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【田代英治×倉重公太朗】「プロサラリーマン」第1回(プロサラリーマンへの道)

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

倉重:倉重公太朗「労働法の正義を考えよう」、今回のゲストは倉重・近衞・森田法律事務所のパートナー社労士であり、人事コンサルタントの田代英治先生をお招きしておりますので、まず簡単に自己紹介をお願いします。

田代:田代英治と申します。今、株式会社田代コンサルティング代表として活動していまして、主にやっていることは、人事コンサルタントということになるんですが、肩書きとしては社労士という肩書きもあります。

 これまでのキャリアを少しご紹介させていただくと、私は1985年、昭和60年に大学を卒業して、大手海運会社に入りまして、そこから社会人としての人生がスタートしました。その会社は2005年まで20年勤めました。最初は営業部門に合計7年いまして、大きな転機が来たのが、その8年目の人事部への異動ということになります。それまでは、ずっとこのまま営業を続けていって、ゆくゆくは海外の駐在員になるというのが私の夢でした。そこで、突然異動がありまして、人事部に行けと。そこから自分のキャリアが180度変わったと思っています。

 1993年からの人事部では、業務に慣れず、最初はかなり苦労したんですが、何とか5年間勤め上げて、また違う部署に異動しまして、そこで4年間勤務して、またもう一度人事部に返り咲きました。そこで4年間勤務しました。結局、会社員人生合計20年間のうち通算9年間人事をやって、20年目の2005年に独立をして、今は田代コンサルティングという法人の代表を務めています。

倉重:まさに、なぜ今日は田代先生にお越しいただいているのかということなんですけれども、40代まで会社勤めをされていて、大手の海運会社の人事課長になられて、そこから独立されて、自分の力で地に足を着けてやっておられると。こういう企業に頼らないフリーな生き方というのは、今後もいろいろな人が参考にすべきだと思いましたので、今回いろいろお尋ねをしたいなというふうに思っております。

 今現在は、その人事コンサルタントとして主にお仕事をされていらっしゃいますけれども。最初、入社当初はそもそも人事なんてやりたいとか思っていなかったですよね?

田代:ええ。全く想定外でして、私自身は、さっき申し上げたように、海運会社に入って、海外を股にかけて暴れるというのが自分の夢でしたから、そちらのほうで頑張ろうと考えていました。会社員はやはり人事異動から逃れることができず、この会社でも3年から5年ぐらい経つと異動がありました。ゆくゆくはどこかの別の部署に異動になるんだろうなと思いながらも仕事をしていたのですが、まさか人事部とは思っていなくて。

倉重:最初は人事に異動したときとかは、どうでした?「もう、なんで人事なんかに行かなきゃいけないんだ」よみたいな感じですか?

田代:そうですね。まさにお先真っ暗という感じで、異動してから1年ぐらいは早く営業に戻りたいなということばかり考えていました。

倉重:でも、今はもう人事コンサルタントとして活躍されておられるわけですから、どこかで人事の仕事は面白いなというような転機があったということですよね。

田代:そうですね。最初の1年から1年半ぐらいまでは、人事部ではこれまで営業で培ったスキルとか経験が生かされないこともあって、なかなかキャッチアップできずにいました。非常に悔しい思いをしましたが、このままでは終われないと思いました。

やはり人事部に移ったからには、何かしらの自分がやってきたものを残したいというふうに思いましたし、上司からも「おまえは駄目だ」というように、厳しく駄目出しされていましたので、これを見返してやろうという思いもあって、ちょうど仕事が労務関係に移ったことを機に、労働法の勉強を始めました。

 そこで、社会保険労務士という資格があることを知って、この試験を受けようと思いました。そのあたりから仕事が面白くなって、自分が学んだことが、実務でこういうふうに生かされるんだなというのが分かったりすると、そこから仕事の面白みが出てきました。最初の人事部勤務5年間のうちの、後半の1年間ぐらいは、すっかり人事マンとしてはまって仕事をしていたなと思います。

倉重:人事の中でも、最初は面白さとかが見いだせない中で、労務担当になって、かつ社労士資格も取り、だんだんその領域に詳しくなってくるとともに、仕事も面白くなっていったということですね?

田代:そうですね。

倉重:その後、「今後は人事でやっていこう」というふうに思ったら、また人事じゃない運航管理とかの仕事に異動になるわけですよね。

田代:そうですね。

倉重:そのときは、どう思いました?

