集団的自衛権を考える(1/2)

出演者:秋山昌廣氏(東京財団理事長、元防衛事務次官)

神谷万丈氏(防衛大学校総合安全保障研究科教授)

道下徳成氏(政策研究大学院大学教授)

司会者:工藤泰志(言論NPO代表)

工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。今回の言論スタジオは集団的自衛権について議論したいと思います。これは非常に重要なテーマですので、今回を皮切りに、何度か議論を進めていきたいと思います。

それでは、ゲストの紹介です。まず、東京財団理事長で、防衛事務次官も務められた秋山昌廣さんです。続いて、防衛大学校総合安全保障研究科教授の神谷万丈さんです。最後に、政策研究大学院大学教授の道下徳成さんです。皆さん、よろしくお願いいたします。

さっそく議論に入ります。今回も言論NPOに登録している有識者にアンケートを取っていますので、それを踏まえながら議論をしていきたいと思います。

基本的に自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権があります。個別自衛権は自国が攻撃された場合に、それを排除するという権利で、集団的自衛権は自国が攻撃されているわけではないが、自国と密接な関係のある国が攻撃を受けた場合、それを自国への攻撃とみなして、共同してそれを排除するというものです。これはどちらも国連憲章の中で認められている権利ですが、日本では1982年から集団的自衛権の行使に関しては、必要最小限の自衛の範囲を超えているので憲法解釈上許されない、という解釈が続いていました。ただ最近、我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある場合、限定的には行使することを認めてもよいのではないか、という議論があり、安倍首相もそういうことを主張し、与党間で協議が始まっています。ただ、これはこれまで長く続いていた解釈を変えるというだけではなく、日本の安全保障面における大きな転換を意味することでもあり、今、非常に大きな議論になっているわけです。

アンケートでは、「安倍首相は、私的諮問機関『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)』が『限定的に集団的自衛権を行使することは許される』と提言したことを受けて、与党の協議が整えば、憲法の解釈変更を閣議決定する考えです。あなたは集団的自衛権を行使できるようにすることに賛成ですか、反対ですか」と質問したところ、「賛成」、「どちらかといえば賛成」という回答が合わせて、52.7%と半数を超えました。「反対」、「どちらかといえば反対」という回答は合わせて38.9%でした。私の事前の予想ではもっと賛否が拮抗する結果になるかと思っていましたが、言論NPOの有識者の中では、賛成が非常に大きいという結果になりました。

ただ、メディアが実施している一般の世論調査を見ると、やはり賛否が非常に拮抗している。つまり、一般の方々にとってはなかなか判断をしにくい問題となっており、国民世論は揺れ動いて、まだ定まっていない状況になっています。このように意見が分かれているという構造をどう思っているか。そして、ゲストの皆さんご自身はどう判断されているのか、というところから議論をしていきたいと思います。

日本を取り巻く安全保障環境は大きく変化している

秋山:集団的自衛権の行使は、日本にとっての同盟国である米国との関係を考えると非常に重要な問題です。これまで日本の安全保障にとって、その中核にある日米同盟が実効的な機能を確保できるかというのは非常に大きな課題でした。1990年代に北朝鮮の核開発疑惑があり、もしも何か有事が起こったときには米国が何らかの作戦を展開する、というときに同盟国日本には一体何ができるのか、ということが議論されました。そこでの検証結果では、当時の憲法解釈、および法律ではほとんど何もできない、ということになりました。当然、これではとても日米同盟を維持できない、という声が上がりました。それと同じような話が、最近の中国の海洋進出も含めて、安全保障環境が大きく変わっている中で出てきています。そこで日本の安全保障の中核にある日米同盟の実効性を確保するために、集団的自衛権の発動を認めるような雰囲気が出てきた。これは難しい話ですから、世論が50対50に割れても、「ああ、そんなに賛成が多くなったのか」と私なんかは思いますが、今日のアンケート結果では53対39ですから、大統領選挙に例えれば圧勝です。そういう意味では、非常に変わったな、非常に良い成果が出ているな、という気がします。

