志村けんさんが朝ドラ「エール」で演じる大作曲家の山田耕筰。二人の意外な共通点とは

「エール」主人公の資料が揃う福島市古関裕而記念館(写真:著者撮影)

故・志村けんさんの遺作となったNHK朝ドラ「エール」。

志村さんが演じる「小山田耕三」は日本近代音楽の父と言われた山田耕筰(やまだ・こうさく)がモデル。5月1日の放映ではラスト1分に志村さんが初登場、わずか二言の台詞だったが今後の展開を期待させる重厚な演技だった。

NHK「エール」志村けんさん生前撮影時のコメント発表「らしくないところを見てもらえれば、うれしいね」(5/1スポニチアネックス)

コメディアン一筋のイメージが強い志村さんだが、実は多彩な才能の持ち主だったことが亡くなった後に次々と語られた。映画「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)で高倉健さんと共演した俳優としての側面。そしてソウルミュージックについてのマニアックな音楽評論も行っていた。

実際、「ヒゲダンス」「バイのパイのパイ」などドリフターズのコメディソングは、そのほとんどがソウルミュージックをベースにしていて、とりわけ「8時だョ!全員集合」の人気コーナー「少年少女合唱団」の早口ことばシリーズはその真骨頂。ドリフターズのメンバー全員がソウルフルに歌って踊り、志村さんセンターで全員が踊るシメのファンキーなダンスは「コント」の名を借りた和製ゴスペルそのもの。志村さんは「カラスの勝手でしょ」と大爆笑を取りながらお茶の間の子供たちにソウルスピリットを届けていたのだ。

志村さんが気づいていたかどうかは不明だが、「西洋音楽をわかりやすく伝えた」という点で志村さんと山田耕筰は共通していた

山田耕筰は、大正から昭和にかけて北原白秋などの文学者と組んで「からたちの花」「この道」「待ちぼうけ」「赤とんぼ」など、数多くの童謡を作曲した。といっても童謡専門ではなく、日本におけるクラシック音楽の基礎を築いた偉人であった。明治末期に24歳でベルリンの音楽院に留学,日本人で初めての交響曲を作曲し、大正7年、アジア人として初めてニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏した。日本初の管弦楽団を指揮し、大小さまざまな演奏会を開いて日本に西洋音楽を広めた。

功績はそれだけではない。日本語のリズムをメロディに活かし、日本語が自然に美しく歌われるような作曲法を確立し、数々の童謡の名曲を生み出したのだ。

北原白秋作詞の「からたちの花」を山田耕筰自身が歌う貴重な映像がNHKのサイトで公開されているのでぜひ見てほしい。日本語の歌詞に合ったメロディラインを丁寧に歌っているのがわかる。

NHKアーカイブス「あの人に会いたい 山田耕筰」

西洋音楽を「童謡」という形で広めた山田耕筰と、ソウルミュージックを「コント」という形で広めた志村けん。

こじつけと言われればそれまでだが、突然にこの世を去った偉大なコメディアンの最期を飾った仕事として、この偶然にみえる一致を私は必然なのだと思いたい。

古関裕而と山田耕作の年齢差は24歳あった。古関裕而は一世代上の大作曲家を尊敬し、師と仰いでいた。山田耕作もまた、新進作曲家の古関裕而に目をかけ、コロムビアレコードに推薦をし作曲家として活躍の道を与えた。

今月中旬には志村けんさんが再び登場し、そんな二人のからみも出てくるとのこと。楽しみに待ちたい。

ちなみに、山田耕筰は古関裕而の生まれ故郷・福島市の市歌を昭和11年に作曲している。作詞は北原白秋。

福島市音楽堂に建つ福島市歌の碑 写真:筆者撮影
福島市音楽堂に建つ福島市歌の碑 写真:筆者撮影

当時、古関裕而はまだ駆け出しだったが、すでに早稲田大学の「紺碧の空」を作曲して好評を得て、福島市歌が作られた11年には阪神タイガーズの応援歌「六甲おろし」を作曲している。山田耕筰がふるさとの市歌を作ったことに、古関裕而はどんな反応を示したのだろうか。誇りに思ったのか、それとも悔しがったのか。

今となっては知るよしもないが、山田耕筰の名が刻まれた福島市歌の碑は、古関裕而記念館と同じ敷地にあり、偶然にもその建物を見守るように建っている。

市歌の碑から古関裕而記念館をのぞむ。写真:筆者撮影
市歌の碑から古関裕而記念館をのぞむ。写真:筆者撮影

(古関裕而記念館は、コロナウィルス感染症拡大防止のため現在臨時休館中)