5枚の写真で見る被災地のいま

仮設住宅の集会場にて。「女性は強いです」と話す自治会長藤島さん(右前)

阪神大震災から今日で20年。

各地で被災者の追悼イベントが行われ、東日本大震災と結びつけた報道も多かった。

「3.11」に黙とう=二つの被災地「震災忘れぬ」―神戸(時事通信)

東北被災地、感謝と追悼の祈り ロウソクで「忘れない」(朝日新聞デジタル)

阪神大震災と東日本大震災。

この二つの災害は全く状況が異なるので、復興のスピードを比べるのはあまり意味がないとわかってはいるが、改めて阪神大震災の復興は驚異的な速さだったと驚く。

東日本大震災からもうすぐ5年。いま被災地はどうなっているのか。

津波で大きな被害にあった浪江町(原発20キロ圏)を訪問する機会を得た。

「熊坂さん、浪江町に行ったことがありますか。ぜひ行きましょう」

そう誘ってくれたのはラジオ福島のパーソナリティ大和田新(おおわだ・あらた)氏。

震災以来、精力的に被災地を回り、被災者との人間関係を築きながら耳を傾けてきた。これまで被災地に入ったのは相馬地区だけで100回を超えるという。私が知る中で、いま被災地で何が起きているか、何が問題なのかを最も知り尽くしている人だ。

大和田氏、そして浪江町請戸出身の歌手・門馬よし彦氏のナビゲートで一日かけて被災地を回った。

そこで見た風景を写真で伝えてみようと想う。

1. 「眠れない」

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南相馬市鹿島区の仮設住宅、自治会長の藤島昌治さんは一人暮らし。家のある小高区の避難指示が解除されるのは来年4月。あと1年3ヶ月もあるが、解除の日が決まったときから、戻るか否か頭の中で行ったり来たり、眠れない日が続くという。

2.「ゴーストタウン」

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津波よりも地震の被害が大きかった浪江町幾世橋(きよはし)地区。倒壊した建物も多いが、避難区域のため片付け作業ができず、4年たった今も放置されたまま。パトロール車と工事トラックだけが通るゴーストタウンは、まだ当分このままの可能性が高い。

3.「願い」

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請戸(うけど)地区、自分の家があった跡地に立つ門馬よし彦さん。4年前までここに活気のある港町があった。「変わり果てた風景にため息しか出ないけれど、できることならまたここに住みたい」という想いを「願い」という歌にした。

原発から20キロ圏内の請戸だが、実は放射線量は驚くほど低い。この日は0.069マイクロシーベルト。多くの避難民の方が住む福島市より低いという矛盾。今日のデータの数値は、全国的にみればもっと高い地域がたくさんある、というレベルだ。

4. 「人が集まる」

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南相馬市原町区萱浜(かいはま)地区、上野敬幸さん(右)は津波で家族4人を亡くした。地域に笑顔を取り戻そうと福興浜団を立ち上げ地域の復興を支えている。倒壊した家屋をそのまま残し、敷地内に建てた新家屋はみなが集まる場所になっている。この日もお話を聞いているわずかの間に人の影が耐えなかった。(左は大和田新氏)

上野さんについて、オーサー高橋宏一郎氏(前共同通信福島支局長)の記事

心の復興、一歩ずつ-捜し続ける父の思い(2014/12/1)

5.「人気スイーツ復活」

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最後は明るい未来が見える写真。

小高駅前の人気スイーツ店だった「菓詩工房わたなべ」は、先月6日、原町区に新規オープンした。山の中にぽつんと立つ店だが、一番人気のシュークリーム「小高秀(シュー)」を求めてひっきりなしに客が訪れる。

「小高シュー」復活は小さな話題かもしれないが、地元の人にとっては本当にうれしい出来事なのだ。絶え間ない客足がそれを物語っている。大好きな食べ物がいつでも食べられる、私たちにとっては当たり前のことすら叶わなかった被災地にも、少しずつ日常の楽しさが戻ってきた。

そして戦国絵巻のような地域の伝統行事「相馬野馬追」(7月末開催)は、今年も注目が集まっている。

昨年PR動画を作らせて頂いた関係上、「相馬野馬追」のツイッター検索結果を常に見ているのだが、年が明けてからは特に「今年は行きたい」「野馬追見たい」というつぶやきをよく見るようになった。

追い風として、今年3月には常磐自動車道が全線開通するので、首都圏からのアクセスもぐんとよくなる。

復興に向けて進んでいる相馬地区にあなたもぜひ、足を運んで欲しい。

「わたなべ」の「小高シュー」や肉球の形をしたマドレーヌを食べに来て欲しいし、もちろん、7月末には相馬野馬追をぜひ見に来て欲しい。

被災地だからと敬遠することなく、たくさんの人が訪れてくれることが一日も早い復興につながると私は信じている。