日本とドイツが目指す民主主義のあり方と課題 ~日独シンポジウムで日独の識者は何を語ったのか~

「戦後70年における平和と民間外交の役割」と題して行われた第1セッションに引き続き、第2セッションでは「日本とドイツが目指す民主主義のあり方と課題」と題し、日本側からは、逢沢一郎(衆議院議員、元外務副大臣)、網谷 龍介(津田塾大学国際関係学科教授)、大野 博人(朝日新聞社論説主幹)、ドイツ側からイェンス・ガイヤー(欧州議会議員)、ドロテー・ド・ネーヴ(ギーセン大学政治学研究所教授)の各氏が参加し、パネルディスカッションが行われました。

日独の民主主義について、日本の有識者はどのように考えているか

冒頭で工藤から、今回の対話に先立って行われた有識者アンケートの結果についての報告がなされました。

まず、「民主主義の成熟度について日本とドイツのどちらが優れているイメージがあるか」と尋ねたところ、63.0%の有識者が「ドイツ」と回答した一方で、「日本」と回答した有識者はわずか2.0%という結果でした。その理由として、ドイツは敗戦と同時にナチスから決別するために民主主義を非常に重要視し、柱の1つとして位置付けている。一方で、日本の社会における民主主義の徹底に向けた様々な制度改革などの動きがないのではないか、との声を紹介しました、

では、「ドイツの制度の中で、日本に示唆を与える特徴的な政治や制度は何か」と尋ねたところ、「民主主義の能力育成のため、連邦・州政府が政党や労働組合、教会などと連携しつつ、幅広い政治教育を展開していること」が58.5%で最も多く、「憲法裁判所と『強い司法』」が48.0%、「議員の専門性が重視されること」が45.0%と続いたことを紹介しました。

続いて、今後の民主主義の発展の可能性について、「どちらともいえない」が41.0%で最も多く、「発展していく」は22.0%で、「衰退していくと思う」の19.0%となりました。こうしたデモクラシーの中で、もっとも重要な基準は何かを尋ねたところ、最も多かったのは、「個人の基本的な人権の尊重」で37.0%、「三権分立」が19.0%と続いたことを紹介しました。

こうした有識者調査結果も踏まえながら、司会の工藤は、「今、民主主義はどのような試練を迎え、日独の国内においてもどのような課題に直面しているのか」と投げかけ議論が始まりました。

投票率は、政党の能力に対して、国民が信頼しているかの指標

冒頭、発言に立ったイェンス・ガイヤー氏は、ドイツを始め、欧州各国が直面している課題として投票率の低下を挙げました。しかし、有権者が重要だと思うような課題があり、自分たちもともに決定することができ、明確な選択肢があれば、または、政権交代への期待などがあれば投票率は上がるだろうと指摘しました。加えて、「投票率は、政党の能力に対して、国民が信頼しているかの指標であり、政党に能力がなければ、見せかけの政治になってしまい、民主主義の停滞が生まれかねない」と指摘し、こうした問題にどのように対処していくかが、先進国各国に共通してみられる課題だと語りました。

民主主義の根幹をなす選挙に向き合っていかなければいけない

続いて逢沢氏は、日本の低投票率について、日本は相対的に見てうまくいっている国だから選挙に行かない人が多く、悲観すべきではないという声があるが、「低投票率は、一人ひとりの国民の意思によって政治がつくられる民主主義の根幹を揺るがす問題だ」と指摘。「来年の参議院選挙から選挙年齢が18歳へ引き下げられる予定だが、低投票率にならないように、学校や家庭、社会全体で若年者への主権者教育をどのように行っていくかが今後の課題だ」と述べた上で、民主主義の能力育成のため、連邦・州政府が政党や労働組合、教会などと連携し、幅広い政治教育を展開しているドイツや、欧州各国の状況から主権者教育を学び、「民主主義の根幹をなす選挙ということに向き合っていかなければいけない」と語りました。