田代:運航管理の仕事が嫌いな訳ではないのですが、人事の仕事が続けられないことで、正直、モチベーションが落ちました。

倉重:人事部に来て、お先真っ暗だったのに、今度は人事部から離れるのが、またお先真っ暗みたいな状況ですね。随分と心境は変わりましたね(笑)

田代:またまたお先真っ暗になってしまって(笑)。

その頃は、ちょうど社労士試験も受かっていよいよ自分のスキルを生かした仕事ができるんだなということで、希望に燃えていました。でも、5年も一つの部署にいたら、異動の時期が近づいていることは肌で感じていました。まあ人事から出るんだったら、せめて同じ管理系の仕事ができたらなと思っていたのです。その希望も叶わず、会社の人事というのは、自分が人事部にいて言うのもなんですけれども、本当に理不尽なものでして(笑)。

倉重:会社にお勤めで、理不尽な異動とかで苦しんでいる方は、たくさんいらっしゃいますからね。

田代:はい。しかし会社を辞めるという選択肢は、そのときはなかったので、不本意ながら、従うしかなかったのです。と、過ぎたこととはいえ、ここまで自分の気持ちを赤裸々に言っていいんですかね(笑)。

倉重:はい、いいと思います。

田代:不本意ながら、やはりその運航管理の仕事に異動したわけです。慣れない仕事でしたが、周囲に助けられて、業務をこなしていきました。4年弱、本船の運航管理業務、主にトラブル・シューティングの仕事で、24時間365日仕事から完全に離れることはできないようなハードワークでしたが、とてもやりがいのある仕事でした。まじめに頑張ったことが評価されたのか、同期のトップで課長に昇進しました。

倉重:運航管理の仕事をやってから、また人事に戻られて。それは、戻ったときは、やっぱりうれしかったですか?

田代:そうですね。うれしかったですね。というのは、人事部への復帰を、自分も自己申告に書いていまして、自己申告票はちゃんと見てくれているんだなというのが(笑)。このまま、運航管理業務や営業系の業務を続けて、本流で上をめざす道もあったと思いますし、日本企業のサラリーマンにとってはその道のほうが普通だろうと思います。でも、自分はその道を選ばず、自分がやりたい仕事を希望し続けて、そこはちゃんと見てくれているのだなと思いました。

倉重:ちゃんと人事が見てくれているんだなと思えるのは嬉しいですよね。

田代:これまた、人事にいた人間が言うのも変ですけれども、ちゃんと見てくれているんだと思いました。2回目の人事部勤務では、もうかなり専門性を発揮して、仕事に取り組みました。会社の人事制度の見直しだったりとか、あとメンタルヘルスの対策とか。それから、ハラスメント防止対策にも尽力しました。セクハラ防止義務とかがちょうどできた頃で、そういう対策を他社に先駆けて手掛けていきました。2001年頃ですね。

倉重:均等法改正の時期ですかね。

田代:均等法改正のすぐ後ぐらいだったので、セクハラ対策が急務でした。パワハラも、その頃ちょうど言葉が出始めた頃で、ハラスメント対策に力を入れ始めました。メンタルヘルス対策も2000年にメンタルヘルス指針が発出され、本腰を入れなければならない時期になっていました。その他、人事制度絡みでは、目標管理の達成度評価を査定に使うようになって、目標設定時や評価時の面談のやり方の研修を実施したり、かなり企画的な仕事がその期間はできたなと思いました。

倉重:その2回目の人事部所属というタイミングで、いよいよ自分は人事マンとしてやっていこうと、そういう気持ちになったということですよね。

田代:はい。

倉重:にもかかわらず、その後、また人事から出ろというようなことになるわけですよね?

田代:そうですね。そこで4年ぐらいやって、2005年頃のことですが、ちょうど会社人生20年ぐらいの節目の時期になるんですけれども、そこでようやく自分も人事パーソンとして脂が乗り切ってきて、かなり自分でもできるなというふうな思いがあったんですが、またちょっと営業に戻らないかみたいな打診がありました。

