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医療不信があり自分の症状を証明したいとドクターショッピングを繰り返している知人の相談への返答

國松淳和日本内科学会総合内科専門医, 日本リウマチ学会リウマチ専門医
(写真:アフロ)

知り合いが身体症状症と診断されています(70代女性)。

過去を振り返ると若い頃から長年に渡って患っていたと思われますが、強いストレスがかかる出来事をきっかけに妄想も出て悪化し、診断に至りました。

自己流で知識を取り込んでいて、医療に不信感を持っているのに自分の訴える症状を証明したいと検査するためだけに未だにドクターショッピングを繰り返しています。

家族に精神病と診断されている人がいることもあり、自分が精神科を受診していることに抵抗感が強く、投薬治療もなかなかスムーズに進みません。心理の先生との面談なども指示されていないので、周囲の人はどうしていいのかわからず困り感が著しいようです。

こういった患者さんにはどんなアプローチがあるのでしょうか。出口が見えずとても困っているようですので、こういった方に何か手がかりになるようなことがないかと思い、投稿させていただきます。

國松です。

私あてにこんな投稿をいただきました。

まずお尋ねの内容ですが、非常に整理されています。

おそらくその知り合いの方との距離感も、適切なものになっていることと拝察します。

ここでいう「距離感」というのは大まかには2つの意味があります。

1つは、ある程度の物理的な距離です。

「接触(連絡)の回数や頻度」ということに置き換えていいでしょう。

多分あなたは、その知り合いの方に毎日連絡していないでしょうし、また一方でずっと連絡を途絶えさせているということもないと予想します。

これは素晴らしいことです。

もう1つは、心理的・感情的な距離感です。

私見ですが、社会に属する人間というのは、どの人も、人と人との距離感が「適切」である必要があると思っています。

適切というのは、まあ要するに近すぎず・遠すぎずということです。

ただ、この関係性というのは当然、相手にもよります。

完全に赤の他人であれば、遠くても問題ありませんね。

家族、配偶者、友人、友人の友人、学校の担任、職場同僚・上司、クラスの同級生、ネット上の知り合い、ネット上で一方的に知っている人、・・・我々には無数の、人と人の関係性があります。

驚くことに、これらひとりひとりに、おそらく適切な距離感というのがあって、その距離は質も量も違うのです。

この距離の調節が上手な人、上手ではない人、というのがいて、そしてそれはトレーニングすればできるようにはなるのですがたまに習わなくてもできる人がいます。

相当前置きが長かったですが、あなたはそういう人だと思います。

なぜそのお尋ねの”知り合い”ではなく、あなたのことをここまで述べたのか。

それは、そのお知り合いが相談しているわけではないからです。

あなたという人はその知り合いの人ではなく、その知り合いの人はあなたではありませんよね。

この区別は個人的に重要だと思っています。

さて、まず「身体症状症」という概念には歴史的に変遷があります。

すぐ、それはなんだ?とググる前に聞いてください。

「変遷する」というのがそもそも怪しくないですか?

たとえば「胃がん」というものの診断は、別に変遷はしていません。

胃カメラをやって病変があって、そこからつまんで取ってきて、それを顕微鏡でみたら”そこに”がん細胞があった、となります。

このプロセスに変遷も何もありません。

一方たとえば今回の「身体症状症」という疾患ですが、顕微鏡ではみえません。

CTスキャンやMRIでもみえません。

血液検査のマーカーを使って、ある・なしを判定できません。

地味ですよね。

そういうやり方では診断しない概念だからです。

そこにあるもの、を見つけるのが診断であると思っている人が多いです。

診断というのはそれだけじゃありません。それは診断全体の一部です。

疾患によっては、「そこにあるかも」と思って探しても、みつからないのです。

理由は「そこにないから」です。

原因不明、診断難民となる背景には大まかに次の3つのパターンがあります。

1. 単に見つけられていない(検査不足や医師の技量の問題)

2. 体そのものをくまなく探しても、そこに原因や診断がない

3. 症状や問題はあるが、病気ではない

がんがある、脳出血がある、骨折がある、のような「そこにある」というタイプの疾患ではないときは、ちょっと考えれば当たり前なのですが、どれだけ検査しても診断は見つかりません。

