福島・被災地めぐりツアーで見えたもの

被災地で1億円稼ぐ花農家・川村博さん(著者撮影/作成)

被災地を回って人の話を聴くユニークなツアー

東日本大震災から6年半。

私は4年前から福島市に住んでいますが、生活の上で震災の影響を感じることはもうほとんどありません。復興はまだ途中ではあるものの、町のムードや関心は首都圏同様、2020年のオリンピックイヤーに向いているのを感じます。

ただ、同じ福島でも原発事故の影響が大きかった地域は状況が違います。大津波と原発事故によって大きな被害を受けた福島県の沿岸地域がいまどうなっているのかは常に気になるところです。ここ数年で避難解除地域がどんどん増えていはいますが、いまだに入れないエリアもあり、同じ福島に住んでいてすら案内人なしでは行きにくい場所です。

そんな中、農業や漁業、地域サービスなどに携わる人々の話を聴きながら被災地をまわる体験型バスツアーがあるというので参加してきました。

企画したのは福島市にある環境再生プラザ。環境省と福島県が運営する、放射線や福島の環境再生に関する情報発信を主に行う機関です。運営実施は、福島県が力を入れる「ホープツーリズム(震災からの復興の姿を見せる観光ツアー)」を手がける福島県観光物産交流協会。ツアー参加者は首都圏や福島県内から年齢層も幅広くバックグラウンドも様々な方が集まり、定員20名を上回る盛況ぶりでした。

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JR福島駅からスタートし、1泊2日で11カ所を回りました。風評被害と向き合う福島市内の果樹農家、いまだに漁業が再開していない相馬市の松川浦、ソーラー発電しながら営農をする南相馬市の畑、津波ですべての家が流された請戸地区、原発7キロの浪江町で花栽培をする農家、郡山市でオーガニックに徹した酒造りを行う酒蔵などを訪ねて話を聴きました。また、宿泊した川内村ではいわなの炭焼きやバーベキューをしたり、阿武隈山地の山の中でツリークライミングをしたりなど、福島の自然を再発見するアクティビティもあり、テーマ性のあるツアーとして完成度の高いものでした。

一番良かったのはやはり当事者の話を直接聞けたことです。被災当時の状況、最悪の事態をどのようにして克服していったか、そして今何をやっているかなど、それぞれのリアルストーリーには迫力があり、震災に限らず、大きな困難を克服した成功例として誰もが勇気づけられるものでした。

共通して感じたのは「たくましさ」。そして言葉は悪いかもしれませんがしたたかさも感じます。最悪の状況であっても前に進んでいく人間の強さを感じました。

その中から特に印象に残ったお二人を紹介したいと思います。

売上8割減の大打撃から3年で回復した果樹農家

福島市の「たかはし果樹園」高橋賢一さん。

地元の子どもたちに配る桃づくりの絵本を手にする高橋賢一さん(著者撮影/作成)
地元の子どもたちに配る桃づくりの絵本を手にする高橋賢一さん(著者撮影/作成)

福島市の観光名所のひとつ「フルーツライン」近くにあるたかはし果樹園は、主力商品の桃を中心としてファン顧客を多数持ち、直売所も運営するなど順調な営農をされていました。そして青天の霹靂の原発事故が起き、その年の桃の販売は前年比78%減という大打撃を受けます。皮肉なことにその年は近年にないほど見事な良い桃がとれたそうで、立派な桃がひと箱200円でも売れず、山積みされて腐っていくのをなすすべもなく見ていたそうです。美味しい果物をつくってお客さんに喜んでいただくことがモチベーションでこの仕事を続けてきた高橋さんにとって、その前提が根本から崩れる出来事でした。

そんな状況でも国からは「心配ない」と言われ続け、「食べて応援」というキャンペーンも行われますが、自分たちですら不安だらけの状況の中でその言葉は違和感しかなかったと言います。

そこで、高橋さんはじめ有志の果樹農家が集まり「ふくしま土壌クラブ」を立ち上げ、地元の福島大学の協力も得てほとんど知識がなかった放射線を勉強するところから始めます。安全な食の提供を目指して、翌年の1月から3月の極寒の時期にはみんなで協力して2000ヘクタールある果樹を1本残らず洗ったそうです。地道な努力の甲斐があり、わずか3年で売上は元に戻ったというから驚きです。

千年に一度の災害という場に居合わせたのは何かの運命と感じ、農業を引き継ぐ次世代の若者たちに風評を残さないことを目標に、今はこれまで必要性を感じなかった「桃のブランドづくり」に力を入れています。

