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殿様の働き方~1000年先を見据えて地域と共に~【相馬行胤×倉重公太朗】第2回

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

相馬:私が広島に行った理由というのは、北海道でも相馬でもずっと農業をやっていたものですから、僕にはそれしかできないだろうと思っていました。地の利のある北海道で、農業をやって避難者が過ごせる場を作ろうと考えました。農業従事者として日本の負の財産の一つに、耕作放棄地があるでしょう。日本の耕作放棄地は負の財産でもったいないものです。それと、本来ならば働いて納税をするべき世代であるのに、企業や国からの補償によって生かされている方々がふるさとに多く存在してしまいました。

倉重:補助金で生かされている状態ですか。

相馬:そうですね。補償金だったり賠償金だったり。そうなってしまったときに、逆に負の財産を掛け合わせると積算の法則でプラスになるのではないかと、僕はほうぼうで説いて回るのです。そうすると、ある方から「なぜおまえは北海道ばかり見るのだ。あれは近代農業で重機ができて何ができてようやく開墾できたような土地ではないか。西日本を見てみろ。2,000年も前から米を作っているではないか。そこが耕作放棄地だらけだぞ」と言われたとき、本当に目からうろこでした。

われわれは、特に地震と津波によって地産が倒壊し価値がなくなり、かつ原発なりの被害によって資産が目減りしただけではなくゼロになりました。資本がない中で仕事を始めるならば、北海道の土地を、広いところをというよりは、確かに西日本の空いているところというのは一つの手ではないかということで、人とのご縁でご紹介があったところからだったのですが、俗に言う日本の「中山間地」で過疎地域の町に、過疎対策と避難者雇用をセットにした地域創生があっていいのではないかということで。

倉重:被災した方の雇用確保という側面もあるわけですね。

相馬:はい。それで、広島県の神石高原町というところに2013年に家族で移住しました。先ほど申し上げたとおり、私どものふるさとは800年間国替えがなかったので、郷土愛の思いがすごく強い方々が大勢おられます。当時、僕は本当に50年、100年は戻れないのではないかと思っていましたから、そういった方たちが100年後にふるさとを知らない方が戻ってこられたときに、それはふるさと相馬といえるのか、ふるさとに戻れない間郷土愛を継承する場所が必要ではないか、それは僕にしかできないだろうと神石高原町に移住することを決めました。

私どもが移住を決断するに際しても歴史にすがりました。相馬中村藩を拝領する前は、相馬家の始祖は平将門なので、関東にいました。相馬師常(相馬藩初代藩主)が奥州平泉の功績を経て奥州中村の土地を拝領します。ですから、国を移っても拠り所をつくれるということも歴史が証明してくれていました。別に自分から土地を捨てて出てくるわけではなくて、今はお上が住むなと言っているのですから、住むなと言われている皆様の拠り所にできるのではないかということで、そこで事業を始めました。

思ったより早く、国もそうですし、地域の皆さまも頑張って、帰還を許されるような場所が増えてきたので状況が違いますが。こういった話をすると、あんなところに戻っていいのかなどという議論になってしまいますが、それは住む場所の自由は日本国民に与えられている権利としていいのですよね。

倉重:それはその通りですね。

相馬:それは住まわれる方が考えて決めることなので、僕はそのことに対してとやかく言うつもりは全くないのですが、そうやって頑張っている方がいて、戻られる方がいるときに、「こっちに来いよ」という立場では僕はないので、今は地域創生一本です。

倉重:そもそも、被災後に避難するときに相馬地域にいらっしゃった方を牧場で雇用したことが結構あったということですよね。何人ぐらい雇われたのですか。

相馬:それほど戸数は多くはないのですが、なんだかんだと関東圏、東北全てひっくるめると、多いときに7世帯くらいでしょうか。

倉重:そこに殿がいれば、もうそこは相馬藩の出張所みたいなものですよね。

相馬:そういうことになりますね。

倉重:(笑)。そこで相馬の思いは継承されていると?

相馬:そうです。その場を一つつくってみて、このような事例が日本全国にできれば、皆様の想いを継承でき、前向きに生活ができるのではないかと。

倉重:では、生活の拠点は広島だけに限りませんね?

