2022年、新しい年の始まりである。私は、この新しい年を、私たちが当事者としての姿勢を取り戻すべき年、だと考えている。

私たちの周りには、前例のない変化があり、それぞれが関連しながらも、不連続に、しかも同時に危機が世界で広がっている。

感染症や温暖化は地球の生存をかけた危機である。世界では所得や富の絶対的な格差が広がり、AIやデジタル化への熾烈な技術競争に人間の統治が追いついてない。

事態をより複雑にしているのは、米中対立という地政学的な対立である。世界は協力よりも、分断に向かい始め、その最前線として日中両国で緊張が高まっている。

最も考えるべきことは、多くの国で民主主義は後退し、その統治が市民の信頼を失いつつあることである。日本もそれと無関係でないことは、多くの人は気付いているはずだ。

この変化が突き付けているのは、私たち一人ひとりが未来にどのように臨むのか、その立ち位置だと考える。

ところが、この国はまだ本気になれず、多くの人が評論家になり、不安に迎合する勇ましい声だけが好まれている。これらの声に特徴的なことは、最後の膨大な負担は全て政府にお任せだということである。

このままでは、未来の可能性を自分たちで潰しかねない。それが、私の危機感である。私たちが、これからも自己決定できる自由で民主的な社会を望むのであるならば、この変化に立ち向かうべきではないか。それが、私の言う、当事者の姿勢である。

必要なのは、世界の変化や日本の課題を自分で考え、感じる力

では、どう立ち向かえばいいのか。その答えの一つは現実を知ることだ、と私は思っている。

私たちは、昨年から「知見武装」を呼び掛け、様々な議論を公開している。

この厳めしい言葉は、親しみ難く、これでよかったか自信はないが、ここで言いたいことは、私たちは自分で考え、感じる力を取り戻そう、ということだ。

インターネット空間には、感情的な議論が溢れ、偽情報もある。私たち自身が、この歴史的な変化を受け入れるためには、その情報の中から事実を見極め、世界の変化や日本に問われる問題を自分で判断できる「考える力」と、「感じる力」が必要なのだと、私は思っている。

私自身がそれを痛感したのは、昨年夏、瀬戸内海の小さな島、直島の内部が真っ暗な美術館を訪れた時のことである。

真っ暗な空間では何も見えず、何も感じない。しかし、真剣に前を見続け、耳を澄ましていると、やがて前方に光が見え始め、かすかな音を感じ始める。この光は最初からあったのに、暗闇で気が付くことができなかった。

これは、一般の社会でも同じではないかと気が付いた。私たちは、本来、見なくてはならないことを見ようとしているのか、感じなくてはいけないことを感じようとしているのか。 

問われているのは、私たちの姿勢なのではないか。それが私の問題意識なのである。

私たちはこの十数年、世界の課題で世界の多くのシンクタンクや知識層と議論を重ねてきた。痛感したのは、変化に取り組む世界とは異なり、この国ではポジショントークが未だに幅を利かせていることだ。

課題は明らかなのに、現状がこのまま続くことを前提に世界の変化を解釈する。つまり、変化を避けたいための議論であり、それが日本の対応を遅らせている。

地球温暖化を食い止めるためには、すでに全力を出さないと難しい局面にある。

昨年10月末のCOP26は1.5度目標への努力を正式に合意したが、それが達成できる計画は描かれたわけではない。

地球の破滅や世界の不公正を回避するため企業行動は全面的に見直され、世界ではそのために経済や社会システムが革命的に変わろうとしている。しかし、日本では、地球環境や人権への企業の対応が、未だに社会貢献の意識で語られている。

昨年末、自宅近くの小劇場で「MINAMATA」という映画を観た時も、これと似た思いを強めた。

日本の高度成長期の公害である水俣病に立ち向かったカメラマンを題材にした、米国俳優のジョニー・デップ製作・主演の米国の映画である。

私の心を突き動かしたのは、生々しい写真だけではない。世界はこれを過去の終わった話だと片付けていなかったからだ。日本の地域での工場廃液による水銀汚染、それがどれほどの人命を傷つけ、未来を奪ったのか、それを思うだけで許せない人権犯罪だが、人権問題として、今も世界は怒りを共有し、厳しい視線を企業に向ける。そんな時代に今、私たちは生きていると感じたのである。

世界の前例のない変化に問われる私たちの立ち位置

世界の変化は、私たちの立ち位置を問うている。私は、世界の変化から、学ぶべきことは二つある、と考えている。

一つは、世界は協力するしか、世界の危機を止められない、ということである。

ここで私たちが感じるべきことは米国側に付こうが、中国との関係を重視しようが、それで気候変動や感染症の影響から逃れられない、ということである。

もし、私たちが力を合わせることに失敗し、世界の危機を避けられなくなった時、それぞれの国は自分の国を守るためだけに行動するだろう。そうなったら、この地球の未来は終わりである。