原発から7キロの浪江町で売上1億の高収益ビジネス

今回の中で参加者がみなびっくりしたのは浪江町の川村博さんです。川村さんは震災後に花づくりを始め、わずか数年で1億の売上になるほど成長させているというのです。震災の爪痕が最も残る町のひとつ、浪江町の1億円ビジネスとはいったい何でしょうか。

浪江町「サラダ農園」代表 川村博さん(著者撮影/作成)
浪江町「サラダ農園」代表 川村博さん(著者撮影/作成)

浪江町は原発から7キロに位置し、震災後は町全域が避難指示区域になりました。漁港もある沿岸の請戸地区は特に津波の大きな被害があったところです。今回、請戸漁港を訪問しましたが、すでにきれいに復旧されほかの漁港に係留していた漁船も戻っていました。

漁船も戻り、試験操業で再び動き出している請戸漁港(著者撮影/作成)
漁船も戻り、試験操業で再び動き出している請戸漁港(著者撮影/作成)

しかし海に近い住宅地は相変わらずぽつりぽつりと廃屋が残ったままの風景。

木造の家はすべて流され、コンクリートの家だけがいまだ残されている請戸地区(著者撮影/作成)
木造の家はすべて流され、コンクリートの家だけがいまだ残されている請戸地区(著者撮影/作成)

もともと2万人の住民がいた浪江町はこの4月に避難指示が解除され、約400人が町に戻ってきました。川村さんはふるさとの町を再生するため、数年前から農業再開の準備をしてきました。

川村さんはもともと福祉の仕事をしており、震災前は高齢者や障害者のデイサービスやリハビリ施設を運営していました。入所者のリハビリを兼ねて始めた畑仕事が次第に本格的になり、「サラダ農園」を始めます。野菜づくりだけでなく養鶏も600羽の規模で行い、施設での食事の食材はほとんど自前でまかなうほか出荷もしていました。

避難指示が出たあとは南相馬市に畑を借りて農業を続け、昼間の出入りが許可になった2013年からは高齢者をバスに乗せて浪江町に通い、野菜づくりを再開したといいます。私はこれまで数回浪江町を訪問していますが、人影もなく、除染作業のトラックが行き交う殺伐とした町という印象しかなく、農業に向いているとはとても思えませんでした。

野菜づくりを再開したものの、残念ながら浪江町で普通の野菜を作っていても売れません。仕方なく考えたのが人の口に入らない「花」の栽培でした。それも、どうせやるなら日本一を目指そうという高い志を持ち、結婚式用の花として人気の高いトルコキキョウ等の栽培に独自の技術を持つ長野の著名な栽培者の教えを請いました。花は全くの素人でしたが3年間長野に通って技術を身につけ、ついに日本で唯一、そのブランド名を名乗ることを許可されたのです。ブランドのおかげで一般的な花より1本につき200円も高い値で売れる高収益ビジネスとなりました。

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花き栽培のメリットは収益性の高さだけではありません。花の栽培に必要な温度、湿度、水の管理はコンピューターでできるため、常に手入れを必要とする作物では難しい「土日休み」「定時で帰る」という働き方が可能です。収入面でも一人につき手取りで500万の年収が得られる目標を立てています。何もなくなってしまった浪江町に住みたい若者はいませんが、この働き方なら近隣の住みやすいところに住んで通いでの就業ができるのです。

今浪江町に戻ってきているのは元気な高齢者ですが、10年、20年先を考えると若い人を集めることが絶対に必要だと語る川村さん。地元を愛し、ふるさとにこだわり、この短期間で地域再生のため新しい産業を生み出したことはすごいとしか言いようがありません。

「儲かる」「稼ぐ」とおおっぴらに言える文化に

今回話を伺った皆さんを通じて感じたのは、地域を再生するために必要なのは、強い地域愛と、次の世代につなごうという意志、そしてなにより必要なのは住民の「稼ぐ力」だということでした。当たり前のことのようですが、これは福島ではなかなか難しいことだったのです。というのは、福島には「お金のことを言うのははしたない」という文化があり「儲ける」「稼ぐ」という言葉は敬遠され、まず日常会話には出てきません。儲かっていても口にしてはいけない雰囲気がありますし、「儲けてはいけない」と思っている人すらいるのです。

川村さんが開口一番「花は儲かるんです」と笑顔で言うと笑いが起きました。地域再生のためには儲けて雇用を創り出すことが絶対に必要。福島にも、関西のように挨拶がわりにあっけらかんと「儲かりますか」と言えるような新しい文化が生まれればいいなと思います。