道下:私は基本的に、日本が集団的自衛権を行使するということについては賛成しています。その理由は、今、秋山さんもおっしゃったように、1990年代に朝鮮半島で危機が起こったときに出た議論に加え、もう一つ新しい要素が追加されているのではないかと思うからです。すなわち、2010年代に中国が台頭し、軍事力も増強してきた結果、地域のバランスがかなり崩れつつある。それだけならまだいいのですが、中国は強くなった軍事力を背景にして、かなり自分たちの主張を押し通すための行動に出てきた。そういう状況において、やはり「日本もアメリカもある程度、防衛力を増やして対応すればいいのではないか」という話になると思いますが、日本、アメリカともに財政的に苦しい状況にあり、そんなに軍事力を増やすこともできない。では、それではどうすればいいか、となった場合、「アジア太平洋地域、特に重要なパートナーである韓国やオーストラリア、東南アジアの国々、インドと協力関係を緊密にしてバランスをとろう」ということになります。そういった協力関係が進んでいくと、集団的に行動できる権利である集団的自衛権を行使できないと、アジアの協力体制が機能しなくなります。そういったことが、やはり一番重要な目的になっていくのではないかと思います。

神谷:現在の世界では、科学技術の進歩、国際環境の変化などの要因によって、アメリカも含めてどの国も自国だけでは安全を保障できない状況になっています。ですから、「助け合う」ということはどうしても避けられません。例えば、日本有事、つまり日本が攻められたときは「集団的自衛権などを持ち出さなくてもアメリカが助けにくる」と発言する人がいますが、なぜアメリカは自国が攻撃されていないのに日本を助けに来るのか。それは、アメリカが集団的自衛権を行使しているからこそ、その行動は国際法上合法になるわけです。そうすると、アメリカには助けてもらうけれど、日本は助けなくていいのか。加えて、アメリカ以外の国のことは考えなくてもいいのか、といったように色々考えていくと、やはり日本も、国際法上合法な安全保障のための活動を、行えるようにしていかないと時代に合わないという状況だと思います。

そのことは国民もかなり理解し始めていると思いますが、それでも賛成の方が多いものの、相当な数の人たちが反対している。その最大の理由は、「武力を用いる」ということが関係してくるからだと思います。私は、戦後日本の平和主義というものは、武力、軍事力が平和のためにどうしても必要だ、ということを認めてこなかったという意味での消極性を今でも残していると思っています。安倍さんは積極的平和主義という言葉を掲げて、その消極性を正していこう、と考えておられるのだと思います。ですから、集団的自衛権についても、積極的平和主義の一部として考えていく必要があると思います。

安倍政権は集団的自衛権について、勇気を出して、これまでの政権が言わなかったこと、言いにくかったことに関して、どんどん行動を起こしています。しかし、軍事力というものは危ないものだけれど、平和のためには必要なのだ、どんな人間の社会でも「力」というものを抜きにして平和な秩序を保てない、ということをストレートに説明してはいません。私はそうした説明が必要なのではないかと思っています。日本国民もそういう現実を見据えて、議論をしていく必要があると思っています。

憲法解釈は本来変わるもの

工藤:アンケート結果では確かに、集団的自衛権の行使容認に関しては半数くらいの賛成があったのですが、実はその次の質問で、「安倍首相は憲法改正ではなく、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を可能とすることを目指しています。あなたは、こうした進め方についてどう考えますか」と尋ねたところ、「解釈の変更ではなく、憲法改正で行うべきだ」という回答が47.3%で半数近くにのぼりました。一方、「憲法解釈の変更で行使を可能としても問題は無い」という回答は33.6%ですから、憲法改正で対応するべきとの意見が多数を占めています。

確かに、集団的自衛権の行使容認という問題に関しては、これまでの「必要最小限度」と規定している日本の平和憲法をかなり変えてしまうのではないか、憲法違反になるのではないか、政権だけの解釈だけで変えていくのは危険ではないか、堂々と憲法改正に関する議論をしていくべきだ、との声がかなり多くあります。この点についてはどう思いますか。