でも、やっぱり「ちょっと…」いう気持ちがありました。もちろん、営業に戻っても楽しく仕事ができると思いましたし、実績を上げる自信もなくはなかったのですが。

倉重:ローテーションというのは酷なものですね。

田代:本当に酷なもので。

倉重:自分がそうしたいと思っても、必ずしもそれに従った異動がなされるわけではないわけですよね。

田代:そうなんですよ。

倉重:そのときに、じゃあその異動に従うのか、それとも自分の道を行くのかというふうに、悩まれるわけじゃないですか。

田代:それはものすごく悩みました。

倉重:そのときの思いを、ちょっと聞かせてほしいんですけれども。

田代:その時は、2003年から2004年頃1年ぐらい悩んでいたと思います。考えが行きつ戻りつつといった感じで、独立して自分で人事の仕事で道を切り開きたいなという思いと、いや、待てよ、このまま辞めても本当に食っていけるのかという気持ちが揺れ動いていました。子どもも小さかったし、家族を養なわなきゃいけない立場の人間にそれができるのかということで、何度も行ったり来たりしていました。でも、転機は突然やってきて、上司から呼ばれて、「営業からちょっと引きが来ているぞ」という話があったんです。

 そのときに、普段自分のキャリアのことを何も考えていない、悩んでいない自分がもしいたとすると、「分かりました。じゃあ異動に従います」というふうに、もうあっさり答えたと思うんですけれども、今、言ったように、いろいろ悩みもあったので、思わず自分の思いをぽろっと言ったんです。「もう自分は、営業には戻りたくないんだ」、「人事でなりわいを立てたい」と。「資格もあるんで、独立の道も考えている」と。「けれども、その際には、完全に会社から離れるのではなく、会社の業務を請け負わせていただきけないか」という話をしたんですね。

 そうすると、上司のほうは「分かった」と。「おまえの力も必要だし、ずっと外から支えてくれると非常にありがたい。その話は上に伝えよう」と。それからしばらくたって、私のオファーが認められたと正式に回答があったわけです。

倉重:そして退職されたあとも、前の会社とは、今でも社外人事部という形で、ずっと関わり続けているんですよね。

田代:そうですね。

倉重:やはり普通であれば、自分の意に沿わないキャリアの提示、これはどんな人でもあり得ることだと思うんですが、そのときに黙って従うのか、それとも他社に転職するのかという点で悩むのだと思います。そんな選択肢の中で、田代さんの場合は、第3の選択として、フリーランスとしてその元の会社の仕事を請けるという道を選びましたね。そうすることによって、その会社の意向と自分のキャリアというのを、両立しようとしたということですね。

田代:そうですね。まさにそのとおりで、AかBかの選択じゃなくて、AもBもみたいな形ですよね。会社と個人のwin-winの働き方を目指しました。

倉重:どちらも立てるということですね。

田代:はい。会社の仕事も続ける。それは、雇用契約から業務委託契約に変えるということになりますけれども、そういう形で会社の仕事も続ける。それ以外の自分がやりたかった人事の仕事はもっと広いフィールドで、チャレンジできるということで、両立できる働き方だなというふうにも考えていました。

倉重:ようやく、で、今日の対談の趣旨というところまで来ているわけですけれども、まさに今、多様な働き方といわれている中で、その会社に労務を提供する、働くというのは、雇用契約じゃなくてもいいんじゃないかと。

田代:そのとおりですね。

倉重:フリーランスという働き方も、随分広がっていますけれども、田代先生は13年前からそれをやっているわけですよね。

田代:そうですね。

(第2回へ続く)

対談協力:田代 英治

社会保険労務士、株式会社田代コンサルティング 代表取締役

1961年福岡県生まれ。1985年神戸大学経営学部卒。同年川崎汽船株式会社入社。

1993年人事部へ異動。同部において人事制度改革・教育体系の抜本的改革を推進。

2005年同社を退職し、社会保険労務士田代事務所を設立。

2006年株式会社田代コンサルティングを設立し、代表取締役に就任。

人事労務分野に強く、各社の人事制度の構築・運用をはじめとして人材教育にも積極的に取り組んでいる。

豊富な実務経験に基づき、講演、執筆活動の依頼も多く、日々東奔西走の毎日を送っている。

〔主な著書〕

『ホテルの労務管理&人材マネジメント実務資料集』(総合ユニコム、2018年7月)

『企業労働法実務入門【書式編】』(共著)(日本リーダーズ協会、2016年4月)

『人事・総務・経理マンの年収を3倍にする独立術』(幻冬舎新書、2015年)

『人事部ガイド』(労働開発研究会、2014年)

『企業労働法実務入門』(共著)(日本リーダーズ協会、2014年) 他

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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