2020年版「私たちはなぜ働くのか」~山口周×倉重公太朗 新春特別対談その3~

山口:僕は電通にいたとき、ミスばかりしていて、自他ともに認めるローパフォーマーだったのです。

倉重:それを聞きたかったのです。この本にも、電通にいたときに仕事ができなかったと書いてあって、これはどういうことかと思ったのです。

山口:もう分かるのです。どんどん周りが不幸になっていきました。

倉重:事務仕事やかっちりしなければいけない仕事は、あまりフィットしなかったのですか。

山口:本当にテレビ広告の2億円の見積もりを2,000万円で出しました。それで上司が謝りにいって、こちらは鼻くそをほじっている、「ゼロ1個で何言ってんだ」という感じだったのです。

倉重:不良社員ですね(笑)

山口:不良社員も不良社員です。7月1日からキャンペーンが始まるといって、あの仕込みは大変でした。でもキャンペーンが始まったら、電通の仕事は終わりなので、むしろお店の、7月1日の朝9時半とか10時くらいに会社へのんびりめに来たら、大至急、大至急とメモがいっぱいバーッと机の上にあるのです。この大至急は後でいいやという感じで電話をしたら、要は店にポスターが届いていないと。今日からキャンペーンがスタートして、詳しくは店頭の応募箱でと、店頭に応募箱が届いていないのです。テレビを見てこちらへ来たのに、なぜないのかということをブーブー言われて、営業側から、店頭に置いているポスターと応募用の箱が、……「ええ?! ここにある!」というような。

倉重:やばいではないですか。

山口:1,400枚、バーッと机の下にあったのです。

倉重:それは恐怖体験ですね。

山口:もう何でも来い、どんと来いとなりました。「部長、すみません、ちょっとしくってしまって」、「何だ」、「7月1日から始まっている……」、「テレビのスポットを昨日見たよ。早速流れていたよな」と。「あれは店頭のPOPもポスターも1ミリも届いていないのです」、「何?」というような、「赤帽と航空便のチャーターでいいですか」、「幾らかかるのだ?」、「ざっと1,800万です」と。

倉重:航空便チャーターは凄い金額ですね。

山口:役員の道はなくなったなというような、もう呆然としているのです。

倉重:それは何歳くらいのときですか。

山口:それは24~25のときです。

倉重:まだ入ってすぐですね。

山口:局長も部長も、呆然としましたね。石橋をたたいて歩いてきた俺の人生に、この人間核弾頭が現れて、全てを木っ端みじんにしやがったと。

倉重:局としても、確かに連帯責任になってしまいますからね。そうすると、この会社でやっていくのは難しそうだと自分で思ったのですか。先ほどは魔が差したと仰ってましたが。

山口:魔が差したというよりも、大きなクライアントで、ネスレというクライアントをやっていたのですが、30人くらいのチームの一番下でやっていたのです。だから、上の人たちがどういう仕事をやっていて、今何が大きな仕事の流れになっているのかよく分からない状態で、全ての雑務が僕のところに落ちてくるのです。パチンコ台のパチンコ玉で、あれでぱーんと玉が上に上がってからからっと、でも、最後には一番下の窓のところに玉が飲み込まれていく。あの飲み込まれる穴が僕だったのです。いろいろな人の担当があって、おいしい仕事はチューリップに入るのです。それこそ女優と伊豆で撮影旅行やホニャララと、これは俺が行くわと。

倉重:いいところを取られてしまうのですね。

山口:ぱこぱこっとチューリップに入っていって、最後のどうでもいい誰もやりたがらないようなものだけ僕のところに大量に降りてくるのです。

倉重:外れ仕事が全部ですね。

山口:しかも、その流れが全然分からないから。

倉重:どうしてそうなっているか意味も分からない。

山口:とにかくこれで見積もりを作っておけというような、キャンペーンの規模も分からないし、言われたことをパッとやるだけなので。

倉重:ストーリーも共感もないのですね。

山口:だから、ミスばかり起こるわけです。

倉重:山口さん自身、全くモチベートがなかったわけですね。

山口:そうです。だから、俺は社会人としてやっていけないのではないか、見積もりも計算も足し算もできないしと。

倉重:今から考えると、「それはそうだ」ですよね。

山口:そうです。会社側が気を使ったというか、ある意味困ったというのもあって、ばば抜きのばばのような状態になったのです。「山口をどうするよ?」というような。

倉重:そんな感じだったんですか。想像できません。

山口:そのような感じだったので、それで結構人を育てるのが上手といわれている10個上の先輩が、ちょうどコンバースという新しいシューズのブランドのアカウントを、他店から競合で取ってきたのです。広告の規模もそれほど大きくないので、2人くらい、2~3人でやるアカウントだから、おまえが専任でやれというので、10上の人が付いて。

