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黒田総裁「物価高の許容」発言の真意=うっかりミスで「庶民の敵」に

窪園博俊時事通信社 解説委員
家計の苦境を軽視するかのような発言の撤回に追い込まれた日銀の黒田総裁。(写真:ロイター/アフロ)

 黒田東彦日銀総裁が「家計は値上げを受け入れている」と述べ、この発言の撤回に追い込まれた。物価高で家計が苦しむ実情を軽視する発言と受け止められたのだ。なぜ「庶民の敵」となる発言が飛び出したのか。真意を探ると、日銀は批判を浴びるとは夢にも思っていなかった。物価が上がる過程の理屈付けが甘く、不用意な発言となった。要は「うっかりミス」(日銀OB)だったのだ。

実は、日銀として入念に考えた発言だった

 問題の発言は、国会答弁や記者会見などで偶然に飛び出た「失言」ではない。日銀を批判したい側の誘導質問に乗せられた「失言」なら、総裁個人の失態となる。しかし、今回は講演原稿の一節が問題を招いた。日銀として入念に考えた発言だった。普通なら読み上げて淡々と終わるはずの講演が、お茶の間で大々的に批判される大ニュースになってしまった。

 記憶する限り、講演原稿がこれほどの騒ぎを招いたことはない。原稿は、事務方の厳重なチェックを受ける。誤字脱字はあってはならず、批判されそうなフレーズは修正される。神経質な総裁は、講演直前まで推敲し、配布された原稿がコピー機の熱を帯びていたこともある。講演原稿や声明文などは「日銀文学」と称されるが、総裁用の原稿は「日銀文学の最高峰」でもある。

完全無欠の原稿で重大な見過ごし

 講演原稿はまた、報道で一節を切り取られ、本意ではない解釈をされるリスクがある。しかし、この点も抜かりはなく、切り取りリスクへの対処は「基本中の基本」(複数の幹部)とされる。実際、日銀OBらは「どのように切り取られても大丈夫なようにできている」と口を揃える。しかし、今回に限っては完全無欠ではなく、重大な見過ごしが生じた。

 批判されたフレーズを詳しく見てみたい。講演の終盤部分だ。「企業の価格設定スタンスが積極化している中で、日本の家計の値上げ許容度も高まってきている」。その根拠は「東京大学の渡辺努教授の調査で『馴染みの店で馴染みの商品の値段が10%上がったときにどうするか』との質問に対し、『値上げを受け入れ、その店でそのまま買う』との回答が、欧米のように半数以上を占めるようになっている」からだ、という。

日銀自身の調査は家計の苦境を示す

 言うまでもなく、家計は多くの商品が値上がりし、選択の余地がないのだ。そうした苦境に配慮を示さない表現はミスであろう。いみじくも黒田総裁が「家計が苦渋の選択として値上げをやむを得ず受け入れているということは十分認識している」と認めたが、そうであるなら「値上げ許容度が高い」との前向きな表現は避けた方がよい。

 実際、日銀が四半期で公表する「生活意識に関するアンケート調査」では、物価上昇で家計の困窮度は強まっている。この半年、1年で物価が上がったとの回答は急増。同時に「ゆとりがなくなった」との回答も増えた。景況感は昨年後半は改善したが、物価高が顕著になった今年は「悪くなった」との回答が増えている。これを素直に反映するのが自然体であろう。

「机上の空論」の無理な正当化

 にもかかわらず、日銀が渡辺教授の調査に頼ったのは、望ましい形で物価が上がるからだ。現在は、原材料急騰が家計に打撃となる悪い形の物価高(コストプッシュ型)だが、日銀の緩和策が奏功すれば景気は改善。賃金が増大して値上げ許容度が一段と高まる姿を描く。そして、「賃金と物価が、ともに相乗的に上昇していく好循環」(黒田総裁講演)が実現する、と期待する。

 しかし、冷静に考えれば、10年近くも超緩和策を続けて「賃金と物価の相乗的な好循環の上昇」は達成していない。つまり、超緩和が狙い通りの効果を発揮するシナリオは「机上の空論」(大手邦銀アナリスト)に過ぎず、それを無理に正当化しようとして、批判を招くフレーズを入れ込んでしまった、というのが真相とみられる。

「庶民の敵」となった状況は変わらず

 問題は、強い批判を受けて発言は撤回されたが、「庶民の敵」となった状況は変わらないことだ。日銀の超緩和策の堅持は、インフレ抑制で利上げを進める欧米との金利差を拡大させ、外為市場で「悪い円安」を助長するからだ。これにより、悪い物価高がさらに進展し、家計への打撃は強まることになる。超緩和策は正常化し、少しでも家計の打撃を緩和した方がよいと考えられる。

時事通信社 解説委員

1989年入社、外国経済部、ロンドン特派員、経済部などを経て現職。1997年から日銀記者クラブに所属して金融政策や市場動向、金融経済の動きを取材しています。金融政策、市場動向の背景などをなるべくわかりやすく解説していきます。言うまでもなく、こちらで書く内容は個人的な見解に基づくものです。よろしくお願いします。

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