秋山:憲法改正をするのが正道ではないか、筋ではないかという議論が多いのは確かです。ただ、注意しなければいけないのは、日本の憲法解釈については、内閣の一部局にある内閣法制局がこれまで担当してきたのですが、法制局の憲法解釈があまりにも神聖化され、絶対的なものであると思われすぎてしまっていた、ということです。集団的自衛権が必要最小限度の自衛権の行使に含まれない、という憲法解釈は、1982年に初めて確立したものにすぎず、それ以前は非常にあいまいな状態がずっと続いていました。つまり、憲法解釈というのは変更があり得るというわけです。例えば、1950年代や60年代の議論を見ても、かなり動いている。特に、環境の変化があれば、憲法解釈は正当な意味において、変えていく必要があると思います。

道下:私がこのアンケートに回答するとすれば、「本来は憲法改正でやった方がいいが、政治的リーダーシップで判断していくことはそれなりの正当性がある」という回答になります。これはなぜかと申しますと、国家の国益がかかっている重要な問題においては、国内外の情勢が動くスピードが速いわけですから、憲法改正の手続きを踏んでいると、非常に時間がかかってしまい、国益を著しく害してしまう可能性があるからです。

そもそも、今回の解釈の変更というのは、義務を課するものではなくて、権利を行使するという消極的な変更ですので、そういう意味でも憲法改正をしなくても大丈夫だと思います。これがもしも、国民に何らかの義務を課すものであれば、解釈変更だけでは駄目で、憲法改正をすべきだと思います。

それでも国民が「どうしても嫌だ」と言うのであれば、次の選挙で安倍さんを落選させて、政権交代をして、また憲法解釈を元に戻せばいいわけです。ですから、国民にもまだ判断の余地は残されていると思います。

神谷:今回のアンケート結果で、なぜ判断が2つに分かれるのかというと、この問題は非常に分かりにくく、判断に迷っているのだと思います。そして、判断に迷う最大の理由は、先ほども申し上げたように、集団的自衛権が結局、日本人が戦後において一番考えたがらなかった「武力を平和のために用いていく」ということに一歩踏み込むことにつながってくるからだと思います。武力行使というのは避けられるものであれば避けたいことだが、人間が社会を営み、その社会の秩序や平和を保っていくためには、国際社会であろうと国内社会であろうと武力という要素が不可欠であることを政府がきちんと正面から国民に訴える必要がある。私は、それで賛成が非常に少なかったら、民主主義国家である以上、しばらく待つ必要があり、それが民主政治の常道だと思っています。

混在する集団的自衛権と集団安全保障

工藤:集団的自衛権というのは定義上、自国ではなくある別の国に、攻撃があった場合に、それを自国への攻撃とみなして、ある別の国と一緒に対処していく、というものなので、それを考えるとどうしても、海外に対する派兵や、武力的な活動への参加についての議論になってしまいがちです。ただ、今はそういう議論にはなっていない。安倍さんは記者会見で、自衛隊が武力行使を目的とした活動に参加することは一切考えていない、と発言しています。

今、政府が国民に提示しているのは限定したケースです。邦人救出など15事例を提示して、これはできるけど、これはできない、というような議論になっていて、集団的自衛権の理念的な意味合いが非常に見えにくくなってきている気がします。そのあたりが分かりにくい一つの原因になっていると思うのですが、どのように考えればいいのでしょうか。

秋山:元々の狙いとしては、分かりやすくするために色々な個別の事例を出したのだと思います。集団的自衛権の行使ができない場合、こんなこともできないのだ、それでいいのか、せめてこれくらいはできるようにしたい、ということでいくつかの事例が提示されている。それで、個別事例について議論をしていくうちに、それは個別自衛権でできるのではないかという議論や、PKO活動についてはそもそも集団的自衛権の話ではないのではないか、という議論が出てきて、やや混乱してきている。そもそもすべての事例に集団的自衛権の行使の要素はあります。例えば、武力行使の一体化や海外派兵などです。国連の下における集団安全保障は集団的自衛権とは違うものですが、それが集団安全保障の話とこんがらがってきている。

例の法制懇ではそこは整理して、これは集団的自衛権ではなく集団安全保障だ、という整理はしていますが、そういう議論が出てきた背景にはやはり、集団的自衛権が行使できない場合、日米同盟を維持できるのか、という問題意識があると思います。

