少年院に収容される16歳未満の年少少年に見られる特徴とは

帰る場所もなく、学校でもうまくやれない少年の行き先のひとつに少年院がある(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

前橋駅から車で30分ほどの場所にある赤城少年院を訪問した。赤城少年院は、赤城山の裾野にある千貫沼の畔にある梅林や松林に囲まれた静かで落ち着いたたたずまいの少年院だ。

少年院の種類としては第1種にあたり、「心身に著しい障害がないおおむね12歳以上23歳未満の者」を対象としているが、赤城少年院の特徴は主に「年少少年」を収容しているということだ。

年少少年とは、16歳未満のことを示し、刑事責任年齢などの関係で14歳、15歳年齢の少年のことを意味する。16歳以上の年齢の少年も在院するが、そのなかには在院中に16歳を迎える少年も入る。

今回の訪問は、認定特定非営利活動法人育て上げネットが開催している少年院スタディツアーの一一環であり20名を越える参加者とともに視察をした。

少年院との協働を通じて、在院少年および出院少年の更生自立に取り組むなかで、多くの関心者から「なぜ、彼らは少年院に入るようになるのか。その背景にはどんなものがあるのか」を聞かれることがある。

簡易的なものについてはこちらを参考していただきたい。

参考:誰が少年院に入院しているのか(工藤啓)- Y!ニュース

本視察では特に少年院に収容される16再未満の年少少年に見られる特徴についての説明があった。いわゆる中学生年代で、家庭裁判所の決定により保護処分として少年院に送致された少年にあたる。

その背景には適切な養育ができない両親(シングル家庭が多い)のもと、虐待や貧困といった言葉で表現される環境にあった少年が少なくない。ただし、それだけが年少少年が少年院に収容される理由だけではないことがわかった。

年少少年によく見られる特徴(出典:認定特定非営利活動法人育て上げネット赤城少年院スタディツアー配布資料より)
年少少年によく見られる特徴(出典:認定特定非営利活動法人育て上げネット赤城少年院スタディツアー配布資料より)

「独断専行」の背景

幼少期から保護者のみならず、社会的にも保護されることがなく、成長過程での学びや経験の機会をはく奪されてきた少年は、誰からも手を差し伸べられず、またその将来を期待されることもない。

他者や大人、社会そのものへの不信感を募らせていることがあるという。「助けを求めるべき」「声をあげるべき」ということは後述するが、子どもの貧困問題が社会的に認知されるにつれて、子どもたちが声をあげることの難しさはすでに周知の通りだ。

誰にも頼ることができず、誰からも期待されない少年は、物事の認知や判断において「独断専行」となり、ある行為に至った結果として少年院に送致されることになった。

マイナスの自己イメージ

在院少年は成育のなかで男子で3割、女子で6割ほどの虐待経験を持っている。関係者は、本人の認識の問題もあり、実際にはもっと割合は高いのではないかと言う。虐待経験のみならず、学校などでいじめを受けていた少年も少なくないそうだ。

そのような影響により、成功体験のない、失敗体験の積み重ねにより、「自分はできない人間である」「何をやってもうまくいかない」というマイナスの自己イメージを作り上げていく。

さまざまな機会をはく奪され、多くの失敗を次への経験に活かすことを学ぶことのできなかった少年たちは、他者への共感性を育むことができないまま生きてきた傾向にあるという。

社会的なハンディキャップ

独断専行の背景にもつながるが、広い意味での貧困の影響と、その一端として帰住困難があげられる。帰る場所や受け入れる家族がいないこともあれば、暴力やネグレクトが常態化する家庭は、少年にとって安全な場所とは言えず、帰宅を困難にさせる。

安全でも、安心もできない家庭に変わる場所を求めて、少年は自分たちを受け入れてくれるコミュニティーを探さざるを得ないのかもしれない。「ただいま」とドアを開けてば、「おかえり」の言葉とともに、温かい食事や布団が準備されず、ときに身体的、精神的な暴力だけがコミュニケーション手段として介在する場所に誰が戻りたいだろうか。

このような環境は、帰住先以外の場所を外部に求めるとともにい、大切にされた経験の不在は、少年に自分を大切にすることではなく、投げやりな気持ちで自分を傷つける行為をさせているとも考えることができる。

「自分を大切にしなさい」と言わず、そもそも「自分を大切にすること」を体感できないなかで育つ少年の行き先のひとつが少年院という矯正教育の場なのである。

表現力不足

近年、少年院でも発達障害や発達課題のある少年への処遇が言われている。職員から話を伺うと、研修なども含めて少年院内でのかかわり以上に、少年が少年院を出た後に、改めてうまくやっていけるのか。周囲にその特性を理解し、かかわり続けてくれる、支えてくれるひとがいるのか、という話を聞く。

ここでいう表現力不足は、さまざまな経験や体験が不足する環境や、低学力のまま教育から排除されてしまったことにも起因する。コミュニケーションの課題は必ずしも発達特性上のものだけでなく、さまざまな機会損失と社会的排除の結果でもある。

多様な言葉で気持ちを表現し、相手にわかるように伝えられないことは、多くの失敗経験を誘発する。それが少年を自己防衛的にさせるとともに、周囲からは自己中心と理解される。確かに、自己中心的な物言いをする少年もいるが、社会の側が背景や特性を理解し、少年に理解可能で納得の行くコミュニケーションを取ることができるようになれば、少年も表現することの大切さを学び、自らもうまく表現していく努力の大切さを知れるようになるのではないか。

年少少年に見られる特徴の説明を受けたが、どれかひとつの要因が少年の非行につながっているのではなく、社会的なはく奪や機会損失の積み重なりが少年を追い詰めているとも言える。

最後に、近年の非行少年についてお聞きしたことを紹介したい。従来は「不良」という言葉で非行少年がイメージされてきた。それは威勢、酒、たばこ、バイク、カツアゲ、喧嘩、暴走族というものだ。しかし、少年は非社会傾向、共感性の乏しさ、対人関係の希薄化、無気力、不安といったものが顕著になってきている。

そこには、身近なひとへの暴力や幼稚なわがまま、自他の区別があいまいといった自己中心性、生活空間の矮小化による社会的常識の欠如などが見て取れるという。

これらの特徴や背景は、少なからず児童福祉や子どもにかかわる支援現場とも共通するものである。であるとするならば、私たちは改めて矯正教育の世界とも接続し、日常生活を少年とともにする少年院の職員からも学びを得て、子どもたちの成長に貢献できる大人であろうとするべきではないだろうか。