「シャネル」デザイナーが死去 カール・ラガーフェルド氏を偲ぶ

ユニクロ×イネス展に訪れたカール皇帝と(2013年11月)。右は滝沢直己氏

・「CHANEL」「FENDI」の2大ブランドのデザイナー

・2004年に「H&M」とコラボし“ファッションの民主化”を推進

・写真家としても活躍

 「CHANEL」(シャネル)と「FENDI」(フェンディ)のデザイナーであるカール・ラガーフェルド氏(Karl Lagerfeld)が2月19日にパリで死去した。85歳だった。「WWD-NY」や「Business Of Fashion」などが伝えた。1月に行われた2019年春夏オートクチュールのショーではフィナーレに登場せず、体調が懸念されていた。

 1933年、ドイツ・ハンブルク生まれで、17歳で「PIERRE BALMAIN」(ピエール・バルマン)のアシスタントとして働き始め、「JEAN PATOU」(ジャン・パトゥ)、「KRIZIA」(クリツィア)、「CHARLES JOURDAN」(シャルル・ジョルダン)、「VALENTINO」(ヴァレンティノ)でキャリアを重ねた。一時期、ファッションを離れてイタリアでアートを学んだ後、「FENDI」のデザイン・コンサルタントとして業界に復帰。70年代には「CHLOE」(クロエ)のデザイナーとなり、評価を確かなものとした。

 「CHANEL」のデザイナーに抜擢されたのは1983年のこと。貴族出身の元祖スーパーモデル、イネス・ド・ラ・フレサンジュをミューズに据え、創業デザイナーのココ・シャネルの死(1971年)以来、低迷していたブランドをハイファッションブランドとして蘇らせた。自身のブランド「LAGERFELD」(ラガーフェルド)も手がけたり、写真家としても活動するなど、多忙を極めていた。

 さらに、2004年にはファストファッションの「H&M」とコラボレーションして世の中を驚かせ、ハイファッションを大衆の人々の手の届くものとして届ける「ファッションの民主化」に大きく寄与。デザイナーズ・コラボ・ブームの先駆けになった。

 白髪をポニーテールにし、黒いスーツと襟高の白シャツ、黒のグローブに黒のサングラス、そして「CHROME HEARTS」(クロムハーツ)のジュエリーというスタイルはファッション業界のアイコンであり、モード界の皇帝と呼ばれるにふさわしい存在感を発揮していた。

 若い人々をリスペクトする懐の深さもあり、その才能に惚れ込んだエディ・スリマンの「DIOR HOMME」を着るためにダイエットをした逸話はあまりにも有名だ。

 イネスが「UNIQLO」(ユニクロ)とコラボレーションを発表した際には、パリのお披露目のエキシビション会場に激励に訪れたり、昨秋のパリ・ファッションウィーク中には若者から人気上昇中のコンセプトショップ「NOUS」(ノウス)に立ち寄る姿なども見られた。

 「CHANEL」と「FENDI」の後任デザイナーには、元「LANVAN」のアルベール・エルバスや、カールと同じ元「CHLOE」のデザイナーを務め直近まで「CELINE」(セリーヌ)で人気を得たフィービー・ファイロ、さらには、元「LOUIS VUITTON」(ルイ・ヴィトン)のマーク・ジェイコブスの名前も取りざたされていて、次の興味の的だ。

 まずはカール皇帝の冥福を祈りたい。

<追加しました 19日23:45>

 「CHANEL」は19日、クリエイティブ・スタジオ・ディレクターのヴィルジニー・ヴィアール(Virginie Viard)をクリエイティブ・ディレクターに任命した。30年来、カールの右腕として務めてきた女性で、カールとともに2019年春夏コレクションのフィナーレに登場していた人物だ。ワンポイントになるのか、継続するのか、見守っていきたい。