民主主義という概念を広く捉える必要がある

大野氏はOECDの調査結果を紹介し、「司法、警察、医療、教育など国民が選んではいない専門家への信頼度に比べて、選挙に基づいて構成される国の政府の信頼度が一番低いという傾向がある」と述べ、日本人は23%しか政府を信用しておらず、34か国中下から4番目であったことを紹介しました。

こうした状況が起こる背景として大野氏は、海外のオキュパイ運動や日本での原発問題に関するデモなどを例に挙げ、「代表民主主義に対する直接民主主義からの異議申し立てという側面があった。民主主義という概念をもっと広く捉え、議会からなる代表制民主主義だけを民主主義と考えるのではなく、それを支える他の制度も合わせて考えるべきではないか」と語りました。

ドネーブ氏は、ヨーロッパでも政治への信頼の低下、政治への無関心から民主主義が危機に陥り、脱民主主義が大きなテーマになっていることを紹介しました。また、民主主義という制度だけではなく、少数宗教や特定の社会グループへの攻撃が増えるなど、社会の中で暴力化が進んでいることを指摘しました。

一方、ポジティブな傾向として、「市民が街頭に出でデモなどを行うことは、人々が発言をしたいということの表れであり、アンチを唱えるデモだけではなく、何かに賛成するというデモもある。市民が政治に対して熱意を持って積極的に介入していくことで、民主主義の民主化が良い形で進んでいくのではないか」と語りました。

政党に期待しすぎてはいけないが、政党政治の果たすべき役割も今なお存在している

一巡目最後の網谷氏は、民主主義の危機という点について、ドネーブ氏の発言に賛同した上で、政党について言及しました。網谷氏は、「現代の市民には政党以外にネットなど数多くの問題解決のチャネルがあり、コストをかけずに多くの人たちに影響を与えることができる」こと、また、様々な課題解決について、「多様化した人をまとめていくのが困難になり、かつてのように明確なプログラムやイデオロギーをもち、社会に根を張った政党が政権を成り立たせるための基礎的な社会の状況ではなくなった」ことを挙げ、「政党に期待しすぎてはいけない」と語りました。

一方で、明確な選択肢で決められる問題と、年金の料率やどのような方式を採るかなどオルタナティブにして決められない問題点があること、また、直接行動には、いわゆる中産階級が主に参加することになるために、社会的な分離を悪化させる手段となるかもしれないとも語り、「政党政治の果たすべき役割は、今なお存在している」ことも併せて指摘しました。

次に工藤は、ドイツがヒトラーから決別するために、民主的な仕組みをつくり、これまで機能してきたことを指摘した上で、「こうした仕組みは、今なおデモクラシーの1つの立てつけとして機能しているのか。また、これまでの仕組みに対して新しいチャレンジがあり、仕組みを変えようという動きがあるのか」とドイツ側パネリストに疑問を投げかけました。

市民の参加の意思がない状況こそが、民主主義の危機

これに対して、ドネーブ氏は、民主主義をシステムとして無くしたいというドイツ市民は少なく、システム自体は危機的な状況ではないと応じました。しかし、「民主主義はあくまでもプロセスであり、常に刷新していかなければいけない。そして、そうした刷新のプロセスに市民が参加していくことこそ民主主義の根源であり、こうした市民の参加の意思がない状況こそが、民主主義の危機である」と語りました。

続いてガイヤー氏は、少数政党乱立を避けるために、全国で5%以上の得票率をあげた政党だけが議席を得る「阻止条項」について、ドイツの州においては、より民主主義を拡大し、代表制を拡大したほうがいいのではないかという視点から廃止され、その結果、市議会などにおいては10の政党が乱立するなど、多数派形成が不可能になっている現状を紹介しました。また、ヨーロッパにおいては、「多様な政党が存在し、意見を集約していくのは難しくなっており、今、様々な試行錯誤をしている。今の制度がうまくいかなければ制度設計を作り直していく状況にある」と語りました。

