚悟が歌われています。大正時代に芸術家になろうとした作者の気構えがうかがえる非常に美しい詩ですね。なぜ最初にこの詩をお示ししたかというと、実は今日は6人お招きいただいたうち、典型的なサラリーマンは私だけだからなのです。

 田代先生や森本先生も、ほかの先生方も、道のないところに道を開かれてきた方だと思います。でも私は違います。キャリアという言葉の語源は車輪の「わだち」のことだそうですが、私は先人の作ってくれたわだちの上を進んできました。光太郎くらいの覚悟と決意、素養や胆力があれば、私も自営でやりたかったですけれども、そのようなものがないからサラリーマンになったわけですね。

 でも現実をみれば、目立った素養や胆力に恵まれない人、雇われて働くしかない人のほうが圧倒的に多数派で、普通ではないかと思います。高校卒業者の進路状況を見ますと、進学率が上がっています。女性の進学率が上がっているのも、非常にいいことだと思います。けれどもご覧になってお分かりのとおり、やはり高校を卒業して就職をされる方が17.5%いらっしゃいます。それに加えて、「正社員として就職できなかったけれども、働いています」という方が6%ほど。専門能力を付けるために専門学校に行かれている方も、15〜16%いらっしゃいます。そういう方たちというのは、基本的には会社の社長になったり役員になったりすることは例外的だと思います。私は真剣に「職業に貴賎(きせん)はないし、労働は商品ではない」と思っていますし、「働いている人が幸せでなかったら、会社なんていくらもうかっても意味がない」とも思っています。だからこそ、こういう人たちの能力が伸びて活躍できるような人事管理をしていかないと、企業はだめだろうと考えているのです。

 高卒を卒業した人がいくらのお金をもらっているかというデータを見ると、私どもの業界である製造業、輸送用機器製造業がそれなりの労働条件です。大卒者で比べると、残念ながら情報通信の企業系のほうがかなり高くなります。けれども高卒者には、製造業が安定した良質な雇用を多数提供していることを申し上げたいと思います。

 ■中高年にないのは能力ではなくポスト

 濱口先生が、『日本の雇用と中高年』があまり売れなかったとおっしゃられていました。あの本に関して、私は意見が違うのです。「日本の中高年は能力がない」というのは多くの場合間違いです。日本の中高年は能力があります。足りないのは何かというと、中高年の能力が生きる仕事とポストです。

今、人事を担当されている方、いかがですか。特に大きな会社で人事をされている方は、そちらのほうが悩みではないかと思います。本当はもう十分、一段上の仕事ができるのだけれども、ポストが全部塞がっているから昇格させられない。だから役職定年を作って無理やりポストから下ろすわけでしょう?企業を長持ちさせるには、後進を育てなければいけない。課長さんが全員58歳以上になってしまったら、その先5年ぐらいで組織が成り立たなくなりますよね。たぶん、皆さんはそこで苦労されているのではないかと思います。僕は濱口さんとは大部分の意見が一致していますが、そこだけは合わないところです。

ただし、労働市場の変化に対応する必要があるというのは、まさしく仰せのとおりです。そういう意味で倉重先生が特に強調されている、野心と意欲と決意、覚悟のある人たちが、もっと自由で働きやすく、仕事をしやすく、商売を始めやすい環境にしていくことはとても大事だと思っています。

ただ普通の人たちも含めて全員にそれを求めるのは無理がありますし、それだと世の中は回らなくなってしまうと思います。

■普通の人にとって大事なこと

荻野:3点申し上げたいと思います。まずはキャリアという観点から考えること。同一労働同一賃金はフェイクだというふうに濱口先生は言われましたけれども、私もそう思います。あれがなぜフェイクかというと、一時点しか見ていないからです。キャリアを見ていません。

「今、同じ仕事をしている」「じゃあ給料も同じでいいよね」という話です。製造業の現場の多くでは交代制勤務をやっていて、早番の人と遅番の人と全く同じ仕事、非常に標準化された仕事をしていることも多いのです。しかし、入社3年目の若手と勤続0年の初級監督者では、同じ持ち場で同じ仕事をやっていても給料は違います。私はそれが当然だと思うし、皆さんも当然だと思われるはずです。それはなぜかというと、やはりキャリアとそれにともなう能力というものが入っているからです。それが1つ目です。

 2つ目は、約束を守るということ。高卒で就職してから定年後再雇用まで、雇用や労働は息の長い話です。途中で一方的に「これはちょっと……」と約束を変えられると、普通の人には対応できません。マズイですよね。

最後に言いたいのは、「何をやってもいいからゆっくりやれ」ということです。人間は速すぎるものにはついていけません。いくら一生懸命勉強したって、明日いきなり英語がしゃべれるようにはならないし、今から3時間でブエノスアイレスまで行くことはできないですよね。それと同じで、仕事を覚えたり、働く場所を変えたりするのも、いちいち大変です。急には変われません。

ルールを変えるにしてもゆっくり変えることです。これは濱口先生の元職場でとてもご苦労されましたが、週40時間労働にすると法律に書いてから、本当に週40時間になるまで、十数年かかっています。「65歳まで雇いなさい」という法律も、2013年にできましたがタイムラグがあってまだ完成していません。そのくらい時間をかけないとついていけないので、何をおやりになるのでもいいけれども、ゆっくりやってほしいなというのが、私の暫定的結論です。

会場:(拍手)

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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