倉重:まず1個きちんとやってみろと。

山口:はい。やろうということで、大きなチームからそちらへ担当が替わったのです。この人が、僕は当時26で、彼は36くらいだったのですが、すごい人で、全く会社に来なかったのです。

倉重:何をしているのでしょう。

山口:4つくらい自分の会社を他に持っていて。

倉重:自由業ですね。

山口:そちらが非常に大変なので。

倉重:忙しいので、全部よろしくというようなことですね。

山口:当時は携帯もなかったので、朝に一応会社に電話がかかってくるのです。「おい、山口」と、「今どこですか」、「六本木と書いておいて」と。六本木は場所ではないかと。昼くらいになると、今度は赤坂と書いておいてで赤坂と書いて、夕方になると、TBSでNRと、ノーリターンでもう帰りませんと。絶対TBSに行っていないのです。そういう状態で会社に来ないので、相談もできないのです。新しくクライアントになりましたというので、一応外資系のブランドなので、マーケティングディレクターがいるわけです。それで出ていって、今年はこういうストラテジーでいって、今はこのマーケットを取りにいきたいという発想をされていて、それでマーケティングが面白いと思ったのです。

倉重:そこで初めてなのですね。

山口:初めて感動して、マーケティングの本を買ってきて読み始めたら、これは本当にゲームだなと思ったのです。面白いと思って、向こうのマーケティングディレクターの方と話をしているうちに、向こうもこいつは面白いと思ってくれるようになってきて、だから、これは広告代理店の営業としては一番いい姿だと最後にいわれるようになったのですが、広告の会議ではないけれども、来てくれと呼ばれるようになったのです。例えば価格を上げる、下げるとか物流をどうするかというので呼ばれるようになりました。

倉重:おぉ、凄い。それは完全にコンサルですよね。

山口:完全にコンサルです。だから、仕事の選び方の項目で、その本の中でも書いたのですが、自分が思っている強みが意外と強みとして大したことがなかったりするのです。

倉重:当たり前過ぎて気付かないのですよね。

山口:僕は結構アイデアを出すとか、クリエイティブや広告表現が自分でできるのではないかと思っていったのですが、実はあまり大したことなくて、一方で、自分としては全然得意だと思っていなかったけれども、いろいろなことでガチャガチャとクライアントが悩んでいるのを1時間くらい聞いていて、立ち上がって、ホワイトボードを使っていいですとかと。「皆さんがおっしゃっていることは、このように整理できます。今、こういう状況になっていて、ということは、3つの方法しかないわけです。先ほどおっしゃったこれでいうと、これはもうない。だからこれしかなくて、とにかくこれをやるしかないという結論が出ていると思います」という話をすると、「そうだよな」という話になるわけです。そういうことが結構20代の後半に随分続いたのです。僕は全然そういうのが得意だと思っていなくて、早く帰りたかったのです。

倉重:もう結論が出ているではないかと毎回思っていたわけですね。

山口:当時は携帯もLINEもないのに、彼女と7時に俺は原宿で待ち合わせをしているのだ。もうすぐ7時になって、寒い空なんかに呼ばれて、来てくれというから来たら、ああでもない、こうでもないと、結論が出ているではないかと思って、ちょっといいですかと。すみませんと帰ったら、僕は怒られるのかと思ったのです。

倉重:彼女が待っているから急いで帰ったら。

山口:そう!あいつは何なのだと怒られるのかと思ったら、次の日に部長から、「おい、山周、昨日は助かったよ」と言われて非常に褒められたのです。当たり前のことをやっただけなのにと思って、この当たり前に自分はできるけれども、他の人はできないのだなということに、電通の終わりの2~3年の間で気付いたのです。最終的には、辞めてコンサルに行くかベンチャーに行くかと悩んだ時期があって、先ほど言った会社というのは、半年くらいベンチャーも味わってみてと、どうも自分はコンサルのほうが仕事としては向いているということで外資のほうに行ったのです。