相馬:そうなのです。ですから、ふるさとのことを思ってくださる方が全国に広がり、僕は逆に相馬藩が日本を制圧するのではないかと思っているのですが。

倉重:(笑)。

相馬:先ほど言ったとおり、ふるさとへの帰還が認められ他地域が増えてきたので、今はふるさとのほうでも少しずつ事業を開始しています。

倉重:地域振興という意味にもなるわけですよね。それが例えば広島、福岡、宮崎、四国などにも広がっていって、そこから相馬もどんどん住める地域が増えていって、いわば「相馬本部」と「相馬支部」との交流がどんどん自由になるということを狙っているのですね。

相馬:そういうことです。

倉重:なぜ殿が広島で牧場をやっているのかがやっと分かりました。

相馬:やはり人と人との交流が一番です。震災のときもそうですし、その後も救われたということは大いにありますので。

倉重:確かに、これは殿でないとできないですね。

相馬:と思います。

倉重:その辺の社長が「はい、始めます」と言ったのでは、やはりそこには思いや歴史がないですものね。

相馬:そうです。

倉重:でも、歴史から学べるのはすごいですね。

相馬:僕はすがれるものがあったので、それは良かったと思います。

倉重:経験から学ぶのではなく歴史から学べとはよくいわれますものね。3.11もすごかったけれども、ナンバー1ではないという表現。これも殿ならではだと思いました。

相馬:ナンバー1ではないですね。

倉重:これはなかなか普通の人にはできない話だと思います。相馬地域に懸ける思いという話にちょうどつながるような話ですが、今もそうやって殿の中の構想があって、これからもう少し具体的になってくる部分もあると思いますし、これからどうしていきたいというものはありますか。

相馬:今、ふるさとはすごく面白い地域だと私は思っているのですが、先生の「雇用改革のファンファーレ」でも書いてあるように、今、いろいろな意味で時代の転換期がきているのではないでしょうか。

倉重:お読み頂き光栄です!正に、時代の転換期ですね。

相馬:時代の転換期が。これにも書いていたではないですか。戦後の労基法のままでいくと、一括の就活が始まり、今までの価値判断基準などでやっていると弊害が出てきているでしょうというのが、僕はすごくあると思っています。歴史の中でもそういう大きな転換期があると思うのです。

平将門が朝廷に対して反旗を翻しました。そこから武家社会が始まります。武家社会の終焉(しゅうえん)のきっかけを作ったのは薩摩であり長州でありました。日本の田舎から中央を変えていく。それと同じくらいのうねりが今きていると僕は思っています。やはりグローバルだけで全てのローカルを支えるということには限界があるのではないかと思います。ですから、いろいろなところで思っている形を、その当時のように、世の中を転覆させるとかひっくり返すということではなくて、改革という時期ではないかと。弊害があるものはやはり修正すべきです。「0か100か」ではなくて、今に対しての不満があるのであれば、やはり直すべきで、議論すべきでしょうという時代にきていると思っているので、それが大事なのではないかと感じています。

倉重:そこで、今は時代も変わり、テクノロジーも発達しています。例えば、仕事はどこでもできる時代です。オフィスに行かなくてもいいじゃないかと。そうなってくると、相馬藩という場所にこだわる必要も本当はなくて、いろいろな地域にサテライト相馬藩があるというのがある意味理想なのかなとも今聞いていて思ったのですが、その中で、相馬藩であるということの魂というか重要な考え方とか、そういったことで大事にしているものはなんですか。

相馬:僕は、相馬でしかできないことがあると思っています。先日の豪雨によって佐賀県などが災害に見舞われていますが、日本全国毎年どこかで災害が起こっていて、ご苦労をされている方たちが当然おられます。多くの皆さまがそういったところに支援をする文化ができつつあるので、それはやはりそこにお住まいになっている方々を救いたい、そこの大事にしている土地をお守りしたいという気持ちに共感されると思うのですが、僕たちも、世界でも珍しい原発災害が起こった地域で、あそこがこれからどうなっていくのかというのがテーマだと思います。

チェルノブイリとよく比較されますが、国が守って保護地域になるのか、事故が起きたここだからこそ生まれる、自分たちがこの2011年の経験を踏まえて世界に発信していくことができるのかどうなのかというのは、本当に多くの皆さまの手助けは必要ですが、相馬から発信をしていかなければいけないことだと思っていますので。

倉重:相馬だからできることがあるということですね。

相馬:正にそうです。今流行のSDGsがありますね。世界の17の課題、その17の課題の縮図が相馬にあると僕は思っています。差別の問題、ジェンダーの問題なども、世界で起きていることとは違うかもしれませんが、同じような問題が相馬にはあります。

倉重:放射能差別などもそうですよね。

相馬:放射能も水質もそうですし、エネルギーに関しても考えるべきことはいろいろあって、その小さな規模の課題を解決させていくと、相馬のモデルがロールモデルとなって世界を変えるきっかけになるかもしれません。