道下:各種の世論調査を見ても、国連の下でのPKO活動への参加に関しては相当高い支持が集まっていることからも、日本国民はこれはやっていいと支持していると思います。やはり、微妙な問題は集団的自衛権であって、PKOではない。必ずしも国連傘下の活動ではないけれど、他国を助けるという活動について賛否が分かれている。賛成の論拠として出される典型的な例としては、秋山さんもおっしゃったように、「北朝鮮が日本を越えて、グアムやハワイにミサイルを撃ったときに、日本はそれを撃ち落せない」というのはあまりにもひどい話ではないか、というものです。この事例は象徴的で分かりやすい話なのですが、これが現実的なのか、蓋然性が高いのかというと決してそうではない。こういう事態というのは、アメリカが攻撃されているわけですから、もはや大戦争なわけです。そうすると、実際には日本にある在日米軍基地が優先的に攻撃されるので、日本にも相当な量のノドンミサイルが飛んできているはずです。ですから、ハワイやグアムに飛んでいくミサイルを追いかけている場合ではないわけです。ということで、現実性に問題があるシナリオであることは事実です。

では、なぜこのようなシナリオを出すのかというと、一般の方々にも分かりやすいからです。私が考える、より現実性の高いシナリオというのは、実は平時におけるシナリオです。必ずしも戦争になっていないけれど、東シナ海、あるいは南シナ海で、中国が軍事力を背景にした色々な圧力を加えてくる、示威行為をする、あるいは南シナ海で係争のある島嶼を一方的に占領する、というような事態です。そういうときに、被害を受けるフィリピンやベトナムだけではなく、日本やアメリカ、オーストラリアなど地域の諸国がみんなで協力してやめさせる、抑止するための体制をつくることが重要です。石破さんは「アジア版NATO」を作る可能性を指摘し、アジア、リージョンワイドの、地域全体の何らかの集団防衛ネットワークをつくろう、ということを言っておられます。「アジア版NATO」というのは多少、大げさな言い方ではありますが、方向性としてはそういうことなのだと思います。ただ、こうした考え方は一般の国民にとっては分かりにくい話です。実際に武力行使をするという話ではなく、しかもオーストラリアやASEAN諸国は現在、日本と同盟関係にある国ではありません。日本はこれまで長い間、「平和主義」という名の孤立主義政策をとってきていて、あまり集団防衛にコミットしないという態度をとってきているので、「アジア版NATO」などと言うと紛争に巻き込まれるのではないか、という不安を煽られて、本質的な議論ができていないところがあると思います。

工藤:今のお話は、日米安保の実効性の問題と連動していて分かりやすいのですが、そういう問題提起は政府側からなされていません。つまり、南沙諸島で何かがあった場合に、日本がアメリカと一緒に出ていくとなったら、かなり大きなコミットメントになる。それは、日米安保をベースにした、極東の中の展開の話ではない不透明な要素も多いわけですから、そうなってくると、色々想像で考えなければならないことが出てくるので、不安定な感じがしませんか。

道下:ただ、実際には南沙諸島で日本がフィリピンと一緒に行動するという可能性は高くありません。実際にやる任務は多分、フィリピンやベトナムが自己防衛できるように武器や装備を供与する。その次に共同訓練や演習を通じて、供与した武器や装備をきちんと使いこなせるようにする。そういうキャパシティビルディングをすることになると思います。そこから先は多分、自分でやってくださいということになると思います。ここは今一つ理解されていないのですが、平時において、例えば、アジアの国々と共同訓練、演習をしようと思っても、集団的自衛権を行使できるという法的要件がないと、実は共同演習、訓練もできません。ですから、そういったことができるようになる、というのが、集団的自衛権を行使できるようにすることに伴う現実的に最も重要な変化だと私は思います。

工藤:今の政府の議論の進め方がよく分からないのですが、現状、限定的なケースを提示していますよね。「これは個別的自衛権だ」とか「これは自衛隊法改正でできる」といった整理を行い、その中で、「やはりこれは集団的自衛権を容認しないと対応できない」と思われるものを表に出して、それについて個別的に判断するという流れなのでしょうか。それとも、集団的自衛権そのものの行使をできるようにする、というかたちにしようとしているのでしょうか。