バルトケ氏は、「市民の中の政治に無関心の人にとってみれば、選挙制度が複雑すぎることで、投票に行かない人が増えてしまう。全ての人たちが政治に参加できるようにするためには、制度を複雑にしてはけない」と指摘しました。

こうしたドイツ側の指摘を受けて工藤は、「フランスでデモが起こった際、320万人が参加し、大統領や首相も参加して行われたと報道されていた。しかし、日本では、デモなども含め、市民の中に政治参加という大きな流れが出てきているのか。日本の中で起こっているのは、無関心であったり、お任せ主義なのではないか」と大野氏に尋ねました。

これに対して大野氏は、「2011年の渋谷での脱原発デモ以降、街頭でデモに参加する人は増えてきた。日本でも抵投票率が叫ばれているが、政治への無関心になっているわけではなく、適切なチャネルを求めているものの、政党を通した選挙で民意を掬い取れなくなってきた。そうしたものをどういう風に取り組んでいくかは今後の課題だ」と語りました。

日本とドイツの政党に対するイメージの違い

これまでドイツ側からの指摘を受けて工藤は、「ドイツはナチズムとの決別というビジョンがあり、民主主義を機能させようとした。その中で課題が出てきた。一方、日本の場合、政治の中で作られた仕組みを、市民が大きく変えようとする動きはあまりない。本来、民主主義の制度設計に関しても、民主化のプロセスの中で市民が声を挙げ、様々なことが可能だったがそうならなかった」と述べ、こうした日本とドイツの違いについて、ドイツ研究者の網谷氏に疑問を投げかけました。

これに対して網谷氏は、「政党とはドイツでは単なる政治家の集団ではなく、社会的な根っこがあるものが政党であるのに対し、日本における政党は政治家の集団であり、政党を通じて何かを実現するというイメージが少ない」と、日本とドイツの政党に対するイメージの違いを指摘しました。そして、「選挙制度だけを変えても、政党と選挙民の関係はすぐには変わらず、市民の側からアイデアがすくに出てくるかというとそうはならない。その点は、政治家やメディアがこれからの政党がどうあるべきか」を提案することに意味があるのではないかと語りました。

今回の議論を振り返って

その後、会場から質問を受け付けるなど、活発な意見交換がなされました。

その後、工藤は、「グローバリズムにおける国境を越えたイシューを解決するためには、公共というゾーンが国境を越えて広がっていく必要がある。その時のガバナンスの担い手は誰なのか、という問いかけが今、問われている。そして、北東アジアの平和を考えた際、和解という問題だけではなく、国境を越えた課題の共有化と解決をどのように設計していくのか。それは国家ができるのか。はたまた、国家という範囲の中でやっているジャーナリズムが可能なのか。国境を越えた市民社会のチャレンジがどうしても必要になっている」と平和と民間外交の役割についての議論を振り返りました。

また、今回の日本とドイツの民主主義の在り方についての議論で、「ドイツはナチスからの決別というミッションのもと、1つの民主的なシステムを作り出した。しかし、日本はどんな民主主義を作ろうとしているのかがわからない。今一度立ち戻り、日本はどのような民主主義をつくろうとしているのか、という問いかけが非常に重要だと感じた。今回の議論では、戦後、ナチスと決別して、新しい民主主義体制をつくり上げた、ソフトの面でも変化が始まっているドイツ。そうした国と比較しながら、日本のデモクラシーの展開の在り方を考える時期にきたのではないか」と語りました。

最後に、今回の全てのセッションを振り返り、「私たちは、戦後70年、平和とデモクラシーをきちんと考えて、改善する議論を行っていく。そして、大きな問題があるとすれば、それを乗り越えるような作業に入っていきたい。こうした議論は、今後もドイツや世界の他の国々とも行い、1つの流れをアジアの中でつくっていきたい」と語り、今回の議論を締めくくりました。

⇒セッション1:戦後70年における平和と民間外交の役割