ただその傾向が、すでに今の世界にも見られることは注意が必要である。コロナ感染でも世界はワクチン以外、ほとんど協力が進まず、それぞれの国の行動はバラバラに行われた。貿易や経済を安全保障で考える傾向が強まり、世界の資源価格が上昇している。

これらを考えれば、私たちが取るべき行動は明らかである。

米中対立による世界の分断をこれ以上に悪化させないことである。そして、すでに機能しなくなった従来型の国際協力の枠組みを補完する新しい枠組みに向けて、私たちもチャレンジを始めることだ。

日本政府は未だに、日本がこの対立下において、どのような立ち位置を取るのか、国民に説明できていない。しかし、国際協調でしか未来を描けない日本が、世界の分断をこれ以上に悪化させないという旗を掲げるのは、むしろ当然だろう。

これこそが、新しい年の日本に問われるべき、最大の課題だと、私は考えている。

世界の分断を回避する努力と安全保障の対応は別の課題である。私は日本の危機管理の対応や、防衛力の整備の努力は同時に進めるべきだと考えている。

しかし、それ以上に大事なのは、中国が国際社会のルールに基づいて行動することと、中国に世界課題での協力を働きかけ、それに向けた対話や協議を行うことである。

米中両国はすでにそうした努力を行っているが、そうした外交努力は日本政府でまだ始まっていない。そのため、日本は米国の背後に隠れたように中国国民には見えており、存在感を失い始めている。

私たちが毎年行う世論調査では、国民が考える日本の立ち位置は、「米中のどちらにも与することなく、世界の繁栄に尽くすこと」が6割近くで圧倒的である。それが日本の民意であり、国民の願いであるが、政治の動きとは乖離しているのである。

私たちは自由と民主主義の価値をどのように守るか

私たちが学ぶべきもう一つの姿勢は、不安定化する世界の中で、自由と民主主義の価値を守り続けるための努力である。

米国と中国の対立と競争がかなり長期化するとすれば、この対立を前提に世界の共存を考えることが必要となる。その中で自由と民主主義の存在をより大きなものにしていく努力こそが、私たちの課題になる。自由と民主主義こそ、人類の長い戦いの末に勝ちとった財産だからだ。

私が守りたいのは、私たちが自己決定できる自由と責任に基づいた民主主義の社会である。党に指導された巨大な国家やAIに管理された社会がどんなに機能的であったとしても、私たちは自由を失った社会を選ぶことはできない。

しかし、残念なことだが、世界ではそうした民主主義の体制は今では少数派となり、選挙を通じて選ばれた指導者が独裁色を強め、権威主義体制へ移行する国も相次いでいる。インターネットの普及がこうした指導者の追い風になっているとの解説もある。

ここで問われるのが、「民主主義の有用性」なのである。つまり、民主主義の統治は、経済の発展や国民が願う課題の解決で本当に機能しているのか。格差や分断が広がる社会が、その安定を損ねる中で、民主主義自体の信頼もぐらついているのである。

まさに、今、私たちは民主主義社会やそれと連動する資本主義自体の修復をどのように進めるのか、その難題が突き付けられているのである。

米国のバイデン政権は、これからは民主主義と専制国家の対立の時代となる、と訴えたが、これは中国に対して民主主義国が結束する、ということだけを意味したのではない。

それぞれの国が民主主義を修復し、課題解決に向けた統治や人権を尊重する国として、市民の信頼を回復すること、そして、世界の変化に向けてその国自体を強いものにしない限り、民主主義の仕組みは専制国家に競争力を持ちえない、ということである。

そうした競争にすでに、私たちは入り込んでいるのである。

言論NPOが当事者として取り組む3つの新年の課題

こうした自由で民主的な社会が競争力を持つためには、私たち自身が主権者として力を付けて、この前例のない変化の中で未来に向けてチャレンジするしかない。

私が、この新しい年に、当事者としての姿勢を取り戻すべきだ、というのは、それしか、日本の未来が見えないからである。

それが私の新年の問いかけである。この歴史的な困難に立ち向かうためには、私たちが当事者として、この時代の前例のない変化に堂々と向かいあうべきなのである。

私たち言論NPOはこの新年、3つのことに取り組んでいる。

アジアで紛争を起こさせないための関係国間の協議と、地球的な課題で世界が力を合わせること、そして、民主主義の信頼を高め、その修復に取り組むこと、である。

しかし、そのどれもが、多くの人の協力や理解がなければ進まないものである。

その3つの取り組みで、その実現のための声をどれだけ大きなものにできるのか、それが私たちのチャレンジとなる。