だってそこにないわけですから。

こういう状況はに相当します。

身体症状症もそうです。

ちなみに身体症状症に関する、日本語で読める、学術的かつ易しめの資料はこちらがいいでしょう

のような病気というのは、症状や検査結果などを含めた状況を整理して、診断するための条件を確認して、他の状況と区別することで診断されます。

ぴんと来ませんよね。

そして地味です。

ここって、患者さんと医者がすれ違うところだと思います。

 ”頭痛がした!CTとった!くも膜下出血だった!緊急手術した!”

のほうがわかりやすいですもんね・・・。

 ”最新鋭のPETスキャンで早期がんが見つかった!”

とかのほうがいいですよね・・・。

そりゃそうですよ。

私たちだってそうしたいです。

ちなみにですが、ほとんどの患者さんが、どうであれ「」を期待(?)します。

ある程度はそれで大丈夫だと思います。

ただ、あらゆることを、まさに今回のあなたの知り合いのように、ドクターショッピングを重ねてもみつからないとき。

これはもう、みつからないです。

なぜみつからないかというと、そこにはないからです。

なぜそれがつらいかというと、ないものを、みつけようとしているからです。

今回の、知り合いの方は、会っていないので流石にわかりませんが、周りの人が本人に正しいこと・正論を言い伝えようとしても、わかっていただけるような人ではおそらくないと思います。

お話を聞いて、体のどの部分、なんの病気を心配しているのか丁寧にお聞きして、検査をしつつ、そしてやりすぎず、ご本人の納得を模索する、というのが初手になります。

その際、医師や病院にすでに不信をもっているようですから、ほとんどの医者や病院では無理だと思います。

なぜならそういう「不信」は態度や言動に現れてしまうものなので、医者もそれがわかってしまうし、そういう人がいきなりやってきてそれをとりなすことから始めるのは嫌だからです(自分の責がないところでの失点を負った状態でのマイナススタートということですからね・・・)。

「おやおや、それは大変だわね」と話を聞いてくれる医者を探すのが、遠回りのようで近道かもしれません。

そしてその時に、「原因を突き止めてください!!」「本当の診断をつけてください!!」と凄まないことが大切です。

なぜなら、それを言われると重荷だからです。

それが医者の仕事じゃないか!と憤るかもしれません。

それは100%その通りです。

その憤りはもっともです。

もうこれはごめんなさいとしか言いようがありません。

医者はね、いけてないんですよ。

私が代わりに謝りますので今日のところはほんと、許してください。

謝ってすむような話ではないかもしれませんが、ごめんなさい。

戻りますと、そのような場面では、「症状を良くしてください、そのためなら検査も受けますし、先生が必要だと思う薬も飲んでみます」と言ってみるのが一番だと思います。

そして、初診で終えようとせず、定期的な通院を促してくれる医者が望ましいと思います。

次の予約を入れようとしたか、はポイントだと思います。

以上、全然「身体症状症」にアプローチしていないように思えたかもしれませんが、ここで私が述べたことの中に、今回のご相談に関して大事な点が含まれていると思いますので安心してください。

その知り合いではなく、「あなた」に安寧が訪れますように。

國松 淳和

日本内科学会総合内科専門医, 日本リウマチ学会リウマチ専門医

内科医(総合内科専門医・リウマチ専門医)/医書書き。2005年~現・国立国際医療研究センター病院膠原病科, 2011年~同院総合診療科。2018年~医療法人社団永生会南多摩病院総合内科・膠原病内科部長。不明熱や不定愁訴, 「うちの科じゃない」といった臨床問題を扱っているうちわけがわからなくなり「臓器不定科」を自称するようになる。不定, 不明, 難治性な病態の診断・治療が専門といえば専門。それらを通して得た経験と臨床知を本にして出版することがもう1つの生業になっており, 医学書の著作は多い。愛知県出身。座右の銘:特になし。※発信内容は個人のものであり, 所属した・している施設とは無関係です。

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