倉重:やりながら、だんだん気付いていかれたということですね。

山口:ベンチャーをやりたいというより、経営者の参謀のような仕事をやりたいと思ったときに、当時のインターネット系のベンチャーは、経営のリテラシーやマーケティング、広告などが分かっている人がいなかったので、それこそサイバーエージェントの藤田さんやCCIの新井さん、あるいは孫さんなどにアドバイスをするというのも結構面白そうな仕事だと思ってやってみました。最終的には、純粋に一度経営学を究めようと思って、外資のほうに行ったのです。だから、今は結構ベンチャーの手伝いをやっているので、ぐるっと20年たって回ってきてやってはいるのです。

倉重:ご経験があるからですね。

山口:だから、電通はローパフォーマーに終始したというのは、うそなのです。ある意味では、甚大な被害を会社に与え、若干取り戻したところで辞めてしまったという感じです。

倉重:いわゆる典型的な広告マンとしては、成果が出なかったということですね。

山口:そうです。プロデューサーのタイプではなかったです。もしかしたらシンカーやプランナーとしては、今でこそストラテジックプランナーも電通には結構いますが、当時は広告クリエーターになるか営業になるか、メディアの人になるかイベントの人になるかの4つしかなかったのです。

倉重:それも分からないですよね。そこに入ってみて、実際に原宿で彼女を待たせているから、自分のそういうのに気付いたわけですし。学生のときは、コンサルになろうとは全く思っていなかったのですか。

山口:思っていませんでした。

倉重:あらかじめこうなろうではなく、いろいろやってみないと分からないものですね。

山口:やってみて、周りを見るということなのですね。周りを見るというは非常に大事で、明らかに繰り返し頼まれる。得意だと思って、自分としてもよくできたと思っているのに、次の発注が来ないというのは、厳然と認めたほうがいいです。次の仕事の依頼が来ない、またあれをやってくれ、露骨に口であの仕事が良かったという人がいないというのは、明らかに人並み以下なのです。これもすごく怖いのです。先ほどの戦略があると怖くなくなるという話と似ているのですが、どう考えても、それは不得意なのです。せいぜい人並み以下にしかできない仕事だと思ったほうがよくて、それを早めに認めて、そちらは捨てたほうがいいです。みんながよくやるのは、スキルを身に付けて頑張ると、まさに楠木先生がくそばかにしていましたけれども、やめたほうがいいと思います。

倉重:そのスキルがどう役立つかも分からないし、それを取ったから安泰でもないし、スキルが先にあってはおかしいのですね。

山口:へこみを平均点に直すのがスキルなのですが、平均点にお金を払う人はいないですからね。

倉重:まず、それよりも強みを伸ばせということですね。

山口:そのほうがいいと思います。

倉重:その強みというのは、自分の内発的動機で、自分がやりたいと思うことと合致していれば、なおさらいいですね。

山口:なおさらよくて、かつ意外と自分で得意だと思っていないことが、世の中から見てみると得意だということがあります。

倉重:山口さんの場合は、内発的動機はどこにあるのですか。

山口:内発的動機は、僕は好奇心がすごく強いし、分かるという感覚が非常に好きなのです。

倉重:そうだったのかと。

山口:不思議だなと思って、いろいろリサーチをしたり、人に話を聞いたりして、こういうことなのだというアハ体験ですね。茂木さんが言っていますが、あの感覚がすごく好きなのです。

倉重:ニュータイプでも、これは一般のビジネス書とは思えないくらい引用の数が多いですね。きちんと客注があれだけ付いていて、専門書ではないかというくらいの。でも、一般のビジネス書コーナーに置いているのですね。それだけきちんと調べて書かれているということですものね。

山口:仕事だと思ってやっていないのです。

倉重:好きでやっていないと、書けないですよね。

山口:好きでやっていないとできないです。

対談協力:山口 周(やまぐち しゅう)

独立研究者・著作者・パブリックスピーカー

1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て、組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループに参画。現在、同社のシニア・クライアント・パートナー。専門はイノベーション、組織開発、人材/リーダーシップ育成。株式会社モバイルファクトリー社外取締役。一橋大学経営管理研究科非常勤講師。『外資系コンサルが教える 読書を仕事につなげる技術』(KADOKAWA)、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?─経営における「アート」と「サイエンス」』(光文社新書)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』(ダイヤモンド社)、「ニュータイプの時代」(ダイヤモンド社)など、著書多数。