倉重:環境問題もありますし、循環型社会をそこでつくれると。

相馬:そうです。ということは、ここにはテーマがたくさんあるのです。先ほどの仕事なども、本当に多種多様なものがあって、いろいろなことができる世の中にはなっていると思うのですが、何かをしたいと思うのであれば、問題点やテーマはごまんとあるほうが良くて、そこには社会課題がごろごろ転がっています。それを解決すると、世界に向けてその課題解決の規模感を広げていけるという。まさにユニコーン企業になれる可能性のある課題がたくさん転がっています。

しかも、若者がいません。1人の子が入ってくると、その子が重宝がられるわけです。そこで何かをするかしないかを選べる可能性があるわけです。先ほど先生がおっしゃったとおり、どこで仕事をしようが僕はいいと思っています。ですが、そこに住むのが気に入ったり、何かをしてみて肌で感じ取ると、やはり生まれてくるものは大きいと思います。ですから、僕は相馬からこれからもやり続けるとは思いますが、やはりここの問題を解決することは、それが直接仕事にもなってくるであろうし、世界を変えるチャンスなのです。

倉重:新しい時代の相馬藩モデルというものを世界に提示するということですね?これはすごく大きな目標ですね。

相馬:すごく大きな目標があるのです。僕らがやってきている相馬の思いは1,000年続いています。それをこれから1,000年続けることしか私の目標はありません。

倉重:次の1,000年のためにと。

相馬:そのためには、やはり新たなことを作らなければいけません。相馬は本当に自然豊かな土地で、だからこそ産業が生まれなかったのです。海に行けば魚は採れるし、米も取れるし山のものを採っていれば豊かに生活ができました。ただ、近代社会の貨幣経済にはついていけなかったからこそ、いろいろな企業を誘致して、それがトラブルを起こしてということになってしまいましたが、その前までは一次産業が基幹産業でした。

今までは自然の恩恵だけでわれわれは生きてきましたが、今回の事故によってそれだけではなかなか産業構築が難しくなってきました。それで今回、そこに新たな産業を構築しなければいけないという800年にして初めてのチャレンジがあるわけです。そこに対していろいろな社会課題があります。ですから、どれかにすると産業革命のような。

倉重:まさにそういうことですね。産業構造の転換ですね。

相馬:そうです。何かをやっていたらどれかがスパークするかもしれません。

倉重:例えば、この本、『雇用改革のファンファーレ』で書きましたが、労働法はたかだか50年や100年もたっていないような話ですが、それでも慣習として働く人の心の中に棲み着いて、変えるのはなかなか抵抗感があります。人は変わるのを嫌う生物ですから。その中で、800年も続いてきたものを変えようというのは並大抵のことではないと思うのですが。

相馬:相馬野馬追は1,000年やっていますが、1,000年前のことを続けているわけではないのです。1,000年前に起こった大事なもの、スピリチュアル的なものであったり、先人から受け継いで次世代に残したい大切なものは継承しつつも、近代のものを取り入れているわけです。例えば、前まではずっと1カ月間以上かけて馬でやっていたものが、そんなに期間は取れないから車を使うようになったり、道路を使うようになったり、通信手段に携帯電話を使ったり。でも、大事なものは残しています。

今回の震災のときでも、文化は本当に大事だなと思ったのが、物資の配給がありました。組織が残っていると、そこの1つに分けると、わっと分けることができたりします。何かと今は自治体の枠にとらわれるじゃないですか。私どもはなんだかんだと言いつつも、相馬野馬追ということになると、旧相馬藩領全てを賄うので、自治体の枠を超えることができます。今決まっているルールを超えられる深みが、歴史、文化伝統にはあります。

倉重:そういった枠組みにとらわれない重要な何かがありますね。

相馬:そういうことなのです。そこに何かしらの突破口が生まれてくるのではないかと感じています。

対談協力:相馬行胤(そうま みちたね)

NPO法人 相馬救援隊代表理事

福島県相馬双葉地方をフィールドに、伝統文化の振興、教育、エネルギーなどの分野に新しいムーブメントを起こすため、引退競走馬を活用した地域創生プロジェクトに取り組んでいる。「被災地」と呼ばれて久しい故郷は、世界の持続可能性をめぐる課題を解決するリソースとアイディアに溢れ、『相馬野馬追』を代表とする地域の馬事文化を継承しつつ、人々と馬の新しい関係を築き、次世代に託す、そして、地域課題の解決を通じ、世界が抱える課題に寄与するモデルを提供することをミッションとする。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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