神谷:安倍さんご自身は、集団的自衛権は国際法上どの国にも認められているものなのだから、最終的には全面的に行使できるようにするべきだ、と考えておられるのだと思います。しかし、日本の政治状況、あるいは国民の意識を考えながら、とりあえず現時点でどこまでできるか、ということを考えておられるのだと思います。その際、分かりにくいのは、先ほどからのお話にもあるように、集団的自衛権以外のものも「集団的自衛権」という言葉でくくって議論しているところだと思います。なぜこうなったのかを理解するためには、ここに至るまでの議論の過程を振り返る必要があると思います。

冷戦後、日本の安全保障政策に色々な弱点があるということが分かってきた。その一つが、先ほど秋山さんがおっしゃったように「日米同盟が日本の安全保障の根幹だ」と言っているのにもかかわらず、いざ日本周辺で何かがあった時に、従来の憲法解釈だと日本はアメリカをきちんと助けることができないということだったので、集団的自衛権という問題が大きくクローズアップされてきた。さらに突き詰めていくと、必要最小限度の個別的自衛権の行使に関する武力行使以外は一切できないのだ、という考え方がその根底にあったわけです。それではあんまりだ、という議論がずっと続いてきて、ここにきてようやく集団的自衛権を限定的に行使できるようにする、という方向になってきた。ただ、日本が自国や世界の平和のために、他国と協力して安全保障を行っていく、ということを考えると、厳密に言えば集団的自衛権とは異なるけれど、日本が他国のため、あるいは他国と協力して武力を行使する、ということを考えなければならない場面が色々と出てくる。その典型的なものとしては、国連の集団安全保障と呼ばれるものであったり、PKOの駆けつけ警護だったりする。要するに、少し離れたところで他国の部隊やNGOが攻撃されているときにも、今までの日本は武力で助けてはいけない、ということになっていた。それで積極的平和主義の国と言えるのか、それはおかしいだろう、という議論になってきた。さらに進んでグレーゾーンにおける武力行使なども、これまでの解釈では最小限度の武力行使の範囲から外れるものだけれど、これができないで尖閣の防衛は大丈夫なのか、という議論になってきている。ですから、当初の議論では、集団的自衛権がいわば看板になっていたのですが、話はどんどん広がってきているわけです。

工藤:安倍さんは現時点では、自衛隊は戦闘行為に参加するような行動はしない、と言っていますよね。

神谷:それは、秋山さんが実務家として苦労されたはずの、「武力行使との一体化」というところに関わってきます。つまり、日本が直接戦うことはしない、と安倍さんはおっしゃったのですが、直接戦わなくても、戦っている同盟国であるアメリカ、あるいは国連軍や他国を非軍事的な手段、あるいは後方支援というかたちで助けるのも駄目だ、というのが従来の解釈で、それはあんまりだ、というのが今の議論です。

工藤:これまでの議論を聞いていると、やはり憲法解釈の変更だけでは不十分で、憲法問題になりませんか。

神谷:私は、民主主義の基本は国民がどう考えるかだと思います。解釈変更だけでいけるかどうか、ということも最終的には国民がどう思うかで判断するべきことであって、その意味でもっと安倍さんと政府が国民に対して説明をして、それに対する反応を見て最終的に判断していくほかないのではないかと思います。

それから、安倍さんは「『必要最小限度』より手前は解釈変更でいけるのではないか」とおっしゃっているので、決して何でも解釈変更だけでいけると考えているわけではない、という点には注意した方がいいと思います。

秋山:武力行使の一体化の話は、日米関係で言えば、日本の近辺で何か武力紛争が起こったときに、アメリカの後方支援をする。その後方支援の仕方はどんなに後ろに下がっても、それは武力行使の一体化なのだ、という議論があるわけです。それが集団的自衛権の行使の話なのです。集団的自衛権の行使というのは、あるとき「これは必要最小限度の自衛権の行使には含まれない」という解釈になった。解釈というのは変わる。あるときそういう解釈になったというだけで、環境の変化に従って解釈は変えていいものだと思います。今は法制局の憲法解釈が独り歩きしていますが、あくまでも解釈なのです。

工藤:憲法解釈は総理が変わるごとにどんどん変わるっていく、ということは国際社会から見て良いことなのでしょうか。

秋山:憲法解釈がこれほど大きな要素になっているのは日本ぐらいです。総理によって変わるという以前に、憲法の番人である法制局の解釈もこれまで変わってきているわけですから、そもそも解釈というのは変わるものだと私は思っています。

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